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師走の声を聞くあたりから、枕もとの目ざまし時計が少しずつ遅れだした。いまでは3時間ほど前を指している。電池を換えれば直るのだが、しばらくは朝の早い仕事がないのでそのままにしてある

自听到腊月的跫音那会儿,枕边的闹钟就开始有些步履蹒跚了。至今已慢了大约三个小时。只要换了电池便可恢复正常,然而,由于我的工作暂时不必起早,于是就一直置之不理。

分身を見ているような気もする。いつものことだが、あるじのほうも1年のほこりが身に積もり、頭のネジがゆるんであれを忘れ、これを忘れ、除夜の鐘を聴くころはいつも、電池の切れかけた時計のようになっている

感觉(看着它)就象看着自己的化身。年复一年,它的主人也是积一身旧岁尘埃,脑袋的螺丝松弛,常忘这忘那的,除夕夜听钟声时总象开始没电的时钟一般。

正月はマラソンランナーの給水ポイントに似ている。処世の山坂で雨に降られ、ときに転倒しながら、へとへとになってたどり着く。水分を補給して生き返り、また走らねばならない

正月恰似马拉松运动员的供水站。在处世的山路上被雨淋湿,时常跌倒,抵达时已精疲力竭。补充水分后恢复生机,又得开始上路了。

家族で憩うひとときに潤い、初詣でのひんやりと華やいだ空気に触れて潤い、懐かしい友からの年賀状に潤う…。子年の元日、多くの人が色も姿かたちも違うネズミたちに出会うはずである

和家人一起休假的那一刻是补充水分,感受新年初次参拜神社时寒冷而热闹的气氛也是补充水分,从久违的朋友那里收到贺年卡仍属补充水分……鼠年的元旦,很多人外出时定会遇到颜色和形状各不相同的“鼠辈”。

作家アルフォンス・アレーは書いている。「大時計のチクタクという音は、まるで時をかじるネズミのようだ」と(「さようならの事典」より)。今年もネズミたちは容赦なく時をかじり、走れ、走れと、鬼コーチのように尻をたたくだろう

作家阿列封斯•阿莱写道:“大钟的‘滴答滴答’之声,犹如老鼠啃咬时光一般。”(选自《告别用语百科词典》)。今年老鼠想必也会毫不留情地啃咬时光,并且,象魔鬼教练那样抽着我们的屁股催促:快,快跑!

松飾りが取れるころには電池を換えよう。水分の補給に、君も付き合うか。人の顔でいえば口のあたりとおぼしき、文字盤の「6」に盃(さかずき)を寄せて みる。

门松取下的时候再换电池吧。你(注:指“闹钟”)也要一起补充水分吗?我要试着举杯靠近你表盘上的“6”,那里似乎就是人类脸上的嘴巴。