定年男が陥る孤独のリアル

退休男人陷入真实的孤独

著者の得意な中高年どろどろ恋愛小説を期待して手に取ると、肩すかしをくらうかもしれない。大手広告会社を、執行役員を最後に退職した男性が定年後に陥る孤独が描かれている。さすが手練(てだ)れの大作家と言うべきか。妻に頼る夫とそんな夫を嫌がる妻の心理描写は実にリアルで、最後まで惹(ひ)きつけられる。企業というムラ社会に生息したサラリーマンが、定年後にどのように社会とのつながりを失っていくかが克明に描かれる。

如果你在期待作者所擅长的中老年缠绵悱恻的恋爱小说,恐怕会失望了。本书撰写的是一位退位于大型广告公司常务执行董事之职的男性,老年后陷入孤独生活的故事。不愧是技法娴熟的大作家,将依赖妻子的丈夫和讨厌这般丈夫的妻子的心理描写得极为真实,引人入胜。生存于企业这一微缩社会的上班族们,退休后如何失去与社会的联系,作者不遗余力地进行了刻画。

だが実のところ、歴史を振り返ればそうした物語は過去に何度となく繰り返されてきた。定年退職した夫を指す「濡(ぬ)れ落葉(おちば)」という言葉が流行語大賞を受賞したのは、1989年のことである。高度成長を支えた昭和ひとけた生まれのモーレツサラリーマンたちが老後を迎えたころである。

事实上,回顾一下历史,这样的故事曾经几度周而复始。指代退休离职的丈夫为“湿掉的落叶”这一词汇还在1989年时获得流行语大奖,这正是处在经济高度成长的昭和时代第一个九年里出生的工作狂们迎来了人生的晚年。

だから団塊の男性にとっては初体験でも、社会的に見ればこれは何度となく再生産されてきた同工異曲にすぎない。そして同時に、そうした定年後の孤独は終身雇用制と総中流社会の安定に支えられた豊かさの中の空虚でもある。企業の成長という大きな物語から切り離されて生まれる「終わりなき日常」。その無目的な生に対するまどろみのような不安なのだ。

因此,对于团块世代的男性来说也是一种初次的体验,从社会性来看,这只是和再生产有着异曲同工的作用。而同时,这种退休后的孤寂成为终身雇佣制和支援主流社会的安定所残留的空虚感。从企业成长这一庞大的故事群体中分离而产生的“无法终结的日常”,于是他们对于这种毫无目的性的生存状态深感不安。

しかし社会全体が大きな物語をすでに失ってしまった日本で、終わりなき日常への不安はすでに遺物となり、いまやサバイブ(生き残り)こそが重大な問題として人々の前に立ち上がってきた。個人の格差化が進む団塊世代も無縁ではない。企業年金はいつ減額されるかわからないし、日本自体が破綻(はたん)してしまうかもしれない。まどろみの不安はいずれ消し飛んでいく。だから本書に描かれる不安はもう失われようとしている。

然而,已经失去社会整个这个大环境的日本,对于无法终结的日常的不安已然成为过眼云烟。如今,适者生存(优胜劣汰)才是站在人们面前最大的问题。个体差别与前进的团块世代并非毫无关系。企业的退休金不知道什么时候就可能会减少,日本自身也可能会崩塌。小小的不安早晚烟消云散,所以本书所描写的不安其实早就被当作不存在了。

注:団塊世代——专指日本在1947年到1949年之间出生的一代人,是日本二战后出现的第一次人口高潮。在日本,“团块世代”被看作是上世纪60年代中期推动经济腾飞的主力,是日本经济的脊梁。这一代约700万人将于2007年开始陆续退休。这一代人大都拥有坚实的经济基础,一直是最引人关注的消费群体。据估算,日本60岁左右人口所拥有的资产,是40至50岁人口的3倍以上。这群数量庞大的银发族经济基础雄厚、购买力强,退休后还将有充足的闲暇时间。

この本は中高年男性に売れているという。それは定年後の孤独へのリアルな共鳴なのか。ひょっとしたら失われつつあるまどろみのような不安へのある種の郷愁もそこに存在するのかもしれない。

本书在中老年男性群体中卖得不错,也许是对退休后那种真实的孤独有所共鸣吧。说不定,那里还有着对于不断失去的小小不安的某种怀旧情思的眷恋。

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