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第二話 スナックのママさん

第二篇 小酒吧的老板娘
(接第一篇《算了,还是去死吧》

初授業、夏期講習の二週間は大成功に終わった。いちばんの成功は、「民間学校の学生たちは努力しない」という神話(笑)を、ことごとく崩していったことだ。

第一次上课,两星期的暑期讲座取得了很大的成功。最大的成果是“民办学校的学生不努力”的神话完全被我打破了。

まる一日授業して、授業時間が終わっても帰ろうとする学生はいなかった。しかたなく、全員が疲れきるまでやることにした。北京の夏は日が長い。9時頃、誰かが「お腹が空いて声が出ない」と泣き言を言い出すのを待って、全員で夕食にでかける準備をはじめた。

上了整整一天课,下课之后依然没人打算回去。没办法,我决定继续上课直到大家感到疲倦后再休息。北京的夏天白昼很长。9点的时候,大家一边等着谁说一句“肚子太饿了说不出话”,一边开始了出去吃晚饭的准备。

食事をしながら学生たちにさんざん日本語を話してもらい、夜11時頃ようやく帰宅の途につく。しかし、アパートに着いても誰もいない。ついさっきまで大騒ぎしていた空間とは大違いだ。天井を見上げ、目を閉じるがなかなか寝付けない。思い出したかのように抗鬱剤を飲むと、急に頭痛に苛まれる。医者が 飲めというのだから飲むしかなかったのだが、夏期講習の間、熟睡できた日は一日もなかった。

吃饭的时候,我让学生多用日语聊天,晚上11点的时候终于踏上了回家的路。但是回到公寓,谁都不在。这与刚才喧哗吵闹的环境完全不一样。我抬头看天花板,虽然闭上眼睛却总也无法入睡。突然想起来似的我喝下抗抑郁剂,顿时感到一阵头疼。医生让我喝那就只有喝,不过暑期讲座期间,我没有一天睡过安稳觉。

新学期、久しぶりに学校へ行くと、雰囲気がおかしいのに気づいた。事務室に行くと、知らない顔がちらほら。馴染みの顔も表情が暗い。つい2週間前に「あっ、日本の雷鋒、ニーハオ。ははは」と言って、周りを大爆笑させていた室長もしかめっ面だった。

新学期到了,久违地去了学校,发觉学校气氛有些不对。走近办公室,发现几张陌生的面孔。跟我从小一起长大的朋友也是一脸黯淡。在两周前,说了一句“啊,日本的雷锋,你好,哈哈哈”逗得大家捧腹大笑的办公室主任也是眉头紧锁。

新しい学部長が来たから、あんたもクビになるかもしれないよ!」(職員さんの言葉)

“由于有新的办公室主任要来,所以你可能要被炒鱿鱼了。”(某职员的话)

その頃、中国は日本と違うことぐらいわかっているつもりでいたが、あまりにも違いすぎるのでついていくのがやっとだった。いや、ついていけたのにはわけがあった。こんなことを言っては失礼になるかもしれないが、これまで多くの中国人に振り回されてきた。それでも、なぜ中国のことも中国人のことも好 きなのかと言えば、前妻のお母さんの存在が大きい。

那个时候,我本来觉得自己已经理解中国跟日本的差异,由于太过迥异我拼了命也只能勉强跟上。我跟得上是有原因的,这样说可能比较失礼,但是我至今为止都是被中国人耍的团团转。即使这样,当谈及到为什么喜欢中国,为什么喜欢中国人的时候,我想是由于前妻的母亲对我产生很大的影响。

北京に着いて以来、前妻とはほとんど会話を交わすことはなかったが、おばさん(僕はお母さんのことをずっと「おばさん」と呼んでいた)が毎日面倒を見てくれた。部屋の掃除から食事の世話まで、週末は早朝に電話がきて、一緒に公園を歩いた。

