おいしい为什么听起来比うまい优雅?

「おいしい」はもともと、味のよいことを表す「いしい」という「女房詞(にょうぼうことば)」で、頭に「お」がついたものだそうです。「女房詞」とは、室町時代の宮中の女官たちが使い始めた言葉で、おひや(=冷水)、おなか(=腹)、しゃもじ(=しゃくし)など、現代でも使われている言葉が少なくありません。時代が移って江戸時代になると、上品で優美な言葉として将軍家に仕える女性たちが使うようになり、さらに武家の女性たちに広がっていきました。

据说“おいしい”原本是由形容味道好的女官用语“いしい”在词头加了个“お”变化而来的。“女官用语”是室町时代宫中女官最先开始用的语言,其中有不少说法即便到了今天也还很常用,比如おひや(=冷水)、おなか(=肚子)、しゃもじ(=勺子)。随着时代的迁移到了江户时期,女官用语因其之优雅而被服侍将军府的女性们所使用,之后普及开来,连武家的女性们也开始用了。

江戸時代というと武士を頂点とする身分社会というイメージが強いですが、身分を超えて言葉が交流し混ざり合う状況でもありました。武家のお屋敷に町人の娘が奉公に上がり、上品な言葉やしつけを身に付けると、やがてそれを子どもや奉公人に教え、しつけていく。そうした過程を繰り返すうち、女房詞の流れをくむ言葉が武家から町人へ、女性から男性へと広がり、江戸の言葉の要素の一つになっていったと考えられています。

江户时期作为一个以武士为尊的阶级社会给人留下了深刻的印象,但当时人们交流使用的语言无关身份地位,十分混杂。商人之女入武家宅邸服侍,耳濡目染武家优雅的措辞及教养,之后又教给孩子及佣人们,并由此慢慢传授下去。如此来来回回,继承了女官隐语的语言便从武士阶层流入到商人阶层,从女性普及到男性,从而慢慢成为江户语言的一大要素。

明治時代に活躍した落語家の三遊亭円朝の語りの中にも「おいしい」が見出されます。時代、地域、社会の階層を超える、大きな川のような流れを感じませんか?「おいしい」がまとう上品さや「女性の言葉」のイメージは、「おいしい」がたどった歴史から生じています。では、江戸の言葉となった「おいしい」は、どのように各地に広がったのでしょうか。研究によると江戸の言葉は、関東の土着の言葉や女房詞のように関西から入った言葉など、様々な要素が混ざり合って新しく形成されたものだと考えられています。江戸時代、政治の中心としての影響力により、江戸の言葉は各地の知識層に広がりました。

我们在明治时期知名落语家三游亭円朝的话语中也能发现“おいしい”的身影。你能感觉到这超越时间、空间、社会阶层的隔阂,如大江般奔腾而来的潮流么?“おいしい”传递出的优雅味道及“女性用语”这样的印象源于它的历史。那么,成为江户用语的“おいしい”又是怎样传入各地的呢?据研究显示,江户语言混合了多种语言要素,比如关东土著语及像女官隐语这样从关西来的语言等,是之后新形成的一种语言。在江户时期,江户作为政治中心有着极大影响力,其语言也在各地的知识阶层中普及开来。

続いて明治時代に入ると、中央集権的な近代国家へと邁進するなかで、統一された国の言葉が必要とされ「標準語」が作られていきます。その際、「東京の教養のある人の言葉」が手本とされました。「標準語」は国定教科書を通して、教育により全国に広められていきます。さらにはラジオのようなマスメディアも登場してきます。こうして、江戸・東京の言葉が各地に広がりました。その中で、「おいしい」も、上品・丁寧な語感を伴いつつ広がっていったのでしょう。

接着进入到明治时期,日本逐渐向中央集权性质的近代国家迈进,作为统一的语言,“标准语”也开始慢慢形成。当时,“东京有教养人士的语言”成为了标准语范本。“标准语”通过国定教科书,以教育形式普及全国。之后还出现了广播这样的宣传媒介。就这样,江户·东京的语言开始蔓延向各地。而在这其中,“おいしい”也带着优雅·有礼貌这样的语感普及到全国各地了吧。

それだけに、「おいしい」は歴史の浅い、後発の言葉と言えます。そのため、「なじみにくい、東京の言葉」という反応が出るのでしょう。また、同じく紹介した【A】の意見の中にあった、男女とも「うまい」を使うという地域(北関東)は、「おいしい」が入り込んでいないため、「うまい」が普通の、特段ぞんざいとは感じられない言葉として使われているのでしょう。

正因为如此,“おいしい”才被称作是历史尚浅的后起之秀。所以才会有人说它是“难以适应的东京话”吧。另外,同时介绍的【A】意见中出现的“うまい”男女通用的地区(北关东),大概是由于“おいしい”尚未普及,所以人们才一直用着“うまい”,且并未觉得它有什么特别粗俗之处。

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