樋口一葉の「たけくらべ」をはじめ、多くの文学作品や芸術作品に登場する鷲神社。こちらの神社がそれほど庶民に浸透し、親しまれている理由は、「酉の市」という大イベント。平成19年の酉の市には約80万人もの方が参拝に訪れたそう。日本を代表する神社なのです。浅草七福神巡りで訪れる社寺の中では、浅草寺につぐ広い境内。黒と金で装飾された本堂も、威風堂々といった趣です。

鹫神社在樋口一叶的《青梅竹马》、以及很多文学作品和艺术作品中出现过。这个神社之所以深入平民百姓心里,深得大家的喜爱,是因为“酉市”这个大型活动。据说平成19年的“酉市”约有80万人来鹫神社参拜。鹫神社是代表日本的神社。鹫神社的寺院的大小仅次于浅草寺。黑色和金色装饰的正殿,威风凛凛。

長寿と学業を司る寿老人

掌管长寿和学业的寿老神

11月の風物詩のひとつ、酉の市。おかめの面などで綺麗に飾った熊手を買い求め、人で溢れかえった神社の風景を見たことがある方も多いと思います。ここ鷲神社に酉の市は、数多い酉の市の中でも有数の代表格。江戸時代から現在まで大変な人気をしています。鷲神社は、江戸時代から「鳥の社」や「御鳥」とも言われてきました。現在では「おとりさま」という呼び方で親しまれていますね。

“酉市”是11月的景物之一。想必很多人都见过,在神社里人熙熙攘攘,争相购买用假面装饰的耙子的情景吧。鹫神社的酉市是多个酉市中屈指可数的,最有代表性的活动。从江户时代到现在已经声名远播。鹫神社从江户时代以来也被称为“鸟社”“御鸟”。现在也有人亲切地称它为“鸟神”。

鷲神社には3柱のご祭神がいらっしゃいます。

鹫神社供奉着3尊神。

1柱は諸国の土地を開いて開運、殖産、商売繁昌の神様となった天日鷲命(あめのひわしのみこと)、もう1柱は東夷征伐の帰途に立ち寄り、鷲神社に生えていた松に熊手を掛けて戦勝のお礼参りをした日本武尊(やまとたけるのみこと)です。その日がちょうど11月の酉の日であったことが、酉の市の始まりなのだとか。福を「掻っ込む」ようにという願いから、熊手が縁起物に。現在の熊手は華美に飾り立てられていますが、江戸時代にはシンプルに熊手とおかめ面だけだったそうです。

第一尊是天日鹫命,他是开辟各国土地、掌管运势、生产、商业兴盛的神。第二尊是日本武尊,他在征伐东夷的归途中,顺便到鹫神社,然后把钉耙挂在鹫神社里的松树上,作为打了胜战的还愿礼。那天正好是11月的酉日。据说这就是“酉市”的开端。从能“抓来福气”的愿望出发,耙子就成了吉祥物。现在的耙子被装饰得很华丽,据说在江户时代只有样式简单的耙子和假面。

さて、もう1柱のご祭神が、私のお目当て、七福神の寿老人です。寿老人は長寿、学業成就の神様として知られています。こちらでいただけるミニ絵馬に描かれている寿老人は、石浜神社の寿老神とは少し異なり、1500年もの長寿を誇る鹿を従えた姿が描かれています。

还有一尊供神就是我此行参拜的目标,七福神的寿老神。寿老神作为掌管长寿、成就学业的神广为人知。迷你祈愿牌上画的寿老神和石滨神社的寿老神有点不一样,这里的寿老神有一匹1500岁的鹿卧在他的身旁。