芥川奖的遗珠

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第1届芥川奖:太宰治——备受挫折的文学之路

刺す。そうも思った。大悪党だと思った(川端康成の選評に対して)

甚至想杀了他。我觉得他是个大坏蛋。(针对川端康成的评语而发)

候補にはなったが受賞を逃した太宰治について、選考委員の川端康成は、「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と選評に書いた。「厭な雲」というのは、当時、太宰が腹膜炎の治療に使った麻薬性鎮痛剤の中毒になり、すさんだ生活を送っていたことを指していた。太宰は「実生活ではなく文学作品としての価値で判断すべきだ」と怒り、雑誌『文藝通信』に「川端康成へ」と呼び捨てで、「事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。(略)刺す。そうも思った。大悪党だと思った」という抗議文を投稿!しかし、当時は「一度候補になった作家は以降の候補にしない」という決まりがあり、太宰の芥川賞受賞の夢が叶うことはなかった。

对于入围却未能获奖的太宰治,评委川端康成给予了这样的评价:“作者目前的生活乌烟瘴气,使得其才能无法尽情发挥,甚为遗憾。”“乌烟瘴气”显然是指当时,太宰治因腹膜炎治疗使用麻醉性止痛药过量上瘾,生活颓废一事。太宰治愤慨不已,他认为“评价一个作家,不应以作者本人的现实生活,而应以其文学作品的价值为标准”。因此,太宰治写了一篇名为《致川端康成》的抗议文,投给了《文艺通信》杂志,在文中对川端康成直呼其名。内容大意是,“老实说,我愤怒至极,好几个晚上都睡不著。(略)我甚至想杀了他。他简直就是个大坏蛋。”但是,由于当时规定“不允许曾经提名的作家再次提名”,太宰治最终未能圆梦芥川奖。

推理小说大师

第28届芥川奖:松本清张——永井龙男的慧眼识珠

直木賞候補作で芥川賞受賞

直木奖入围作品获芥川奖

もともとは直木賞候補に上がっていた作品だが、選考会のとき、選考委員の永井龍男が「芥川賞に回したらどうか」と提案、芥川賞に移され、見事受賞となった(当時は直木賞の選考会の2日ほど後に芥川賞の選考会が行われていた)。芥川賞選考委員の坂口安吾は、「この文章は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり」と選評に書いており、その後、推理小説の分野で活躍する松本清張の才能をズバリと見抜いていた。

松本清张的《一部小仓日记》本来入围的是直木奖,但在评选委员会上,评委永井龙男提议“把它移到芥川奖之下,如何?”。因此,它被转至芥川奖的评选,并成功地摘得桂冠(当时,芥川奖的评选会于直木奖评选会的两天后举行)。芥川奖的评委坂口安吾评价道:“这篇文章有一种游刃有余的力量,仿佛是掌控了杀人犯的行踪一般。”之后,活跃在推理小说领域的松本清张的才能很快就显现了出来。

小投资 大回报

第34届芥川奖:石原慎太郎——被遗忘的作家身份

最少の投資で最大の利潤を挙げたみたいなもの

以最少投资、换取最大利润的作品

この時点での最年少、23歳だった石原慎太郎の受賞は大きな話題となり、芥川賞の名を一気に広めた。「九時近く知人の新聞記者からの電話で受賞を知らされた時は、突き抜けるような嬉しさが體を走った。(略)この作品はこれで、最小の投資で最大の利潤を挙げたみたいなものだから、夢はこれからの作品だと言うことを僕自身が誰よりも感じる」(受賞の感想)石原慎太郎はかなりの悪筆だったそうで、作家になった当初は原稿用紙1枚10円で弟の石原裕次郎が清書を請け負っていた。

当时,23岁的石原慎太郎作为史上最年轻的获奖者,成为一时话题,一举提升了芥川奖的知名度。“将近九点,接到报社记者朋友来电,得知自己获奖之时,喜悦之情无以言表。(略)因为这部作品是以最小的投资赢得了最大的回报,因此,我比谁都清楚,今后的作品才是梦想的真正开端。”(获奖感言)据说石原慎太郎的字写得非常不好,成为作家后,起初是以一张稿纸10日元的价格请弟弟石原裕次郎代为誉清。

美少女获奖者

第130届芥川赏:绵矢莉莎、金原瞳——新生代文学少女问鼎

19歳と20歳の若き美女のW受賞に話題沸騰!

19岁和20岁的年轻美女共同获奖,名声大噪!

2人の受賞作掲載の『文藝春秋』は118万5000部という驚異的な売上を記録。「付き合う人で生活パターンはかなり変わるんですが(笑)、どんな生活をしていても書く行為は欠かしませんでした」(金原ひとみ・受賞者インタビュー)、「私は何をするにしても遅い。そやから書いていくペースはもうちょっと早くしたいです」(綿矢りさ・受賞者インタビュー)。

刊登两人获奖作品的那期《文艺春秋》创下了118万5000本的惊人销量。金原瞳在接受采访时笑着说道,“由于人际圈子不同,我们的生活模式也不同,但无论过着怎样的生活,写作都是不可或缺的。”绵矢莉莎则说:“我做什么都很慢。所以我想加快写作的节奏。”

守得云开见月明

第134届芥川·直木奖:丝山秋子、东野圭吾——阳光总在风雨后

「芥川賞は足の裏に付いたご飯粒」:絲山秋子

“芥川奖就像粘在脚底的饭粒”:丝山秋子

「落ちるたびにヤケ酒飲んで、選考委員の悪口言ってた」:東野圭吾

“每次落选就会喝闷酒,讲评委的坏话”:东野圭吾

6回目(東野)、4回目(絲山)の候補での各賞受賞。「落ちるたびにヤケ酒飲んで、選考委員の悪口言ってた。面白いゲームやったな。勝ててよかった。今日?ヤケ酒飲んでた仲間と『直木賞はすごい』とホメながら飲みます」(東野圭吾・受賞会見)。「芥川賞は足の裏に付いたご飯粒みたいで、取れないと気持ちが悪い。やっと、のどの小骨が取れた感じ。今回取れなければ、今後候補を辞退しようと思っていた」

东野圭吾在第六次入围直木奖时获奖,丝山秋子则是在第四次入围芥川奖时获奖。东野圭吾在记者招待会上说:“每次落选就会喝闷酒,讲评委的坏话。(直木奖)可真是一场好玩的游戏啊!赢了真好。问我今天会做些什么?我会一边喝闷酒,一边向同伴们称赞直木赏真是太棒了。”丝山秋子则表示:“芥川奖就像粘在脚底的饭粒般,得不到心中不快。终于得奖了,感觉像是取出了卡在喉咙里的刺一样。我原本打算这次如果没得奖,今后就拒绝入选的。”

特立独行的作家

第146届芥川奖:田中慎弥——既来之,则受之

もらっといてやる

这个奖我暂且收下了

「たしかシャーリー・マクレーンがアカデミー賞で『私がもらって当然だと思う』って言ってたそうですが、まぁだいたいそういう感じです。4回も落っことされたあとですから、ここらで断ってやるのが礼儀といえば礼儀ですが、私は礼儀を知らないので。もし断ったって聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで、都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる、です」

“听闻雪莉·麦克雷恩在获得奥斯卡金像奖时曾说过:‘我得到这个奖是理所当然的’。我现在的想法也差不多如此。我已经落选四次了,或许现在拒绝领奖才符合礼仪,但我从来不懂礼仪。如果那些小心眼的评委们听说我拒绝领奖而晕倒,导致市政混乱的话就不好了。为了东京都知事阁下和各位市民,这个奖我就暂且收下了。”

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