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日本文化の特徴を一言で言うならば、基底部に日本独特の思想をもち、その上に仏教、儒教、西洋文化といったさまざまな外来思想が取り入れられ、重層性を形成しているという点である。

用一句话总结日本文化的特征,那就是形成了重层性,底层保持着日本固有的独特思想,上层则依次导入了佛教、儒教、西方文化等各式各样的外来思想。

古代の日本人の考え方

古代の日本人の生き方は、「祓いはらい」や「禊みそぎ」や「清明心」という言葉で象徴される。悪いことをしても禊をおこなえば洗い清められ、穢れは祓いによって取り除かれる。汚い生き方を潔しとせず、嘘いつわりのない生き方をよしとした。八百万の神信仰とともに、これらの伝統的な考え方は、日本人の行動の規範として現代にも脈々と受け継がれている。

古代日本人的思考方式

“祓”、“禊”、“清明心”象征了古代日本人的生存之道。做了不洁的事就需要用仪式“禊”来濯洗,秽恶通过“祓”这种仪式得到去除。不正直的为人被视为不洁,人们把诚实作为人生之道。这些传统的思想和八百万神明信仰一起,成为日本人行动的规范被长久继承,持续至今。

奈良・平安・鎌倉時代

6世紀になると日本に仏教の影響が入ってくる。一般に人々が宗教を信じる動機は「貧・病・争」である。金ぴかに塗られた仏像は異国情緒たっぷりで、いかにも「効き目」がありそうだと感じられたことだろう。仏教という外来思想を掲げた蘇我氏が日本の神々を掲げる物部氏を打ち破り、蘇我氏が聖徳太子と結び付いて日本に仏教文化が定着する。

奈良·平安·镰仓时代

进入6世纪后,佛教的影响波及到了日本。一般情况下,人们信仰宗教的动机往往是“贫穷、疾病、战争”这几个因素。金光闪烁的镶金佛像充满了异国风情,大概对日本人的佛教信仰也产生了不少“效力”吧。苏我氏倡导佛教这一外来思想,并打败了宣扬日本固有神教的物部氏。此后,苏我氏与圣德太子同心协力,让佛教文化在日本生下了根。

奈良時代の仏教は個人を救済するための宗教ではなく、貴族や天皇に保護され権力者のために祈る宗教という点に特徴がある(例外は行基)。平安時代に入ると天台宗や真言宗が現れたが、両者とも天皇や貴族と結び付くことによって国教ともいうべき地位を獲得した点では、奈良時代と同じといえる。

奈良时代的佛教有一个特点,它并不是旨在救济个人的宗教,而是在贵族、天皇的扶持下,是专属于权力阶层,为他们举办法事的宗教(当然也有例外,比如在民间传教的行基大师)。到了平安时代,天台宗和真言宗双双登场,两者都与皇亲国戚紧密联系,获得了国教的地位,就这一点来说,奈良时代也是相同的。

日本の仏教が転機を迎えたのは鎌倉時代に入ってからである。仏教が社会の底辺層へと急速に信者を拡大したのだ。信者が急拡大した理由の第一は、天皇・貴族の没落とともに、比叡山や高野山の権威が失われたことによる。第二に、念仏や座禅など、一般庶民でもおこなえる易行によって誰でもが救済されるという新しい仏教が登場したことによる。

日本佛教迎来转机的时代还是在镰仓时代。此时,佛教迅速在社会底层获得广大信徒。说到信徒迅速增加的原因,首先便是天皇、贵族走向没落,比叡山(天台宗的总本山)、高野山(真言宗的总本山)也随之失去了权威。第二是新兴佛教的登场,如念佛、参禅等,在民间也能得到实行,正由于修行简易,所以谁都能得到救济。

当時の仏教は圧倒的に比叡山(天台宗)の教えが強かった。比叡山では仏になるためには、経を唱え、坐禅をし、山を駆けめぐるなど「自力」であらゆる修行を実践しなければならなかった(今でも千日回峰という命をかけた修行がある)。貴族たちは浄土へ行くために寺を建て、寄進をし、仏像を作った。また、人間には聖人と凡夫があると考えていた。

平安时代的佛教中,比叡山(天台宗)的教法占据着优势。在比叡山的教法看来,为了成佛必须要凭借“自力”去实践一切修行,如念经、坐禅,或在山中急速奔走(现在依旧存在“千日回峰”这种修行)等等。贵族们为了往生净土,纷纷修建寺院,布施钱财,铸造佛像。另外他们也认为,人中间是有圣人和凡夫之别的。

しかし、厳しい行をおこなえるのは生活にゆとりのある一部の人だけであり、一般庶民には到底不可能である。法然や親鸞、道元、日蓮はこれまでの行のあり方を批判し、誰でもが行える易行を説いた。一心に「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽に往生できると説く法然の教えや、他力(=仏力)本願によって悪人も浄土に行けると説く親鸞の教えは革命的であり、貴族たちにすれば「非常識な教え」「トンデモ論」であったに違いない。こうして、易行と人間の平等を説く鎌倉仏教は一般庶民に広く受け入れられ、日本の思想史の中のハイライト的存在になっていったのである。

但是,实行这种严苛的修行,对普通的平民来说,终究是不可能的,它仅仅适用于一部分衣食无忧的人。于是,法然、亲鸾、道元、日莲等人对佛教迄今为止的情况发起批评,倡导任何人修行简易化,让所有人都能实行。法然提倡专心念唱“南无阿弥陀佛”,往生极乐,亲鸾则提倡,凭借他力(佛的本愿),恶人也能前往净土,他们的说法太过于革命,必然被贵族贬低为“毫无常识的教义”、“荒唐的见解”。就这样,提倡简易的修行和人人平等的镰仓佛教在普通平民中广受接纳,成为日本思想史中的一道耀人风景。

(注)800年前の悪人というのは仏と比較してのことだから、この定義からすれば人間皆悪人(=アホ)ということになる。

(注)800年前的恶人是置于佛教观点下比较的概念,按照佛教的定义,人都被分类为恶人(愚痴众生)。

仏教は日本の宗教だけではなく、精神生活や美意識にも大きな影響を与えている。仏教の無常感は、一瞬の時の移ろいを肯定的にみる態度を生み出し、禅宗はわびの境地を理想とする茶道の精神を生みだした。現在の仏教のおおよその信者数は次のとおりである。

①日蓮正宗 1636万人 ← 創価学会

②浄土真宗 1300万人

③曹洞宗   750万人

④真言宗系  730万人

⑤浄土宗   600万人

佛教不仅是日本的宗教,在精神生活和审美意识上也产生了重大影响。从佛教的无常观,萌生出了一种肯定瞬时变迁的人生态度,而禅宗又孕育了以闲寂为理想境界的茶道精神。现在,日本佛教的信徒人数大致如下:

日莲宗    1636万人

净土真宗   1300万人

曹洞宗(禅宗的一个分支)  750万人

真言宗    730万人

净土宗    600万人

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