决赛朗读文章(二选一):

①【日本民间故事】——《贫穷的富翁》

むかしむかし、ある村に、一人の貧乏な漁師のおじいさんが住んでいました。おじいさんには子どもが大勢いたので、働いても働いても貧乏でした。

この村には、とても大金持ちの長者も住んでいました。

ある日、長者がおじいさんをよんでごちそうをしました。長者はおじいさんを見ながら、うらやましそうに言います。
「わしも、じいさまの幸せにあやかりたいもんだ」

それを聞いたおじいさんは、首をかしげて
「おや?貧乏なわしなんかよりも、お金持ちに長者さまこそ、幸せではありませんか?」

と、いうと、長者は、
「いやいや、じいさまこそ、村一番の幸せ者だ。何しろじいさまは、人間にとって一番目の宝である健康と、二番目の宝である子宝が大勢いるんだからな。じゃが、わしは三番目の宝である、お金しかないじゃ。比べると、やっぱり村一番の宝持ちはじいさまだよ」

「なるほど、そいつはうれしいな」
おじいさんは大喜びで家に帰ると、おばあさんにその事を話しました。

そしておじいさんとおばあさんはさっそく、一番目の宝と二番目の宝のお礼をするために、お宮参りに出かけました。

さて次の日、海に出かけたおじいさんの舟は大漁でした。おまけに海辺でひろったたき木をわったら、なんと中から大判小判がざくざくと出てきたではありませんか。

ですが、おじいさんとおばあとんは、
「わしらは、一番目の宝と二番目の宝のある幸せ者じゃ。この上、三番目の宝まで手に入れたら、バチが当たってしまうわい」と、とれた魚を村人たちにごちそうして、おみやげに大判小判を一人一人に手渡したのです。

この時からおじいさんとおばあさんは、貧乏長者と呼ばれるようになったという事です。

②【演讲】——《乔布斯毕业演讲》(节选)

私が17歳のとき、私は次のような句を読みました。「もし、あなたが毎日を人生最後の日のように生きるなら、いつかまさしく、その通りになる。」それはとても私の印象に残りました、それ以来33年間、私は毎朝鏡をのぞき込み、自分に問いかけました。「もし今日が人生最後の日だったら、私は今日しようとしていることをしたいと思うだろうか?」と、そして、答えがNOの日が、何日も続くようなら、私は何かを変える必要があります。

自分はいずれ死ぬのだと考えることは、私が人生において大きな選択をするときに、自分を助けてくれる、今までに出会った最高のツールです。なぜなら殆ど全てのこと……即ち全ての外部の期待、全てのプライド、恥じをかくことや失敗への全ての恐れなど……これらの事は死を前にすれば、なんでもなくなり、本当に重要な事だけが残るからです。自分はいずれ死ぬのだと思うことは、あなたが失う何かを持っているという思考の罠を避ける最高の方法です。あなたは既に裸であり、自分の心に従わない理由はないのです。

(中略)

誰も死にたい人はいません。天国に行きたい人も死を望んではいません。それでも、死は皆が向かう終着駅です。死を免れた人はいません。そして、それはそうあるべきなのです、なぜなら死は生き物の唯一最高の革新だからです。それは生き物を循環させるものです。死によって古いものが新しいものに道を譲るのです。今、新しいのはあなたたちです。しかし、いつか遠からず、あなた達も次第に古くなり、とって代わられるでしょう。すこし過激な言い方で申し訳ありませんが、それは事実なのです。

あなたたちの時間は限られているのです、他人の人生を生きて、時間を無駄にしないでください。他人の考えた結果に振り回されて、ドグマの罠に陥らないでください。他人の意見の雑音に、自分の内なる声の邪魔をさせないことです。そして、最も大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなたの心と直感は既にあなたが真に何になりたいかを、とにかく、とっくに知っています。それ以外のことは重要ではありません。

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