来到北京之后,我几乎没怎么与前妻有过交流。但是阿姨(我一直把“妈妈”叫做“阿姨”)她每天都照顾我的起居生活,不论是打扫房间还是为我做饭。在周末的清晨她会打电话过来,然后我们一起去公园散步。

新学期が始まってからは毎日のように新しい学部長とぶつかったが、おばさんはそのたびに中国の事情を教えてくれた。学校の事務室にいた職員は総入れ替え。どこかのクラブかと錯覚するほどきれいなお姉さんたちが揃っていた。それもそのはず、新しい学部長は、ついこの間までスナックのママさんだったの だから。仲の良かった同僚も、事務室の職員もあっというまに消え、スナックのお姉さんたちが陣取り、あとは僕ひとりになった。そして、ついに呼び出され た。そう、ママさんに。「あんたにはそんなに高い給料を出せないからね。もう学校に来なくて良いよ。まあ、週一回ぐらいは来れば。その分だけ給料を出してあげるから。まったく、日本人は中国人より1時間に5元も高いのが癪なんだけどね。あっ、もう良いよ、帰って」

新学期开始了,我每天都会碰见新来的办公室主任。阿姨教给我很多关于中国的事情。学校办公室的职员通通大更换了,变成了一群漂亮的姑娘,让人有种不知道进了什么俱乐部似的错觉。那也难怪,因为新来的办公室主任以前是小酒吧的老板娘。关系要好的同事、办公室的职员突然之间消失,小酒吧的姑娘们占据了地位,只剩下我孤身一人了。我被老板娘叫住,老板娘说道:“我不会给你那么高的工资的。可以不用再来学校了,一星期来一次也可以。我会付给你相应工资的。真是的,日本人比中国人一小时要贵5块钱,真心疼呐。好了,你走吧。”

目の前で契約書を思い切り破られ、その日、収入が9分の1になることが決まった。5月に交わした契約では月給制だったので、時給を考える必要はなかったが、その日を境に、僕の身分は日雇い労働者へと変わった。いやあ、中国で日雇い労働者になるより、日本に帰ったほうがずっとマシだったはずだ。そんな簡単なことさえ思いつかないくらい動揺していた。

她在我面前撕毁了合同,从那天开始,我的收入只有以前的九分之一。5月份签署合同时,写的是月薪制,所以我根本没去考虑过时薪,但是从那天起,我的身份变成了按天数订合同的劳动者。在中国当临时打工的,还不如回日本呢。我被打击得连这么简单的事都没想起来。

子どもの頃から漫才師になるのが夢だった。漫才師になった瞬間、次に何をしたら良いのかわからなくなった。それで、約5年間も頭がフリーズしていた。食っていけないからと夢を投げ捨て、中国に逃げるようにやってきたが、いきなり彼女から別れの宣告を受け、軌道に乗りそうだった仕事でも、9分の1に減給。

从小我的梦想就是成为一名漫才艺人。在成为了漫才艺人的瞬间,我就不知道接下来应该做什么了。于是,我封存了自己的大脑长达五年。不愿耗费时间,于是丢掉梦想,逃离到中国。但是接到女友突如其来分手的宣言,逐渐走上正轨的工作也减薪到九分之一。

夢、家庭、仕事、すべてが最悪な状況に陥り、ここは生き地獄かと思った。

梦想、家庭、工作、所有的一切都陷入了无尽的深渊,这里简直是活生生的地狱。

これが、僕の中国生活のスタートだった。世間を舐め、周囲の人たちを舐め続けてきた報いが、31歳の僕を襲ったのだ。しかし、不思議な事に、5年間フリーズしていた頭が、この日、動き出した。

这就是我在中国生活的开篇。我一直不谙世事,狂妄自大看不起周围的人,终于命运给我的报复降临在31岁的我身上。但是令人感到不可思议的是,停滞了五年的大脑,从这一天起开始了运转。

本篇为笈川幸司老师所著日语自传,授权转载,未完待续!

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日语航海士笈川幸司(1):算了,还是去死吧

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