第3問

次の文章を読んで,後の問い(~)に答えよ。(配点 50)

 昔,(注1)天竺(てんぢく)の須達(しゅだつ)長者,老後に福報おとろへて,世をわたる計略もつきはてて,年来の(注2)眷属(けんぞく)一人もなし。ただ夫妻二人のみになりにけり。財宝はなけれども,さすがに空倉はあまたありけり。もしやとて倉の内をさがすほどに,(注3)栴檀(せんだん)にてさしたる斗(ます)を一つ求め得たり。これを米四升にかへて,これにて二三日の命をばつぎなんと,うれしく思へり。須達は別事によりて他行しぬ。そのあとに,(注4)舎利弗(しゃりほつ),須達が家に到(いた)りて(注5)乞食(こつじき)し給(たま)ふ。須達が妻,四升の米を一升分けて供養し奉る。その後,目連(もくれん)・葉(かしやう)来たりて請ひ給ふ。また二升奉りぬ。その残り一升になりぬ。これだにあらば,今日ばかりの命をばつぎなんと思ふほどに,また(注6)如来(にょらい)到り給へり。惜しみ申すべきやうもなし。やがて供養し奉る。さても須達が外へ出(い)でつるが,疲れにのぞみて帰り来たらんとき,いかがはんと思ふもかなしく,また,仏僧を供養し奉ることも時にこそよれ,我が命だにもつぎがたきをりふしに,四升ながら皆奉ること,しかるべからずと,須達にしかられんことも,あさましくおぼえて,泣き伏したり。さるほどに,須達外より帰りて,その妻の泣き伏したるをあやしみて,その故を問ひけるに,その妻ありのままに答ふ。須達これを聞きて申すやう,「(注7)三宝(さんぽう)の御ためには身命をも惜しみ奉ることあるべからず。ただいまやがて餓死に及ぶとも,いかで我が身のためとて物を惜しみ奉ることあらんや。ありがたく思ひよれり」と感嘆す。その後,もしまた先の斗ふぜいの物もあるやとて,空倉に入りて求めんとすれば,倉ごとにその戸つまりてあかず。あやしみて戸を打ち破りて見ければ,米銭,絹布,金銀等の種々の財宝,もとのごとく面々の倉に満ち満てり。そのとき眷属もまた集まりて,もとの長者になりにけり。
 かかる福分の再び来たれることは,四升の米のかはりに,仏のあたへ給へるにはあらず。ただこれ須達夫妻ともに無欲清浄なる心中より来たれり。末代なりとも,もし人かやうに無欲ならば,無限の福徳やがて満足すべし。たとひ生まれつきにかやうの心なくとも,小利を求むる心をひるがへして,須達夫妻が心をまなばば,何ぞかやうの大利を得ざらんや。須達が心をばまなばずして,ただかれがごとく楽しみを得んと思ひて,欲情のままに福を求めば,今生(こんじやう)に求め得たる大利のなきのみにあらず,来生(らいしやう)はかならず(注8)餓鬼道(がきだう)に入るべし。(夢窓疎石『夢中問答集』による)

(注)
1. 天竺の須達長者―「天竺」はインドの古称。「須達」は富豪の名。
2. 眷属―従者たち。
3. 栴檀にてさしたる斗―栴檀で作った斗。「栴檀」は今のビャクダンで,香木の一種。
4. 舎利弗―釈(しゃか)の十大弟子の1人。後の「目連」「葉」もそれぞれ釈の十大弟子の1人。
5. 乞食―僧が修行のために人家を回って食物を請うこと。 托鉢(たくはつ)
6. 如来―釈のこと。
7. 三宝―仏教の教主である仏,その教えの内容である法, その教えを奉ずる集団である僧の三つを,宝にたとえたていったもの。
8. 餓鬼道―仏教でいう六道(生前の行いの報いとして死後に行くという六種の世界)の一つ。地獄道についで苦しい所で,常に飢え渇きに苦しむという。



