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一部の高級ホテルやレストランを除き、一般的にサービスの質が日本に劣るフランス。

在法国,除了一部分高级宾馆及饭店,一般来说服务业的质量是不如日本的。

フランスに引っ越してきたばかりの頃は「何であのパン屋さんは笑顔でお客さんを迎えられないのか?」だとか、「あのレストランの店員さんは私語を止められないのか?」だとか、フランスのプロ意識を感じないサービスにいちいち腹を立てていた。だが、フランスで暮らして2年が経つ最近は、「日本にいた頃は何て小さなことに腹を立てていたのだろう?」と反省する。

在我刚搬来法国那会儿,因为无法感受到他们服务业的职业精神而频频烦躁,像是“为什么那个面包店的人不能笑脸迎客呢?”、“那个饭店的店员们能别在工作时交头接耳吗?”等等。但是,在法国生活了2年后的今天,我却在反省:“当初在日本怎么会为了那么些小事而斤斤计较呢?”

日本にいた頃は、ファミレスの400円のハンバーグが焼きすぎていたら、「ちょっとこれ焼きすぎじゃないですか?」と一言。バスが時間通りに来なかった日には、「約束の時間に遅れたらどうするんだ!」と憤慨し、コンビニでお釣りの渡し方が乱暴な店員さんに腹を立てた。

在日本的时候,曾经因为家庭饭馆400日元的汉堡肉饼烧糊了而抱怨 “这个是不是烤过头了啊?”,因为公交车没有按时来而愤慨“约好的时间不是赶不上了啊!”,还会因为便利店店员找钱时太粗鲁而火大。

今思えば、日本の質の良いサービスに慣れきっていたと思う。良いサービスに慣れきってしまうと期待値に満たないサービスは不快に感じるようになる。 だからフランスに来たばかりの頃は、郵便局に行っても、保険屋に行っても、スーパーに行っても、どこに行っても不快感しかなかった。しかし“慣れ”というのは非常に怖いもので、今度は質の低いサービスに慣れると、大抵のことを受け入れるようになるものだ。

现在想想,当初是过于习惯日本优质的服务,才会对达不到期望值的服务感到不快。所以刚来法国那会儿,不管是去哪儿,邮局、保险门店或是超市,只会心情不爽。不过,“习惯”这东西真的是非常可怕,这回习惯了质量低的服务,大部分事儿都变得能接受了。

ここフランスではそれが公共機関や安い店のサービスなら、「それはこういうもの」として受け入れる。フランス人たちも支払った値段と受け取ったサービスを比べ、許せる範囲として流しているようだ。だから、サービスを売りにしている高級な雰囲気をもつホテルやレストランでのサービスの質は超一流。一組のお客さんに、何人もの従業員をつけ、どこをとってもの抜かりのない完璧なサービスを目指すのだ。

在法国这儿,要是去了公共机关或是价格低廉的店,会觉得“这里服务也就这样了”而对其表示理解。好像他们法国人也会将出的价钱跟得到的服务进行对比,在能接受的范围内便不计较了。因此,以服务为卖点的高级宾馆以及饭馆其服务便是超一流的,招待一桌客人的服务生都会有好几个,而他们的目标则是向客人提供无可挑剔的完美服务。

要するにフランスでは、安い店では安いサービス、高い店では高いサービスを受けることになるのだ。この点が日本とは少し違うと私は思う。

也就是说在法国,店里的服务是与消费成正比的。我觉得这点和日本不太一样。

日本の場合は客単価が1000円の安いファミレスでも、接客マニュアルには高級ホテルかのような、現実離れした謳い文句が並ぶ。競合店と少しでも差別化を図れるように安くて質のいいサービスを目指す。どの店も、どのチェーン店も高いサービスを目指すから、結果として全体のサービスレベルが上がる。

日本的话,就算是人均消费为1000日元的平民家庭饭馆,其接待手册上也会写满了堪比高级酒店的口号,看起来有些不现实。他们的目标是提供便宜而优质的服务,这样多少能跟同行实现差异化竞争。正是因为不管是什么店,或是哪些连锁店,都以高质量服务为目标,因此整体的服务水平提高了。

こうなるとお客さんもつけあがり、大した額を払っているわけでもないのに「私は客だぞ!」という顔で威張り散らす。

在这种情况下,客人们也开始得意忘形,没掏多少钱却一副上帝的嘴脸,嚣张放肆。

そもそも客単価が1000円の飲食店が高級ホテルのようなサービスを目指すこと自体、少し無理があるとは思わないだろうか?

