バレンタインデーの由来と真実

情人节的来历和真相

バレンチノ司祭は、愛するふたりの結婚をとりもちました
バレンタインデーの発祥はイタリアです。古代ローマでは、2月14日は女神ユノー(juno/ジュピターの妻で、結婚・出産を司り、夫婦や国家の守護神とされる最高の女神)の祝日で、翌15日から春の訪れや豊穣を祝うルペルカーリア祭が開催されていました。この祭には、女性たちが前日(2月14日)に入れた名札を男性が翌日引き、そのふたりはお祭りの期間中カップルとして振舞えるという風習があり、そのまま恋に落ちて結婚するカップルも多かったそうです。

瓦伦丁神父是撮合相爱两人的婚姻的
情人节源自意大利。在古罗马,2月14日是女神朱诺(juno:朱庇特的妻子,司婚姻和生产之神,被视为夫妇和国家的守护神,是最高等级的女神)的节日,从翌日的15日开始将举行迎春和庆祝丰收的牧神节。并有这样的风俗:节日期间男性选出女性在前一天(2月14日)放好的名片牌,选中的两人在节日期间扮作情侣,据说最后假戏真做并结婚的情侣有很多。

ところが、皇帝クラウディウス2世がローマ帝国の兵士の士気が落ちることを懸念し、兵士の結婚を禁じてしまいます。しかし、そんな若者たちを哀れんだバレンチノ司祭が、恋に落ちた兵士と娘を密かに結婚させるようになりました。当時キリスト教を迫害していた皇帝は怒り、バレンチノ司祭にキリスト教を捨てるよう迫りますが、司祭がそれを聞き入れなかったため、見せしめとして269年(あるいは270年?)2月14日にバレンチノ司祭を処刑してしまいます。

但是,皇帝克劳迪乌斯二世担心这样会让罗马军团士气低落,因此禁止士兵结婚。然而,可怜这些士兵的瓦伦丁神父偷偷为那些陷入情网的士兵和女孩证婚。这招致了当时致力于迫害基督教的皇帝的震怒,于是逼迫瓦伦丁神父舍弃基督教,可是神父却不为所动,为杀一儆百,皇帝于269年(或270年?)2月14日处死了瓦伦丁神父。

世界各国、バレンタインデーに花を贈るのも人気です
496年にルペルカーリア祭が廃止されると、2月14日がキリスト教の殉教者・バレンチノ司祭を祀る記念日となり、恋人達が愛を確かめ合う日になりました。バレンタインはバレンチノの英語読みです。

世界各国都很流行在情人节赠送鲜花
496年废除牧神节后,2月14日成为了基督教的殉教者瓦伦丁神父的纪念日,成为了恋人们相互见证对方的爱的日子。Valentine就是valentino的英语读法。

※1962~65のバチカン公会議によって、カトリック教会では、9世紀に生まれた聖職者兄弟の記念日に代わっています。

※根据1962~65年的梵蒂冈会议,天主教会以瓦伦丁节取代了生于9世纪的圣职者兄弟的纪念日。

こうして、恋人達が愛を確かめ合う日として世界各国に広がったバレンタインデー。お互いにカードやギフト(花、チョコレート、キャンディー、アクセサリーなど)を贈って愛情を伝えます。

于是,情人节也就成为了恋人间见证双方爱的日子,并扩展到世界各国。互赠卡片和礼物(鲜花、巧克力、糖果、装饰品),以此来传递相互间的爱。

双语文章中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。