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明治天皇が三重県を旅した折、宇治山田町(現伊勢市)で土地の名士を招いて話を聴いた。1905年(明治38年)の晩秋、真円真珠の養殖に成功して間もない47歳の御木本幸吉もいた

明治天皇在三重县旅行的时候,在宇治山田町(現伊勢市)宴请了当地的名士听他们谈话。1905年(明治38年)晚秋,当时养殖正圆形珍珠成功没多久的47岁的御木本幸吉也在场。

天皇の前で述べた言葉を御木本は後年、ひとつ話にして語った。「世界じゅうの女の首を真珠でしめてごらんにいれます」。後ろから知事があわてて服を引っ張ったという

晚年,御木本将在天皇面前说的话作为奇闻谈道“我要让您看到全世界的女人的脖子上都戴上珍珠”。据说背后知事慌慌张张的拉扯着他的衣服。

食品業を営む家に生まれたのは1858年(安政5年)1月25日、きょうは生誕150年にあたる。奔放な野人のようでいて、消費者の心を読むことにも長(た)けていたらしい

他于1858年(安政5年)7月25日出生于经营食品业的家庭,到今天刚好是诞辰150年。他就像一个豪放的乡下佬,但好象也很擅长读取消费者的心理。

昭和の初め、衆人環視のもとで粗悪品の真珠、約140キロを焼却し、「真珠の火葬」と話題を呼んだ。時価5万円、背広1着が15円で買えたころである。上質の品のみ販売することを消費者に伝え、損をして信頼という元を取った

昭和初期,众目睽睽之下他焚烧了大约140公斤的次品珍珠,那是被称为‘珍珠火葬’的话题。140公斤珍珠价值5万日圆,那还是15日圆就能买到一件西装的时候。他向消费者传达了他只贩卖高质量品种的珍珠一事,即使吃亏也要重新取回信赖这一基础。

「芭蕉は歩いてあれだけの棒杭(ぼうぐい)(句碑)を建てとる。電車を使う貴様は芭蕉の30人前はやれ」と、高浜虚子を叱咤(しった)した人である。売れ残り商品の火葬などに思いも及ばず、表示偽装に走った当節の経営者は「真珠王」からどんな罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びたか分からない

他叱责高浜虚子“芭蕉步行尚且立下那么多的木桩(俳句诗碑)。你这乘电车的家伙要立下芭蕉的三十份儿。”。即使不去想将卖剩下来的商品火葬等,但对于现在伪装标识的经营者,不知道‘珍珠王’将会对他们如何破口大骂呢。

96歳で亡くなった。「死んだら神様になって、世界じゅうからドルの賽銭(さいせん)を取ってやる」と語ったこともある。取っているかも知れないな、と思わせる人である。

他96岁时去世。他曾说过“我死后要成为神灵,为你们赚取全世界的美元香资’。他是一个使人相信他也许正在争取这一香资的人。