话说回来,一个餐饮店人均消费才1000日元,服务却以高级酒店为目标,你不觉得这事儿本身就有些勉强吗?

これこそ身分不相応ならぬ、サービス不相応である。安くて質のいいサービスを受けられる日本は、確かに素晴らしい。常に上を目指す、日本人の向上心と勤勉さの現れとも言える。しかし、どのお店も画一的に上を目指すから、“個性がない”のも日本のサービスの特徴だ。

这并非消费不合身分,而是服务水平不合适。能得到便宜而优质服务的日本的确很厉害,可以说体现了保持积极向上的日本人的上进心及勤奋态度。但是,不管哪个店都一齐向上,便“无个性可言”,这也是日本服务业的一个特征。

あのピザ屋は店員さんが感じ悪いけど、ピザは安くておいしいからまた来よう。

那个比萨店的店员不怎么样,但是比萨便宜又好吃,下次再来吧。

お店はちょっと小汚い気もするけど、味があっていい。店員のおばさんも愛嬌が良くて商品に詳しいからまた来よう。

那个店虽然有点小脏,但是味道好,那也不错。那个大婶店员态度和蔼对商品也很熟悉,所以下次再来吧。

このレストランはちょっと狭いけど、店主とも顔なじみだし、また会いに来よう。

这个饭馆虽然有点小,但和店主是老相识了,下次再来聚聚吧。

この肉屋は誕生日だと言ったらおまけしてくれた。嬉しかったからまた来よう。

那个肉店听说我生日就给我算便宜了些,真开心,下次再来光顾。

こういった人間臭さを感じる店が日本には少ないと思う。

个人认为,像这些能感觉到人情味儿的店,日本还是挺少的。

マニュアル通りの「いらっしゃいませ!」や電話対応なども素晴らしいのだが、日本の接客業がみな身分不相応な上を目指し、マニュアル化されてしまったせいでサービス業の個性も失われてしまったのではないか。どこの店員さんだって、話し込んでみればみな味があって人間臭くておもしろいのに、それを消されてしまっているように感じ、何だかさみしいと思う。

虽然能遵循接客之道说“欢迎光临”及礼貌应对客人来电也很了不起,但是日本的服务业整体都以不合乎自身身份的服务为目标,从而变得死板,使得这个行业失去了个性,不是吗?不管是哪的店员,深入聊了就会发现大家都各有各的味道,有趣而富有人情味,而如今这些却被抹杀了,不免感到寂寞。

だから日本の安いファミレスで、「私はお客様だ!」と威張る人を見ると悲しくなる。大した金額を払っていないのだから、完璧ではない点があって当然だ。大した金額を払っていないのだから、大したことのないサービスを受けるのは当然である。安い店にケチつける暇があるなら、安くていいサービスに慣れてしまったその環境に感謝すべきだ。

因此,在日本平民家庭饭馆看到以上帝自居的嚣张人士便会觉得悲哀。没掏多少钱,有不足的地方是正常的;没掏多少钱,享受不到那么好的服务也是正常的。要是有挑剔这种店的闲工夫,还不如感谢下能提供便宜而优质服务的这个环境。

どこまでも上を目指すサービス業に感謝する、お客様の“品格”が必要である。

顾客需要具备该有的品格,感谢无限追求服务质量的服务业。

「お客様は神様」という標語があるのなら、「お客様にも品格を!」という言葉があってもおかしくはない。

要是有“顾客是上帝”这样的标语,那么有“顾客也别忘了品德!”这样的话也不足为奇。

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