在上海的外滩上矗立着许多欧式建筑,而它们大多有着悠久的历史,有着自己的故事。而你是否知道,其中有许多建筑都与日本有着密不可分的关联,就让我们跟随作者一起去看一看吧!

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上海バンド 日系洋風建築探訪

上海・黄浦江の西岸に面した、蘇州河から延安東路までの南北おおよそ1.5キロの通りには、欧州風の建築物がずらりとそびえ立っている。上海バンドである。現在ではほとんどが、銀行やホテル、有名ブランドショップなどによって占められているが、1920年代ごろには多くの日本人が住み、芥川龍之介をはじめ、金子光晴、谷崎潤一郎、横光利一など日本の文人たちも、こぞって上海を訪れ、洋風魔都の雰囲気を謳歌していたのである。

上海外滩 探访日系西式建筑

位于上海黄浦江西岸、从苏州河延伸至延安东路南北长约1.5公里的大道上,矗立着许多欧式建筑。这里就是上海的外滩。虽然现在大多数的建筑都被用作了银行、酒店以及大品牌的店铺,但其实在20世纪20年代时,有许多日本人居住于此。以芥川龙之介为代表,金子光晴、谷崎润一郎以及横光利一等日本文人都曾纷至沓来,齐声讴歌了极具异域风情的魔都上海。

バンドでよく知られる和平飯店や税関ビルなどには、欧米の建物というイメージが付きまとうが、すべてがそうだとはかぎらない。さまざまな欧風建築物の中には、日本とかかわりの深いものもあり、いまなお黄浦江のほとりに静かにたたずみ、異彩を放ち続けている。

昨年末、上海日本人居留民研究の第一人者である陳祖恩・東華大学教授の案内で、バンドにある日本とゆかりのある建築物を探訪した。まず訪れたのは、延安東路の北側にある「上海総会」である。英国人用の社交クラブビルではあるが、室内設計は日本人建築士、下田菊太郎の手になるものだ。「上海総会」を出て広東路を渡ると、日清汽船とユダヤ人が共同出資して建てた「日清ビル」がある。今は「バンド5号」という高級レストランが入居している。また、広東路を西に向かって2、3分歩くと、四川中路の角に4階建てのビルがあり、それは三菱洋行(三菱商事)ビルであった。さらに進むと、福州路と四川中路の北西角に4階建ての赤レンガ造りのビルがある。そこは、いち早く中国に進出した三井洋行(三井物産)の社屋であった。

外滩上的和平饭店、海关大楼等知名大楼总给人以欧美建筑的印象,其实并不然。在各种各样的欧式建筑群中,也有与日本息息相关的建筑,现在也仍静静地在伫立在黄浦江畔,焕发着异彩。

去年年底,在上海日本侨民研究第一人——东华大学教授陈祖恩的引导下,我探访了外滩上与日本有着深刻因缘的建筑。我们首先来到的是位于延安东路北侧的“上海总会”。这里曾经是专供英国人活动的社交俱乐部,其室内设计却出自日本建筑师下田菊太郎之手。从“上海总会”出来,过了广东路,耸立在这里的是由日清汽船和犹太人共同出资建造的“日清大楼”。高级餐厅“外滩5号”就在这幢大楼里。沿着广东路向西走大约2、3分钟,可以看到在四川中路路口有一座4层楼高的大楼,那就是三菱洋行(三菱商事)的大楼。继续向前走,可以看到在福州路和四川中路交叉口的西北角有一座4层楼高的红砖建筑。那就是最早进驻中国的三井洋行(三井物产)的公司大楼。

福州路を渡った所にある上海浦東発展銀行ビルは、旧HSBC(香港上海銀行)ビルである。戦時中は、横浜正金銀行として使われ、戦後は上海市政府に接収された。もう少し北へ歩くと、中国工商銀行上海分行が見えるが、このビルは横浜正金銀行ビルであった。さらに北へ歩くと、目の前いっぱいに洋風の庭園が現れる。旧英国領事館である。それまでの街路喧噪が、ここでうそのようにピタリとやむ。バンドの起点は、実はここである。旧英国領事館の裏門を出ると円明園路である。低い欧風の建物と高い街路樹、そしてレンガ造りの教会のある町並みに立つと、まるで欧州にいるような錯覚すら覚えてしまう。

南蘇州路をバンドに戻る形で進むと、左側に築105年の外白渡鉄橋がある。「白渡」とは無料で渡れるという意味で、その橋の真ん中に立つと、黄浦江を一望できる。ここで蘇州河が黄浦江と合流する。よく観察すると、2つの河の色が微妙に違うことが分かる。

外滩福州路上的上海浦东发展银行大厦其实是原HSBC(汇丰银行)大楼。战时曾被横滨正金银行使用,解放后则由上海市政府接管。再向北走一会儿,可以看到中国工商银行上海分行,这幢大楼曾经是横滨正金银行大楼。继续向北走几步,就会看到一大片西式庭园,那就是原英国领事馆。刚才的喧嚣嘈杂一下子突然全都消失了。外滩的起点,其实是从这里开始的。从原英国领事馆后门出来,站在圆明园路上,低矮的欧风建筑和高耸的行道树,再加上砖瓦造的教堂构成的街景,让人不由产生出了一种仿佛身处欧洲的错觉。

从南苏州路朝着外滩方向往回走,在左手边可以看到已有105年历史的外白渡桥,“白渡”即免费过桥的意思。站在外白渡桥上,黄浦江景一览无遗。苏州河在此与黄浦江合流。所以,仔细观察的话甚至还能分辨出两条河流颜色微妙的差异。

川向こうの西本願寺

その橋の東詰めにある上海大廈を左へ曲がると、呉淞路である。その道の向こう側が、旧日本人居留地として知られた虹口エリアである。100年ほど前、日本人の多くはここに住み、日本人向けの商店街、病院はもちろん、寺社劇場まであった。乍浦路439号の本圀寺と、471号の西本願寺が、その代表である。特に西本願寺の外壁は、蓮の花の彫刻が有名である。

かつて、上海の日本人社会は「会社派」と「土着派」に二分されていたが、今は「駐在派」と、「和僑」を自称する起業家たちが目立つ

この全行程2時間のタイムスリップは、私たちをしばし往時に引き戻す。しかし、あまりに不安定な現下の日中を巡る情勢は、すぐに私たちを現実世界に引き戻そうとする。

河对岸的西本愿寺

外白渡桥的东端是上海大厦,从上海大厦向左拐就来到了吴淞路。而这条路的对面就是因日本人居留地而为人所熟知的虹口区域。约100年前,有许多日本人在此居住,日本人的商店街、医院自不用说,令人惊讶的是连寺院和剧院也一应俱全。其中最具代表的就是位于乍浦路439号的本圀寺以及471号的西本愿寺。特别是西本愿寺外墙的莲花雕刻非常有名。

曾几何时,上海的日本人社会分成“公司派”和“扎根派”,如今,“驻在派”、和以“和侨”自居的创业家,成为了注目的对象。

这趟全程2小时的时空隧道之旅令人暂时沉浸在过去的追忆。但是,眼下笼罩在中日两国之间的动荡形势,却又要把我们拉回到现实。

(本文作者:张厚泉 东华大学日语系系主任教授。1988年留学日本,在日本先后获得学士、硕士、博士学位。日本国立国语研究所第20期日语教学长期研修生。2003年回国后,任东华大学日语系主任、国际交流学院院长助理。现任中国日语教学研究会常务理事、上海分会副会长。)

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