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翻译技巧之:

「わかるものを省略」と「必要なことを言う」の違い

“省略明了的话”和“说该说的话”之间的区别

先日、「書くと安心する」で(↓)のように書きました。

前几日,我在《写出来便会安心》一文中写下了这么一段话。

必要なものがそこにあればいい、どこかにはいっていればいいわけじゃありせん。不要なものを削らないと必要なものの言葉が聞こえるようにはならないのです。でも、あるものを不要だと判断するのは怖い。

必要的东西就那么存在着便好,而并非要将其放入文章某处。若不删减无用的内容就无法听到它们的声音。然而,我们也恐于将某些事物定义为无用的。

でも、翻訳という仕事において、「不要なものは削る」、「重なっているものを削りおとし、すっきりさせる」では最終的にそこそこの訳文しかできません。その理由は、なんと言ってもまず、日本語がもともと「必要なことだけを表に出す」言語だからです。

不过,在翻译这个工作中,如果只是“删去无用的”、“削减重复的、让文章变得简洁”的话,最终出来的译文便只是凑活能看。因为不管怎么说,日语这语言本就 “只说必要的话”。

英語は主語と動詞がなければ文としてなりたたないし、動詞によって目的語を要求するものがあったりして、基本的に文の形態がかっちり決まっています。

英语没有主语和动词句子就不成立,有时候根据动词不同还会对宾语有所要求,句子形态基本上定的比较死。

それに対して日本語は述語さえあれば文になってしまいます。あとは、必要なら動作主体を出したりしてゆくわけで、人によっては、日本語はほとんどが「補語」だと言う人もいるほどです。

相比之下,日语只要有谓语句子就能成立,然后就是根据需要加上些动作主体,甚至还有人说日语基本上就是由“补语”组成的。

「日本語はあいまいで非論理的か」でも書きましたが、英語はくどいわけです。そのくどい英語に書かれていることをとりあえずすべて日本語とし、その後、「不要と判断したものを削ってゆく」とします。よく言われる「言わなくてもわかる不要な部分を省略する」というヤツで、英日翻訳で行う作業はこのようにすると言われることがよくあります。

我在《日语是暧昧的、且非理论性的吗》一文中也写过,英语比较啰嗦。我们姑且把那些用啰嗦的英语写成的内容都看做是日语,然后“删去我们认为不需要的”。这就是人们经常提到的方法——“省略不说自明的话”,常有人跟我说,做英日翻译这工作时就要这样去做。

これに対し、我々が一から日本語を書くときの組み立て方は「必要なことだけを書いてゆく」です。

与此相对的,我们用日语从头开始组织语言时遵循的原则是“只说该说的话”。

一般に、このふたつは同じ点に到達すると考える人が多いようです。過去、翻訳者のコミュニティなどで何度か、「日本語は必要なことだけを書くもの」と問題提起してみたのですが、だいたい毎回、「言わなくてもわかる不要な部分を省略すれば同じ」という反応が返ってきます。

似乎很多人都会觉得,翻译时用这两种方法一般能达到同样的效果。过去,我也曾在译者社区多次提出“日语这语言只说该说的”这个问题,但每回别人基本上都会这么回应:“把那些不说自明的话省略掉就能达到同样的效果了。”

でも、このふたつの方法で同じ点に到達することはありえません。少なくとも私はそう思います。

但是,这两种方法不可能到达同一个目的地,至少我是这么认为的。

理由は、中間に「どちらでもいい」部分があり、どちらの方法も、この中間部分の、自分に近い側で止まってしまうからです。

理由是,这当中还有“模棱两可”的部分,不管是哪种方法,都会将这部分内容诠释得离自己比较近。

では、翻訳をするときには、どうしたらいいのでしょう。

那么,翻译时要如何做才好呢?

ひとつは、最初に訳すとき、字面ではなく、書き手が伝えたいことを頭の中でイメージし(「絵や動きが見える」などと言う)、それを日本語で書き起こすという方法があります。自然な日本語になりやすい半面、内容レベル・情報レベルで原文とまったく違う勝手訳になってしまう危険を内包する方法です。この方法をとるなら、訳文を書いたあと、原文と訳文の部分部分について対応を確認するべきです。(ちなみに私はこちらのタイプです)

一种方法是在刚开始翻译的时候,把作者想传达的东西在脑子里稍作想象(指“能看见画面或者动态”之类的),而不是只看字面意思,然后开始下笔用日语写出来。这个方法呈现出来的日语译文会很自然,但另一方面也存在着风险,即容易译得太过随意,导致在内容性及信息性方面与原文产生出入。译者要是采用了这种方法,应该在完成译文后再将其和原文一点点进行对照确认。(顺便说下,我就是这种类型的)

もうひとつは、要・不要の判断力を極限まで磨くことでしょう。「どちらでもいい」部分をごく狭くすることができれば、「くどい」という面についてはひととおりクリアできるはずです。

还有一种方法,就是将自己对于内容有用无用的判断力磨练到极致吧。只要能将“模棱两可”的部分缩减到最小,应该就能大致解决语句啰嗦这个问题了。

私の場合、絵や動きを念頭に視点や構造を決めて訳文を作って行き、途中、収まりが悪いなと感じたら視点や構造を見直すというパターンが多いように感じます。

我感觉我自己在翻译的时候,大多会先在心里描绘出一些画面或者动态,决定文章立场和结构后再开始撰写译文,如果途中觉得不好收场了,便会重新回头审视。

日本译者说:翻译时那些消失的语言

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