二分法を疑うこと

二分法需要怀疑

「文学を勉強して何の役に立つの?」「文学は〈実〉の世界で役に立たない虚学じゃないか?」という質問をしばしば耳にします。役に立たない虚学だからこそ面白いんだ、とやけ気味に答える人もいます。でも、役に立つか役に立たないか、虚学か実学か、物事を単純な二分法で発想してしまうことが、思考をせばめ、大切な問題を隠してしまうのです。文学はこうした二分法、二項対立的な考えを支えている前提こそ疑い、突き崩します。

“学习文学有什么用吗?”、“文学不是对‘现实’的世界毫无作用的虚学么?”这样的质问常常在耳边响起。正因为是没有作用的虚学才有意思,这么自暴自弃回答的人也是有的。但是,有用无用,虚学还是实学,把任何事情都简单地一分为二的想法会造成思想的狭隘化,将真实的问题掩盖。文学正是对支撑该二分法、二项对立思考的前提的怀疑和破坏。

そこから新たな着想が生まれ、私たちの日常的な〈生〉の感覚をタフに更新していくのです。

这样才能产生新的立意,使我们更加坚定在日常生活中获得重生的感觉。

オリジナルな問いへ

提出创新的问题

この世の中には、性急な答えになじまない問題がたくさんあります。問い/答えがいつもセット化されて、二進法の機械のように進むものがすべてではありません。そうしたメカニックな思考法に「何か変だぞ」と感じる日常的な違和感にこそ、文学は創造的な発端見いだすものです。そこから創意に満ちた問いが立ち上がります。真にオリジナルで魅力的な問いには、すでに答えが内包されているものです。だから、何より問いのセンスが大切なのです。文学は人間が常に何かを考えたり、感じたりしながら日々を生きる〈現場〉に、生新な問いを発していくものです。

在这个世间,有很多问题无法过早下结论。“提问——回答”总是模式化,就像二进制的机器一样,其实并不是任何事情都是这样发展的。对于这样机械工人般的想法,我们总觉得“哪里很奇怪呀”,与日常生活感觉很不协调,正是在这种不协调中文学发现了创造性的源头。从此,富有独创见解的提问才被摆上日程。真正原创的、独具魅力的提问,是会将答案全部蕴含在其中的。因而,提问的感觉比什么都重要。文学,便是人们平常在思考、感受的同时,在日常生活中不断发现新的问题。

危機に寄り添って

危机四伏

私たちはときに名づけようのない強い感情の湧き起こる現実にぶつかります。言葉の無力も感じたりもします。しかし、いつでも文学は人間のあらゆる危機に寄り添ってきました。二十世紀を代表するアイルランドの文学者サミュエル・ベケットは、「世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにも当てはまるよ」と、ある登場人物に言わせています。

现实会引起我们强烈的无可名状的情感,我们有时候会与这样的现实发生碰撞,也会感觉到言语表达之无力。然而无论何时,文学总是贴近了人类所有的危机。二十世纪的爱尔兰文学家代表塞缪尔·贝克特的作品中,曾有个角色说了这样一句话:“世界上眼泪的总量是一定的。因此,每次有谁在哭泣的时候,另一个地方必定有人停止哭泣。同理,欢笑也是一样的。”

涙も笑いも、実は私たちすべての者が分かち持っているのです。

眼泪也好笑容也罢,实际上,我们承担着所有的一切。

人間が何かを考え、感ずる限り、文学はその存在と不即不離の関係にあると言えるでしょう。

人们的所思所感,可以说都与文学有着若即若离的关系。

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