先日ある中級レベルのクラスでこんなやりとりがあった。「きのう何をしましたか」・「ラストサムライを見に行きました。先生、ケン・ワタナベを知りますか」である。「うーん」これは日本語教育において教師がはまりやすい落とし穴のひとつである。

前些天,在中级日语班里进行了这样的对话。“你昨天做什么了”・“去看《最后的武士》了。老师,你知道渡边谦吗”。嗯……这在日语教育上是教师很容易掉入的一个陷阱。

我々日本人は「~を知りますか」などとは絶対言わず、質問文の場合「~を知っていますか」を必ず使う。こんなことごく当たり前のことだが、しかし日本語学習者にしてみれば、「行く」は「行きますか」、「見る」は 「見ますか」と勉強したので当然「知る」は「知りますか」を使ってしまう。必ず質問文には「知っていますか」を用いて、例えば「田中さんの電話番号を知っていますか」と教えなければならない。

日本人绝不会说“~を知りますか”等句子,在提问的场合肯定用“~を知っていますか”。这种事情是理所当然的,但在日语学习者看来,因为学过“行く”的疑问句是“行きますか”、“見る”的疑问句是“見ますか”,那么想当然的就把“知る”的疑问句说成了“知りますか”。必须要告诉学生的是,疑问句的时候,一定要用“知っていますか”,例如“田中さんの電話番号を知っていますか”(你知道田中的电话号码吗)。

しかしまだまだ落とし穴が待っている。このように教えると、その答えは「はい、知っています」、「いいえ、知っていません」となってしまう。「はい」の場合は問題ないが、「いいえ」の場合「知っていません」はちょっと気になる。状況によっては使えなくもないが、何となくつっけんどんな応対になってしまい、日本語教師としてはあまり教えたくない。このようにこの「知る」という動詞はとてもややこしい。質問文は「~を知っていますか」であり、その答えは「はい、知っています」、「いいえ、知りません」と教えなければならない。

但是还有陷阱在后面等着。这样告诉学生后,学生会回答“はい、知っています”、“いいえ、知っていません”。“はい”的这句没什么问题,但是“いいえ”的这句“知っていません”就不太合适了。根据状况的不同也不是不能用,但总觉得是有些生硬的回答,作为日语教师不太想教学生这句话。如此这般,“知る”这个动词真的是很复杂。疑问句“~を知っていますか”的回答必须是“はい、知っています”、“いいえ、知りません”。

そしてこの「知る」に「分かる」という動詞が絡んでくると更にややこしくなってくる。微妙な意味の違いも意識してもらわなければならないが、とりあえず「知る」は助詞が「を」、「分かる」は「が」と教えているのだが使い方もいろいろややこしい。

“知る”的用法已经够复杂了,再加上动词“分かる”,会变得更复杂。虽然必须要意识到它们微妙的意思差别,暂且先告诉学生,“知る”前要用助词“を”,“分かる”前要用助词“が”。

「知る」の場合は「~を知っていますか」だが、「分かる」の場合は例えば「日本語が分かっていますか」よりは「日本語が分かりますか」のほうを教えたい。でも「知る」は「知っていますか」と勉強したのに「分かる」は「分かっていますか」がどうしてダメなのか、生徒さんの気持ちもよく分かるのだが……。確かにこの「分かっていますか」を使うと我々日本人は「そんなこと分からないのか」と何となくとがめられているような感じがして……、例えば「添付の仕方、分かっていますか」などであり、やはり使わないほうが無難である。

“知る”的疑问句是“~を知っていますか”,而“分かる”的疑问句,比起用“日本語が分かっていますか”,用“日本語が分かりますか”更符合日本人的习惯。但是“知る”是“知っていますか”,那为什么“分かる”就不能用“分かっていますか”呢,我很理解学生的这种疑问……。确实,如果使用了“分かっていますか”这句话,日本人会觉得有“连这点儿事情都不知道吗”的责难的感觉。例如“你不知道添加的方法吗”等,果然还是不要使用比较安全。

更にその「日本語が分かりますか」の答えもいろいろ複雑である。基本的には「はい、分かります」と教えているのだが、「はい、分かっています」との違いは……。この「分かっています」は「そんなことは当たり前、今更質問されたくない」こんな気持ちが含まれているので何となく失礼な感じがする。でも日本語上級者には、もし「日本語が分かりますか」などと質問されたら「はい、分かっています」と答えてもいいですよと教えなければ……。

再者,对“日本語が分かりますか”的回答也很复杂。一般是用“はい、分かります”,但是要说和“はい、分かっています”的区别的话,“分かっています”包含“这种事是理所当然的,不想被问到这种问题”的意思,有点失礼的感觉。但是我要告诉日语高级水平者,如果被问到“日本語が分かりますか”等问题,回答“はい、分かっています”也是可以的。

また自分ではコントロール出来ない決まりごとなどには「分かります」より「分かっています」が使われる。例えば「明日から夏時間、分かっていますか」であり、その答えも「はい、分かっています」のほうが自然である。もちろん言葉であるから言い方や表情、更にはお互いの関係などによって変わってくるのも当然である。「~わかっている?」・「わかっているよ」この会話、恋人同士と熟年夫婦ではずいぶん雰囲気が違ってしまうのでは……。

另外,对于自己不能控制的既定的事情等,比起“分かります”用“分かっています”更合适。例如“明日から夏時間、分かっていますか”(明天开始是夏令时间,你知道吗),回答“はい、分かっています”比较自然。当然因为是语言,其含义根据说话方式、表情,甚至相互关系的不同也会发生变化。“~わかっている?”・“わかっているよ”这样的对话在恋人间和老夫老妻间的感觉会完全不一样……。

上級者は「さしあげる」という敬語を使えば全て大丈夫と思ってしまうのだが「席を譲ってさしあげます」は逆に皮肉さえ感じてしまう人も多い。ここが上級者には文化が絡んだとても大きな落とし穴である。

一些日语进阶者觉得只要使用了“さしあげる”等敬语就一切OK了,但是“席を譲ってさしあげます”(把座位让给你)这句话,很多人反倒会觉得有讽刺意味。这里对于日语进阶者来说,语言和文化纠缠在了一起,是一个很大的陷阱。

このように「丁寧に話す」ということは尊敬語や謙譲語を正しく使えるだけではなく、様々な文化的な決まりごとも理解してもらわなればならない。授業が終わったあと「先生、授業ご苦労様でした」。うーん、目上の人に「ご苦労様」というねぎらいは……。

像上述那样,“礼貌的说话”不单是指要正确使用尊敬语和谦让语,还要理解各种各样的文化背景、常规定例等。课堂结束后,学生对我说“先生、授業ご苦労様でした”(老师,上课辛苦了)。嗯……,对长辈说“ご苦労様”的慰劳的话不太好吧……。

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