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第二次世界大戦後、日本の文化である俳句は海外にも伝わりました。現在では、欧米、南米、中国、インド、ロシアなど、まったく文化や生活が異なる国々でも人気を博しています。欧米では、ローマ字で「HAIKU」、中国では「漢俳(かんばい)」という名前で呼ばれています。

第二次世界大战后,日本的文化俳句也在海外得到了传播。现在,在欧美、南美、印度、俄罗斯等各个文化、生活相异的国家中,俳句也受到了喜爱。在欧美,俳句的称呼是罗马字母的“HAIKU”,在中国则称作“汉俳”。
 
俳句が海外に広まったのは、イギリス出身の文学者レジナルド・ブライスの功績が大きいです。彼は日本文化が大好きだったようで、第二次大戦前に英語教師として日本にやってきました。戦争が始まると敵国の人間として強制収容所送りにされましたが、なんと日本を支持して、日本国籍を取得しようとしたというから驚きです。
 
说到俳句传播到海外,英国文学家布兰斯功不可没。他十分喜爱日本的文化,在第二次世界大战前来到了日本,担任一名英语教师。战争开始后,他由于是敌对国的公民被强制送到收容所,然而让人吃惊的是,即便如此,他还是不改对日本的喜爱,甚至希望取得日本国籍。
 
その後、1949年にブライスは『俳句Haiku』第1巻を出版し、英語圏に俳句を紹介しました。彼の残した俳句関連の著書には、『俳句Haiku』全4巻。『俳句の歴史History of Haiku』(全2巻)があります。 
 
此后在1949年,布兰斯出版了《俳句 Haiku》第1卷,向英语圈介绍俳句。他留下的俳句相关著述有《俳句Haiku》全4卷以及《俳句的历史 History of Haiku》(全2卷)。
 
海外で人気が出た訳とは?
 
最大の理由は「短くて誰にでも作れるから」です。欧米では、詩や小説などの文学は、知的エリート層のものであり、学のない庶民がやるのは「詩の堕落だ」という偏見がありました。
 
为什么俳句在海外受欢迎?
 
说到这点,最大的原因便是“(俳句)十分简短,谁都能创作”。在欧美国家存在一种偏见,诗歌、小说等文学是属于知识阶层的,无学无识的庶民从事这些是“诗歌的堕落”。
 
19世紀に有名な童話作家アンデルセンが、デンマーク語の話し言葉で小説を発表した時なども、こんな物が小説と呼べるか! と文学界から大変なバッシングを浴びたそうです。それまでの小説は難解な文語体で書かれているのが常識だったからです。しかし、彼の登場と、その作品のヒットにより、この認識が徐々に崩れ始めていきました。
 
据说,19世纪著名的童话作家爱徒生在用丹麦语的口语发表小说时,也曾遭到了文学界的强烈奚落,“这种东西岂能称小说!”因为在这以前的常识中,小说都是用晦涩的文言体写成的。但由于安徒生的登场,以及其作品的成功,这种认识开始逐渐淡化。
 
そこに、俳句のような短くて簡単に作れる詩が登場し、詩の創作が誰でもできるようになったのです。また、欧米ではこれまで自然を軽視し、環境破壊などを推し進めていましたが、これではダメだということで、自然との調和を目指した教育が行なわれるようになっています。
 
于是,俳句这种文句短小、创作简单的诗歌登场了,从此诗歌创作逐渐成为人皆能为的事情。另一方面,在此以前,欧美一直轻视自然,不断对引发对环境的破坏,而人们也认识到这种做法的错误,开始推行旨在与自然达成协调的教育。
 
俳句は季語を通して、自然と親しむことができる文化ですので、子供たちに自然の大切さを教えるのに適しています。このような背景から、アメリカの多くの小学校で俳句が教えられるようになっているのです。現在では、「草枕」国際俳句大会という俳句を通して国際交流するためのイベントも日本国内で開かれるようになっています。
 
通过季语,能与自然亲近起来,俳句的这种文化十分适合用于教育孩子们,告诉他们自然的重要性。由于这个背景,美国的许多小学的课堂开始出现俳句的内容。在目前,“草枕”国际俳句大会这一为通过俳句实现国际交流的活动也在日本国内举行了,
 
英語俳句の特徴
 
三行の短い詩であれば、英語俳句はOKです。制約が少なく作りやすいという点では、本家の俳句の比ではありません。日本語とは言語がまったく異なるので、まず五七五の定型がありません。一応、季語(season word)は入れるのが通例となっていますが、厳密なルールではなく、無季語でも問題ありません。
 
英俳的特征
 
只要是三行短诗,英语俳句就算OK了。就条条框框少、创作简易这点来说,实在是本家的俳句不能比的。由于英语是与日语完全不同的语言,所以五七五的格律首先就不存在了。虽然在大体上,加入季语(season word)依旧是惯例,但由于不存在严密的规范,即便无季语也是不成问题的。
 
これは外国は日本ほど四季がハッキリしておらず、自然条件も異なるため、共通語としての季語が使いづらいためです。例えば、砂漠で暮らしている人に、朝顔や蛍といった季語を入れた句を聞かせても、意味するところが通じないでしょう。
 
这是由于外国不像日本那样四季分明,自然条件也大为不同,因而季语就难以作为共通的词语来使用。比如,生活在沙漠中的人即便听到加入“朝顔”或“蛍”这类季语的俳句,也不会明白其中的意蕴吧。
 
また、外国人の考え方として、自由を束縛するようなルールは嫌われており、あくまで自由な短い詩としての俳句が好まれているようです。日本人的な感覚で言うと、五七五の定型も季語も無ければ、それは俳句とは言えないと感じてしまうでしょうが、文化や季節感がまったく異なる海外では、これは通用しないわけです。
 
另外,在外国人的思维方式中,一般讨厌对自由形成束缚的规则,而对作为自由短诗的俳句钟爱有加。以日本人的语感来看,没有五七五格律,也没有季语,也就不能说是俳句,但放在文化和季节感都完全不同的国外,这些则是无法通用的。
 
Two light beams shining 
where there were once Twin Towers-
my son, my daughter
 
(訳)
 二本のビーム光線の輝き
 ここはツイン・タワーのあった処―
 わが息子よ、わが娘よ
 
电光两束照射下
此处是双塔所在的地方
我的儿子呵 我的女儿
 

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