「日本語教育」と「国語教育」は同じではない

“日语教育”与“国语教育”不完全相同

日本語教育というのは、日本語を外国語として学ぶ人に対する教育のことで、私たち日本人が学校で受けてきた「国語」とは、少し違います。日本語を全く知らない人に、システマティックにわかりやすく教えるにはどうしたらいいか、という観点から考えられているからです。例えば、品詞の分類が違い、形容動詞がありません。「て形(てフォーム)」という動詞の変化も、独特です。「来て、食べて、飲んで…」、と日本人は当たり前のように使います。「て」の変化は、日本語を知らない外国人からすると、とても難しいのです。他の変化は、語幹は同じで語尾を規則的に変えるだけですが、この「て形」は変化の形が複雑でわかりにくいのです。

所谓日语教育,是以将日语作为外语的人为对象的教育,这与我们日本人在学校接受的“国语”教育稍微有些不同。我们需要考虑的是对于完全不懂日语的人,如何用浅显易懂的方式系统化地教授日语。例如,词语分类的不同,没有形容动词,“て形”的动词变化也是独特的。对于日本人,使用“来て、食べて、飲んで…”理所当然,对于不懂日语的外国人来说“て”的变化是难点。其他的变化是词干相同,仅词尾有规则地变化,但“て形”的变化形式十分复杂,难以理解。

外国人には理解しにくい感情を含む表現

外国人难以理解,蕴含情感的表达方式

受身形も、外国人にとっては難しい文法の一つです。例えば、「ジュースを飲まれた」と言う場合、そこにはちょっといやなことされた、というような迷惑を被ったという感情が含まれています。これも外国人には理解しにくいものです。私たちにとっては何気なく使っている表現が、外国人にとっては理解しにくいということがあります。ですから、日本語を教える場合、まずは日本語を学ぶ際に外国人がどこでひっかかるのか、どこがわかりにくいのかに気づくことが大切です。

被动态对外国人来说也是语法学习的难点之一。例如,在说“被喝了果汁”的时候,这里包含了稍稍不情愿的、添了麻烦的感情。这也是外国人很难理解的事情。对我们来说不经意使用的表现方式,对外国人来说却难以理解。因此,在教授日语的时候,首先要察觉学习日语的外国人在哪里被卡住了,哪里不理解,这才是重中之重。

教わる人の状況やニーズに合わせた教授法を

与学习者的状况和需求相吻合的教授法

日本語を教える場合のアプローチ方法も、いろいろあります。まずは文法から教える方法、文法はやらずに日常会話から入っていく、あるいは場面設定をして会話と文法を学ぶというやり方もありますが、どんな人が何の目的で日本語を学ぼうとしているかによって、教え方も変わってきます。例えば、日本語を知らない外国人の子ども、留学生、すぐに日本語で仕事をしなくてはいけないビジネスマンでは、状況が違ってきます。その人のニーズに合った教え方をすることが大切です。

日语教学方法有很多。有先从语法开始学习的,也有越过语法直接进入日常会话,也就是设定情境会话,学习语法的方式,根据不同的人学习日语的不同目的,教学方法也随之改变。例如,不懂日语的外国孩子、留学生、必须马上用日语进行工作的商务人士,情况都各不相同。切合学习者本人的需求进行教学才是关键。

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