第2問

次の文章は,如月小春(きさらぎこはる)の小説「子規からの手紙」の一節である。これを読んで,後の問い(~)に答えよ。
(配点 50)


シナリオライターである「私」は,テレビ番組の制作会社に勤める「M君」から,「シキ」(正岡子規)がロンドン留学中の夏目漱石へあてた手紙をもとにシナリオを書いてほしいと依頼された。そこで「私」は「M君」の案内で東京の根岸に残る子規庵を訪ねることになった。

 「すいません,すいません」
 M君は家の奥に向かって声をかけた。ガラス戸がぴっちりしまって,その中には白いカーテンがひかれている。
 「おかしいな。さっきまであいていたのに。ちょっと見て来ます」
 M君が来た道をまた玄関の方へ戻ってゆく。私は一人残されて,秋の,枯れた庭の,ススキだけが隣家の屋根越しの朝の光を受けて輝くあたりを歩いた。不思議な感じがした。振り仰げば,葉をおとした枝の鋭角的なラインに切り取られた空,その空にホテルの看板の踊るようなアルファベットが浮かんでいる。……なのにブロック塀にかこまれたこの庭だけは,そこだけが独立した小宇宙のように草木が密生し,さわさわと揺れている。ここだけ,時が止まっているのだ。いつの頃(ころ)からか,止まっているのだ。周囲の風景が激しく移り変わる時節にも,ここではそんなあわただしさとは無縁の,植物たちのささやかな生の営みが淡々と繰り返されていたのだろう。そしていつの頃からか,ここだけは,その外側に広がる巨大な都市に流れているのとは別の時間に属し,小さな宇宙のように独自に息づくこととなった。こんな場所があるのだ,まだ,あるのだ。ふいに,草木の葉の一つ一つ,細い枝の一本一本を撫(な)でたい衝動にかられた
 家は横に長くニ間が続き,その右手に新しく継ぎ足したように二階家が建っている。そこからL字に折れて,少し離れたところに白い土蔵。塗り直されてはいるが,出来たのはだいぶ前のものであることが,下端の石組みの土中にめり込むような風情から感じられる。ニ間の内,むかって右側の方には狭い濡(ぬ)れ縁がついており,その前には木の棚がしつらえられていて,ひょろりひょろりと枯れたへちまがぶら下がっている。
 ああ,ここが,と思う。あの写真。縁側で横座りになったシキの。あの場所だ。
 シャシャッと音がしてカーテンがあいた。えんじの毛のショールをはおった小柄な中年の女性が,ねじをまわし,ガラガラとガラス戸を押しやる。その横にM君。
 「どうぞ,こちらからお上がり下さい」
 膝(ひざ)をつき,丁寧にお辞儀をされる。うながされて,靴を脱ぎ,磨き込まれた木の廊下にあがる。足裏がひんやりとする。
 「あとは勝手にやりますから」
 M君が言う。女の人は軽く会釈して,すっと障子の向こうに消えた。
 「あの人は週に何度か来て,ここの管理をしているんです。ここはね,一度戦災にあって,土蔵以外は全部焼けているんです。それをある人が,かつてと同じように建て直し,庭までも再現して。だから,建物は昭和のつくりなんですけどね,実は」
 濡れ縁のガラス障子をあけると,畳敷きの六畳間である。

 (注1)病牀(しょう)六尺,これが我(わが)世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。

 狭いと思ったのは,天井は低いせいか。畳には並んで立っているM君と私の影が,黒々とのびている。よほど日の射(さ)し込むつくりなのだろう。
 「寝てみませんか。」
 とM君が言った。
「頭はこっち,そして窓の方を向く」
 横たわると畳がみしみしと鳴った。妙な具合である。他人が死の床とした同じ場所で同じ姿勢に横たわるのは。

 (注2)わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが,布団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。

