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「いただきます」の語源
「いただきます」の「いただく」は、神様にお供えしたものを食べるときや、位の高い方から物を受取るときに、頂(いただき。頭の上)にかかげたことから、「食べる」「もらう」の謙譲語として「いただく」が使われるようになったことに由来します。やがて、食事を始める時に「いただきます」と言うようになり、食前の挨拶として定着しました。

「いただきます」的语源
「いただきます」的原形是「いただく」,用作「食べる」「もらう」的自谦语,来源于食用神明的供品和从位高者接受物品时,手举高于头顶。后来,开始吃饭前都会说「いただきます」,渐渐地就定格为饭前的寒暄了。

「いただきます」の意味
食事を始める時の「いただきます」には、2つの意味があります。

「いただきます」的意思
开饭前说的「いただきます」包含着两层意思。

1つめは、食事に携わってくれた方々への感謝です。料理を作ってくれた方、配膳をしてくれた方、野菜を作ってくれた方、魚を獲ってくれた方など、その食事に携わってくれた方々へ感謝のこころを表しています。

第一层是向提供饭菜的相关人员的感谢。制作料理的人、摆放饭菜的人、种植蔬菜的人、捕获鱼鲜的人等等与这餐饭有关的人员,都要向他们表示感谢之意。

2つめは、食材への感謝です。肉や魚はもちろんのこと、野菜や果物にも命があると考え、「○○の命を私の命にさせていただきます」とそれぞれの食材に感謝しており、こちらが本意だと言われています。

第二层是对食物的感谢。鱼和肉就不用说了,蔬菜水果也是有生命之物,应该向各种食物表达我们的谢意。“以~~之命延续吾之生命”,这才是真意呢。

先日、私の尊敬する日本文化の先生がこの話をされたとき、聞き手の背筋が伸びたのがとても印象的でした。おなじみの言葉でも、その背景を知ることで心持ちが変わってくるのでしょう。その先生のお宅では、お孫さんが「にんじんの命を私の命にさせていただきます」と言ってはパクッ、「卵の命を私の命にさせていただきます」と言ってはパクッ、と食べているそうです。

记忆犹深的是,前段时间,我所尊敬的一位日本文化大师的一席话令听者都把身子挺得直直的。“即使是耳熟能详的话语,知道其背后的含义之后,自己的心境也会有所改变。”在这位大师家中,他的孙子每吃一口食物都会说:“胡萝卜的生命延续了我的生命”“鸡蛋用生命使我能继续生存”。

そこで思い出したのが、給食費を払っているのだから「いただきます」を言う必要はないと学校に申し入れた親がいる、という話です。もう何年も前のことですが、世間の話題になった際、世知辛い世の中になったものだと嘆く方が多かったのを覚えています。また、お金を払っているのだからお店で「いただきます」を言う必要はないと考える人が少なからずいるそう。いずれもお金が中心で、「いただきます」の6文字に、生きる姿勢が垣間見えます。

这时候,我又想起了有的家长向学校提出没必要让孩子说「いただきます」,因为他们认为自己已经缴纳了餐费。虽然这已经是很多年前的事情了,但也曾引起人们的广泛讨论,很多人都感叹世风日下。另外,也有不少人觉得自己是付了钱的,上馆子吃饭也不必说「いただきます」。中心问题还是钱钱钱,「いただきます」这6个简单的文字,却能窥视出它的生存姿态。

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