沪江日语阅读提示:双击或划选日语单词,查看详细解释,并可收录进生词本以供记忆学习。

その質問は日本語教師になりたてのころ、生徒とのこんな話しから始まった。「先生、千円札の人は坊ちゃんを書いた有名な作家の夏目漱石さんですよね」である。その時この「夏目漱石さん」という言い方にとても違和感を感じた。我々日本人は使ったことも無いし、ほとんど聞いたこともない。夏目漱石に単に「さん」を付けただけなのだが。確かに「このお寺は徳川家康さんがお建てになったものです」などと敬語表現が使われていると、とても奇妙な感じがする。なぜなのだろうか。

说起这个问题,那是在我成为日语教师之后,因为一名学生的一句话开始的——“老师,一千日元纸钞上印的是写《少爷》的著名作家夏目漱石对吧!”那个时候,“夏目漱石さん”的说法听起来总觉得不太舒服,我们日本人不会这样说,也基本没有听过这样的说法。虽然只是在夏目漱石后面加上了礼貌语「さん」,却像“这座古寺是德川家康さん建造的”这样的敬语一样,给人一种确确实实的奇妙之感,这是为什么呢?

历史揭秘:印在日元上的那些名人们
日本文学下载:《坊っちゃん》( 夏目漱石 )

理由もよく分からないまま、とりあえず夏目漱石には「さん」は必要ないですよと注意すると「彼は偉い人ですよね、どうして付けてはいけないんですか」と質問が来た。改めて質問されると説明できない。「そうですね。そういう歴史上の人物には“さん”は付けません」などと答えたのだが。

在不太清楚的情况下,总之先提醒学生没有必要在夏目漱石后面加「さん」,可学生却反问道:“夏目漱石不是很有名的伟人吗?为什么不加‘さん’呢?”我再次被问倒了,只能含糊地回答说:“像他这样的历史名人是不用加的。”

ここバンクーバーでもこんな質問を受けたことがある。日本語上級の生徒が日系企業に入社し、半年ちかく日本に研修に行った。そしてカナダに戻って来るなり、「先生、日本のサラリーマンは首相を尊敬していないんですか」と質問されたのである。日本人同士であれば「もちろん政治家なんて尊敬していないよ」と答えるところだが、彼女にそうとも言えず「どうしてそんなふうに感じましたか」と聞いてみた。

在温哥华我也被问到过相同的问题。日语高年级学生进入日企后去日本进修了半年左右,回到加拿大后就问:“老师,日本的上班族是不是对首相不尊敬啊?”对方如果是日本人的话,我自然会说“政治家我们当然不怎么尊敬了”,可对她我不可能这样说,只好问她为什么会这样认为。

ちょうど彼女が日本にいるとき、首相の交替劇があった。昼休みなどの雑談の中で「〇〇はひどかったね。今度の△△はどうかな。〇〇よりは少しはましかもね」などの会話である。大部分の人が時の首相の名前に「さん」など付けず、平気で呼び捨てにしているのである。何回もこんな会話を聞いていた彼女にしてみれば同僚の社員が首相を尊敬しているとはとても思えなかったのもうなずける。さてどんなふうに彼女に説明すればいいのだろうか。

刚好她在日本那会儿首相换届,午休时“〇〇真可恶,不知道这次的△△怎么样?比起〇〇可能会强点”之类的话题经常出现。大多数人称呼当时的首相都不加「さん」而直接称呼其名。对于听到好几次这样谈话的她来说,会认为同事们都不太尊敬首相也无可非议。不过该怎样像她解释这个问题呢?

これはいわゆる敬語の使い方の問題である。日本語教育において敬語はとても重要な項目であり、人間関係を円滑にする潤滑油と教えている。確かに敬語は人間関係を滑らかにするものであるから人間関係が無いところには敬語は発生しないのは当然である。それ歴史上の人物にはもちろん、どんなに偉い人や有名人などにも人間関係が無ければ基本的には「さん」や「さま」は付けてはいけないのである。もし付けたりするとその人と人間関係があることを示唆することになってしまう。日本語教師になる前はこんなこと意識したことも、また考えたこともなかったのだが。

说到底就是敬语的用法问题。日语学习中敬语的使用是很重要的,敬语教会你如何更好地处理人际关系。正因为这样,当不需要注重人际关系时自然就不需要使用敬语了。不论是有名的历史人物还是伟人、名人,只要不涉及人际关系的处理层面,就不需要在人名后加「さん」或「さま」,如果加上了的话就等于暗示说话人要与那个人处理好人际关系。在成为日语教师之前我都从未思考或意识到这个问题。

しかし例外もある。いわゆる皇室用語である。いくら人間関係が無いからといって、まさか「雅子」とは言えない。「雅子さま」である。

但也有例外,即皇室用语。不管是否涉及处理人际关系,直接称呼「雅子」是说不出口的,必须要称呼「雅子さま」。

声明:双语文章中,中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。