 六年間も横たわったままで生き続けるというのは,どんな感覚なのだろう。手を伸ばしてみる。畳のつるつるした目を指先でこすってみる。天井が遠い。ふすまが遠い。次の間などは別の世界である。言問(こととい)通りも駅も満員電車も,はるかかなたの,二度とは目にすること,触れることもない,封印された記憶に変わる。虫ピンでとめられた昆虫のように,羽はもはや羽でなく,世界の広がりを,その風に逆らって飛ぶ感覚の高揚と緊迫によって確かめることも出来ない。
 自然に目はガラス障子の向こう側,庭の方へと吸い寄せられてゆく。庭,朝の光を受けてさわさわと輝く生命の群生。一枚一枚の葉の微細な形状の異なり。光を受ける側と影となる側の色合いの差。しなだれ,重なりあい,またほどけるさま。葉影がガラスにつくりだす絵面(えづら)。細部から,更に細部へ。-このように見たのだろうか,あの激痛の中で死につつあった人は。このように,毎日,毎日,輝く庭を。雪の日,春の嵐(あらし)の日,雨の続く夏,花々の,枯れ枝の,葉虫たちの,小宇宙を-。
 息苦しくなった。目を閉じた。すると,音だ。水を流す音,パタパタと駆け出し,あれは子供の呼ぶ声。ドアを閉める。女たちの話し声。テレビが笑っている。クラクション。鳥。犬。右翼の街宣車が。歌。また水の音。それらの底に,通奏低音のようにブォーンと低く分厚い音のかたまりがある。この街の,ありとあらゆる生産と破壊,人と機械の,あてどもない生活が,風の中で鳴っている。この私が虫ピンでとめ置かれた場所と,はつなっがているのだ。同じ大地の上,風の中,見ることはかなわないが,確かにそれらはあり,あることを音として伝えてくる。にも生命がある,あるのだろう動き,変化し,新たな産業が生まれ,思いもかけないような発見が世界の形を変え,人々が走り,抱き合い,殺し合い,ひれ伏し,仰ぎ見ては祈る。そんな場所が,この先に。

 (注3)若(も)シ書ケルナラ僕ノ目ノ明(あ)イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ。

 見えない,けれど,確かにあるものたちの気配。泡立ち,沸騰しているのか,それとも澱(よど)み,朽ち果てているのか,想像だけが肥大して,脳が膨張する。体験を拒絶されると拒絶の強度に応じて,憧(あこが)れが強まるのか,そうして脳を膨らませるだけ膨らませて彼は死んでいったのか。
 電車が。
 目をあけると,枯れ木の間,ブロック塀の上のわずかな間隙(かんげき)を,山手線が走り抜ける,のが見えた。ニ,三秒。遠い遠い世界の出来事のように。シキは,きっと乗りたかったに違いない。幾十年,幾百年も生きて,満員電車の人いきれの中で,ゴロゴロと肉や野菜のように揺られてみたかったに違いない。

 起き上がる。
 あれほど遠く巨大だった世界がするすると縮み,輝く小宇宙だった場所は,ただの枯れて雑然とした庭になった。
 「行きましょうか」
 M君が言った。
 あ,猫。
 「え?」
 黒い,全身黒い毛でおおわれた猫が,土蔵の陰からこちらをうかがっている。金の目の。右の前足を踏みだしたままの格好で。だがすぐに,すっと身を引き。靴をはいて追っていったM君は,見つけることが出来なかった

(注) 1,
2―正岡子規『病牀六尺』の一節。『病牀六尺』は明治三十五年五月五日から死の直前の九月十七日まで書き続けられた。「病牀」は「病床」と同じ。
3―子規が留学中の漱石へあてた手紙の一節。手紙は明治三十四年十一月六日に書かれた。



傍線部~の語句の本文中における意味として最も適当なものを,次の各群の~のうちから,それぞれ一つずつ選べ。解答番号は~。

不思議な感じ

誰(だれ)かに見張られている感じ
何かに追い立てられる感じ
ふいに閉じ込められた感じ
一人だけ取り残された感じ
別世界に引き込まれた感じ

封印された記憶

思い出したくない世界
思いもよらない世界
思い出すしかない世界
思い焦がれる世界
思い出にひたる世界

あてどもない

ぼんやりして頼りない
人情味がなくて素っ気ない
散漫で落ちつかない
雑然として先が見えない
活気がなくて物足りない



傍線部「ふいに,草木の葉の一つ一つ,細い枝の一本一本を撫でたい衝動にかられた」とあるが,「私」がそのように思ったのはなぜか。その説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

あわただしい都市の一角で淡々と繰り返されてきた植物たちの生の営みに,都会暮らしで「私」が見失ったつつましやかな命の鼓動を見いだしたようで,いとおしく思われたから。
あわただしさを感じさせない植物たちのひそやかな生の営みが,今後も続く「私」の都会暮らしの毎日をしっかり支えてくれるようで,頼もしく思われたから。
あわただしい生活とは無縁な植物たちの生の営みが,都会で生きてきた「私」に反省をうながし緑ゆたかな田舎のよさに気づかせてくれたようで,ありがたく思われたから。
あわただしい毎日からかけ離れた植物たちの生の営みが,不満を抱きながらも都会暮らしを捨てきれない「私」を哀れんでいるようで,やるせなく思われたから。
あわただしい都会の生活とはかかわりのない植物たちの生の営みに,孤独を感じながら都会で生きてきた「私」のさびしい境遇を重ね見たようで,たえがたく思われたから。



