もし、浦島太郎が亀を助けていなかったら

如果浦岛太郎没有救助海龟

誰かが自分の目の前で、あからさまにいじめられているのを目の当たりにしたとき、果たして人は、勇気を出して、そのいじめられっ子を助けられるのか?これは世界中の至る所で、いじめや暴力が横行する現代に生きる、われわれ人間にとって、あまりに切実すぎるテーマのひとつである。そんな現代でなくても、目の前で子供たちにいじめられている亀を目の当たりにした浦島太郎が、その子供たちから助け出せなかった可能性も十二分にあった。

当看到某人在自己眼前被欺负的时候,最后是否能够鼓起勇气挺身而出,救助被欺负的人呢?在我们所生活的这个世界上,欺负和暴力行为横行,而上述的问题也正是我们急切需要解决的问题之一。即使不是在现代,当浦岛太郎看到孩子们在自己眼前欺负海龟的时候,也极有可能无法救出海龟。

そこで、本題の「もし、浦島太郎が亀を助けていなかったら?」という仮定の話になるが、実は、よく物語を読み込むと、浦島太郎は、亀を助け出さない方が、正義感を持って亀を助け出すよりもメリットが大きいことがわかる。浦島太郎は亀を助けてしまったが故に、竜宮城へ連れて行かれ、玉手箱を手渡され、それを不覚にも開けてしまい、白髪の老人になってしまうハメになった。つまり、あのとき、亀を助けさえしなければ、浦島太郎は白髪の老人になることはなかったのである。

因此,从正题的“如果浦岛太郎没有救助海龟”这一假设出发,实际上如果经常深入研读故事的话,就可以知道,比起带着正义感救助海龟,倒不如弃之不理对于浦岛太郎来说更有好处。正因为浦岛太郎救助了海龟,所以被带到了龙宫城,并得到了玉盒,他在无意间打开了玉盒,于是变成了满头白发的老人。也就是说,如果那时他没有救助海龟的话,浦岛太郎也不用变成一个白发皑皑的老人了。

正義と不正義という二つの相反する道徳観念。「浦島太郎」は現代を生きるわれわれに、一体何を伝えようとしているのだろうか。

正义与非正义这两个截然相反的道德观念,“浦岛太郎”到底想向生活在现代的我们传递怎样的一种信号呢?

如果桃太郎的奶奶没有在河边洗衣服……

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