傍線部~の解釈として最も適当なものを,次の各群の~のうちから,それぞれ一つずつ選べ。解答番号は~。

世をわたる計略

代々受け継がれる秘策
生計を立てる手段
世間にもてはやされる秘訣(ひけつ)
世間の人とうまく付き合う方法
来世で安楽に過ごす算段

四升ながら

四升しかないのに
四升だけではあるが
四升も得ていたのに
四升ずつ
四升ともすべて

しかるべからず

あってはならない
あるはずがない
しかたがない
とがめてはならない
しなければならない



傍線部「なけれども」,「ん」,「よれ」,「すれば」,「求めば」の各語を,それぞれの活用形によって二つに分類するとどのようになるか。その組合せとして最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

〔 〕と〔 〕
〔 〕と〔 〕
〔 〕と〔 〕
〔 〕と〔 〕
〔 〕と〔〕
〔 〕と〔〕



傍線部「これだにあらば,今日ばかりの命をばつぎなん」の解釈として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

まだこんなにあるのだから,今日一日は生き長らえることができるだろう。
せめてこれだけでもあれば,今日一日は生き長らえることができるだろう。
ともかくこんなにあるのだから,今日一日は生き長らえさせてほしい。
たかだかこれくらいあったからといって,今日一日生き長らえることができようか。
仮にこれさえあったならば,今日一日は生き長らえることができただろうに。



傍線部「あさましくおぼえて」とあるが,この時の妻の心情を具体的に説明したものとして最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

托鉢に応じるのも場合によりけりだと,帰宅した夫から叱責(しっせき)されることを懸念して,嘆き悲しんでいる。
自分の命さえ危ういときに布施などすべきでないという夫の言葉を思い出して,托鉢に応じた軽率さを悔いている。
釈やその弟子ともあろう人たちが残りわずかな米を持って行ってしまったことが心外で,恨めしく思っている。
貴重な米を持って行ってしまった釈やその弟子たちに対して,夫が激怒するだろうと,深く憂えている。
せっかく手に入れた米を布施してしまったことを強欲な夫はとがめるだろうと,情けなくやりきれない思いでいる。



傍線部「ありがたく思ひよれり」という須達の言葉についての説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

疲れて帰ってくる自分のことを気づかってくれた妻の優しさに,深く感謝している言葉。
妻が釈やその弟子たちのために物を惜しまず布施したことを,大いに賞賛している言葉。
将来自分たちに大きな福が与えられることを予期して,仏に深く感謝している言葉。
釈やその弟子たちが順次妻を導いてくれたことに対して,心から敬服している言葉。
往生を遂げられるようにと物を惜しまなかった妻の賢明さに,すっかり感心している言葉。



筆者は須達夫妻の例話を通してどのような考えを述べているか。最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

須達夫妻の富は仏が与えたものではなく,彼ら自身の心のありようから生じてきたのであるから,この例によく学んで,仏に頼らず自身の心をひたすら磨けば,現世でも来世でも福を得ることができるであろう。
貴重な米を惜しみなく布施した須達の妻の心と,そのいきさつを知ったときの須達の心がぴったり一致したように,夫婦の心がよく調和していれば,現世においても来世においても幸福が得られるであろう。
はじめは惜しむ心がありながら,米を布施することを繰り返すうちにだんだん欲がなくなっていった須達の妻のように,生まれつき貪欲(どんよく)な者であっても,信心によって無欲になることで福を得る可能性はあるであろう。
須達夫妻に富がもたらされたのは,当座の命をつなぐのに必要なものさえも惜しみなく布施する清廉な心を持っていたからであり,そのように真に無欲であれば,現世で大きな利を得ることもできるであろう。
須達夫妻の教訓に学んで真に無欲になりえたとしても,あるいは生来の貪欲さを持ったままであったとしても,いずれにせよ現世で巨万の富を得た者は必ず来世において苦しまなければならないであろう。


  問19 問20 問21 問22 問23 問24 問25 問26
正解 2 5 1 4 2 1 2 4
配点 5 5 5 6 7 7 7 8