傍線部「この六尺の病牀が余には広過ぎる」とあるが,「私」は「シキ」と同じように横たわることによって,この言葉をどのようなものとして受け止めたか。その説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

「シキ」が身を横たえるための場所として,「六尺の病牀」は手足を広げてもなお余裕があるが,それがかえって彼の孤独を深めることになった。
虫ピンで止められた昆虫のようだと自分を意識した「シキ」には,見えるものすべてが手の届かないものとなり,「六尺の病牀」が逆に広いものとなった。
身を横たえた「シキ」には空想する自由だけが残されており,広大な宇宙を思い描くことによって,「六尺の病牀」の狭さを忘れることができるようになった。
ガラス障子に隔てられた「シキ」の「六尺の病牀」はあまりにも静かすぎて,気持ちを落ちつけることができず,かえって脈絡のない夢想の世界が広がることとなった。
「六尺の病牀」に身を横たえた「シキ」の目は対象の細部へと迫り,対象の一つ一つが小さな宇宙のように果てしない複雑さと奥行きをもつようになった。



傍線部「にも生命がある,あるのだろう」とあるが,このように表現した「私」の気持ちを説明したものとして最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

目を閉じると聞こえてくる様々な音に,外への思いをかき立てられるのだが,外の世界の存在を認めてしまうと,広いと感じられるまでになった「六尺の病牀」が単調なもとの世界に戻ってしまうのではないかと恐れている。
目を閉じると聞こえてくる様々な音は,たえまなく繰り返される生命の営みを感じとらせ,身を横たえたままでは十分に確認できないものの,活発にうごめき変化する外の世界が確かにあると信じようとしている。
目を閉じると聞こえてくる様々な音に,外の世界の存在は確かに感じとれるものの,畳の上に一人で横たわる者にとって外の世界を思い描くことは刺激が強すぎるので,なるべくほかのことを考えて気を紛らそうとしている。
目を閉じると聞こえてくる様々な音は,外の世界に生命の営みがあることを感じとらせるのだが,人々がいがみ合い,殺し合うことを考えると,そこにも生命の営みがあると軽々しく言い切ることはできないと思われた。
目を閉じると聞こえてくる様々な音に,「六尺の病牀」の外にも生命の営みがあることを気づかされたのだが,想像でとらえるしかない外の世界より,与えられた目の前の世界の方がより現実感のあるものと思われた。



傍線部「ゴロゴロと肉や野菜のように揺られてみたかった」とあるが,この表現を通して「私」が表そうとしている「シキ」の気持ちはどのようなものか。最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

たとえ病気が治らず,自分の体が自由に身動きできないとしても,生き生きとしていることで,やがてやってくる死に抵抗してみたかった。
外界の生の営みを実感するためには,昆虫が風に逆らって飛ぶような努力をする必要があり,自由のきかない体でも戸外に出て活動してみたかった。
外界への憧れが強まり,ほかのことが考えられなくなったので,買い物に行くといった日常的な行為をすることで,ふたたび精神の平衡を取り戻してみたかった。
破壊と生産が同時におこなわれる外界にあっては,自分を命の通わないものと考えて,されるがままに生きることで,ひそかに自分を守りとおしてみたかった。
じっとして目や耳だけを働かせるのではなく,人ごみにもまれながらほかの人々と同じように,ごく普通の生活を自分の体全体で味わってみたかった。



傍線部「あ,猫。……見つけることが出来なかった」とあるが,この一節の本文中における役割を述べたものとして最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

消えた「シキ」の世界に不吉な雰囲気を漂わせるとともに,死に際しても貪欲(どんよく)に外の世界を見続けた「シキ」のたくましさを暗示することによって,いずれやってくる死をいさぎよく受け入れようとする「私」の今後を示している。
消えた「シキ」の世界をすっきりと振り捨てさせるとともに,「私」を引きつける鮮やかな色彩を配することによって,これまで見てきた世界とは違う活気ある世界を「私」が求め始めようとしていることを示している。
消えた「シキ」の世界から立ち去ろうとする「私」を引き止めるとともに,「シキ」の世界をあらためて思い起こさせることによって,これまで見てきたことが特異な場所におけるひとときの感覚的体験であったことを示している。
消えた「シキ」の世界に神秘的な雰囲気をつけ加えるとともに,「私」に「シキ」の世界を再確認する機会を与えることによって,これまで見てきた世界が結局他人に説明することのできないものだということを示している。
消えた「シキ」の世界に区切りをつけて「私」を現実に立ち戻らせるとともに,まだ知られていない「シキ」の世界の存在を暗示することによって,「私」が近い将来に再びこの場所を訪れるであろうことを示している。


  問11 問12 問13
正解 5 3 4
配点 4 4 4
  問14 問15 問16
正解 1 5 2
配点 7 7 8