本文为日语知名口语学家笈川幸司原创,仅代表作者个人观点,仅供参考。

理不尽な世の中
“不讲理”的社会

我々一般の日本人は、他人を批判したり、他人の主張を批判するのが苦手のようだ。学校ではそういうことを習わないから仕方がない?それでも、もちろんわかっている。「他人を批判することは、結構かっこう良いことだ」と。
日本人似乎不擅长批评他人或者批评他人的观点。有一种说法是,因为日本的学校里没教过这个内容。即便这样,其实大家都心知肚明——“批评他人是件不错的事情”。

そういうわけで、中には子どもっぽい陰口にならないよう工夫をしながら大々的に他人に対する批判を繰り広げる人もいるが、そういう人もほとんどの場合、自分が批判される側に立たされた途端に脳みそが止まってしまう…。なぜかというと、日本人は、批判することもされることも慣れていないからだ、と私は見ている。
因此,有些人便开始琢磨如何避免像小孩子一样在人背后说坏话,堂堂正正地对别人进行批评。然而,这些人一旦自己沦为被批评一方通常脑子就会立刻停止转动。这是为什么呢?我觉得日本人对于批评与被批评都还不适应。

先日、大学を出たばかりの日本の若者たちにこんなことを聞かされ驚いた。最近の若者は、誰もが一度はいじめを経験していると…。いじめる側にも、いじめられる側にも一度くらい立たされたことがあるらしい。で、彼らが出した結論は、「いじめられるよりはいじめるほうが良い」とのこと…。私は絶句した。彼ら曰く、いじめられた経験から「理不尽さ」を知る。だからか、どうも自分の思い通りにいかない状況をすべて「理不尽」という言葉で片付けてしまう傾向があるようにも見える。相手を思い切り批判するまでは自分の思い通りと言えるが、批判された途端に「理不尽な世の中だなあ」と思ってしまう。いや、そう錯覚してしまう。
最近,我听到一些刚毕业的年轻人说:现在的年轻人都有过“欺负”的经历,欺负人也好,被欺负也好。听到这些我感到很吃惊。他们的结论是“欺负别人总比被欺负要好”。我一时词穷。据他们所说,从“受欺负“的经历中学会了“不讲理”。所以呢,只要是自己想不通的情况都喜欢用“不讲理”一言蔽之。能痛痛快快地批评别人那就是如自己所愿,而一旦被批评就会觉得“这真是个不讲理的社会”。我感觉,这应该是他们的错觉。

これは困った状況だと、恐怖感すら覚えた。そんなとき、日本のお笑い番組を見てヒントを得た。そこに、先輩芸人にあれこれ嫌味を言われたり、学校ならいじめに相当するひどい方法でやりこめられている後輩芸人がいた。彼は必死の形相ではあるものの、先輩芸人を怒らせることもなく、面白い「返し」によって、観覧席のお客さんや視聴者から笑いを取り、大衆からの共感を一身に受けていた。
这是因为他们的大脑只记住了受挫感甚至是恐怖感。关于这点,我从日本的搞笑节目中得到了启示。在节目中,有的新艺人会受到老艺人的挖苦,或者是相当于学校里的欺凌事件一样用很过分的方式被反驳。新人“拼死“相争,但是不会惹前辈生气,而是通过巧妙的回应博得观众一笑,从而在观众那里得到共鸣。

彼は、毎回先輩芸人たちに攻撃されているのだろう。それで、普段から防御策を練っているのかもしれない。いや、「お笑い」というのは、下準備がものをいう厳しい世界だ。間違いなく練っているだろう。もしそうでなければ、本番で次から次へと周囲を唸らせるような気の利いたセリフが飛び出すわけがない。それでも、本番で必死の形相になって闘うくらい、批判に耐えるには高度な技術が必要というわけだ。
新人为防范到老艺人的攻击,平时就要加强练习防范措施。“搞笑”本来就是一门“台上一分钟,台下十年功”的技艺。如果不这样,正式演出时,那些令人叫绝的段子就不会脱口而出。

さて、このような例を挙げると、「それはお笑い芸人だから」というひとことで話を終わらせようとする人がいる。しかし、批判に耐えることがお笑い芸人の仕事ではない。最初にも述べたが、我々一般の日本人は、他人を批判することにもされることにも慣れていない。だから、批判するほうは相手を傷つけることばかり言うし、誰かに批判された途端に「理不尽」という発想に直結し、頭がフリーズしてしまう。そして最後に、「批判されるより、批判する側に立ちたい」などという、わけのわからない結論に至ってしまうのだ。
到此,估计还是有人会说“那是因为是他们是搞笑艺人”。但是承受批评不是艺人们的工作。文章最初也提到了,日本人是不习惯批评他人或被批评的。批评总是会说些伤害对方的话,一但被批评就会大脑死机,直接下结论“不讲理”。所以最后会得出不合理的结论“与其被批评,不如批评别人”。

批判に耐える技を身につければ、他人を批判する方法も自然とわかってくるのだから、私たちはそういうことをもっともっと勉強するしかない。誰もがそうだが、社会で活躍しだすと、自分を批判する人が増えてくる。だから、若いうちにパワハラやアカハラなどで悩むのはいいが、簡単に落ち込んだりせずに防御策を練ったほうがいい。なぜなら、これからの厳しい社会で生き残る、或いは社会で活躍するには、他人からの批判に耐えられる資質がないとダメだからだ。
其实掌握了承受批评的方法,批评他人的方法也就自然而然学会了,所以我们只能这样不断地加强学习。无论是谁,走向社会后,听到的批判的声音就会日益增多。因此我的建议是,年轻人与其整日因侵犯和反侵犯而苦恼,不如好好研究防范措施。只有这样才能在残酷的社会中生存下去。或者说,如果没有承受他人批评的能力就无法在这个社会上获得更大的成功。

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