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日本語テキストを部分的に音声にしてレッスンに使おうと思い立った。古いマイクを探し出してパソコンにつないでどうやら録音できた。ところが自分の録音を聞いてみるとなんとも「サマ」になっていない。

我想起可以把日语教材一部分转换成音频用在课堂上,于是便找出旧了的麦克风连到电脑上,好不容易把录音给完成了。可听了才发现,真是完全不成样子。

子供のころから、ここ横浜で生活している私は、いわゆる標準語を話す人間だと信じていた。ところが弱点は他のところにあった。発声練習などしたことのない自分の音声を聞いてみると、聞きやすさ、言葉のつなぎ等々、決して満足の出来るものではない。プロの吹き込んだ音声教材はさすがにしっかりしていると改めて感心した。

从小我就深信,在横滨这个地方长大的我,说的就是所谓的标准日语。但是,我却在其他地方找到了发音弱点。没有做过发声练习的声音在清晰度及词句连接方面都还做得远远不够。同时我也再次感叹,专业人士录的语音教材确实很规范。

ある学習者がレッスン中「進歩」に「しんぽう」と振り仮名をふっていたのを見てドキッとした。学習者の「耳」に問題があるにしても、何割かは私の発声にも問題があるのかもしれない。

某学习者在课堂上把“進歩(しんぽ)”的音标成了“しんぽう”,我看到后大吃一惊。即便这个学习者“听力”有问题,我的发音也应该负一部分责任。

一般的には語学を学ぶ時の聞き取りやすい音質として、男性の発音より女性の声の方に軍配があがるだろう。実際に日本語を学ぶ学習者で、女の先生の言っていることはよくわかる、と言う話は時々耳にする。

一般在语言学习过程中,女性在音质清晰度方面比起男性更占优势吧。事实上,我经常能听到日语学习者说,女老师说的话比较容易听得懂。

日本語を学ぶ場合、外国人男性と日本人の女性教師の組み合わせは結構多いように思われる。これは初心者にとっては好都合なのかもしれない。学習者にとって耳の筋肉が鍛えられて、ヒアリングの上達と自信にもつながることだろう。

而在日语学习方面,外国男性和日本女教师这样的组合似乎有很多。这对于初学者来说或许是件好事,这样一来,耳部肌肉可以得到锻炼,同时也有助于听力的进步,并影响到学习者本身的自信心吧。

その昔、学生時代の実習で教室の音の伝達明瞭度についての実験をした。学生の一人が単音を次々と読み上げ、残りの学生がそれを書く単純な実験である。読み上げる学生が次々に変わっていって、最後に答え合わせをするのであるが、結構聞き違いが発生するものである。例えば「く」と発声したのに「こ」と聞き違えている人が何人か出てくる。これは施設の音響効果と同時に、発声者と聞く側の個人差が組み合わさって起こる現象であろう。同じ日本人同士でもこんなことがおこるのである。

我们曾经在学生时代的见习中就教室声音的传递清晰度做了一个实验。实验很简单,让一名学生一个接着一个地读着单音字,剩下的学生将其写下来。朗读者一直在换,最后结束时进行答案校对,结果发现还是有听错的。比如,明明读的是“く”,却有好几个人听成了“こ”。这是设备音效、发声者及听者的个人差异共同作用的结果吧。即便都是日本人,也会发生这样的事情。

実際の会話ではこの他にまわりの騒音など更に悪い条件の中で「音」を聞き取っていくのである。外国人にとって「言葉を聞く」のは厳しいことに間違いない。

在实际会话过程中,学习者需要在周围杂音等更恶劣的条件干扰下去听“声音”。所以对外国人来说,“语言听力”肯定是很难的。

そんなことを考えながら録音した初めての自作音声教材は、「早い!」と学習者の反応はかんばしくなかった。私としては意識してゆっくり吹き込んだつもりだったが。次回は感情のこもった表現を心がけて録音し、レッスン前に学習者にメールで送ってやろうと計画中である。

带着这些想法,我第一次录的自制音频教材在学生中反响并不好,对他们来说语速太快了,可当时在录的时候明明有意放慢了速度。于是我打算下次好好注意下,带着感情去录音,再在课前把音频用邮件发给学生们。

日语口语尴尬事:口误了?听错了?

倾听日语的声音:你是否误解了这些词?

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