小1のムスメがいて、しかも、34歳。自分がムスメと同じくらいの頃には、きっとみんな自分のことを「オバちゃん」と呼んだろう。

我今年34岁,有一个小学一年级的女儿。在和我女儿一般大小的时候,肯定都管我这般年纪的人叫阿姨了吧。

事実、りっぱなオバちゃんである。でも、いまどきの子は決して「オバちゃん」と言わない。

事实上我也是个十足的阿姨了。但现在的小孩子决不会叫我阿姨。

これは自分に限った話でなく、周囲の友人や、田舎の友達、姉などに聞いても、みんな「オバちゃん」とは呼ばれたことがないと言う。

不仅是我这样觉得,周围的朋友、乡下的朋友、我姐姐等都说没有被叫过“阿姨”。

個人的には、子どもの頃、自分の母親を「たこちゃんのオバちゃん」と呼ばれるのがイヤで、自分では友達のお母さんのことをあえて「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶようにしていたが、それでも周囲の「○○ちゃんのオバちゃん」呼ばわりは変わらなかった。

就我个人而言,我小时候也讨厌别人把我妈妈叫做“田幸君的阿姨”,于是自己就叫小伙伴们的妈妈为“某某君的妈妈”,但周围“某某君的阿姨”的称呼还是没有改变。

それで、「○○ちゃんのオバちゃんっていうと、お母さんじゃなくて、その子の親せきのおばさんのこと指してるみたいだよね?」などと、ささやかな抵抗を示したものだが、結果的には、努力むなしく、「○○ちゃんちのおばちゃん」と、「ち」が入り、マイナーチェンジされただけ。

因为我觉得“某某君的阿姨,总感觉叫的不是自己的妈妈,而是指叫自己的亲戚”所以我表示过小小的抵触,但结果也是白搭,“某某君的阿姨”中间加了一个“ち”只是做了局部改变而已嘛。

なるほど、これなら文法的にも間違いではないんだろうな、と、諦めの境地に至ったのを覚えている。

这样一改的确在语法上就没有歧义了。我也就算了,再也不想去改变什么了。

でも、いまの子たちは、天然に、こんなくだらない葛藤をしてるもんなんだろうか。
もしかしたら、地域によっては二人称としての「オバちゃん」呼ばわりが、まだ健在のところもあるかもしれないが、自分から「ほら、おばちゃんに貸してみ」とか言っても、「ありがとう、おばちゃん」とは返さないのが、いまの子たちのスタンダードのように思う。
これはなぜなのか。

可如今的小孩,却很自然地摆脱了这些无意义的纠缠。由于地方不同,第二人称“阿姨”这种称呼还存在吧。但每次当我说“来,阿姨的借你用”,小孩子不会回答说“谢谢,阿姨”。不叫女性为“阿姨”似乎都成了小孩们的规范了。这是为何呢。

子どもを持つ女性たちに聞いてみると……。

就这个问题,我询问了几位女士。

「いまの母親はみんな若いかっこうしてるからじゃない?」(20代女性)といった意見もあったが、大多数は、以下のような意見だった。

“因为现在的妈妈打扮很年轻吧”,一位20多岁的女士这样回答说。而大多数的妈妈是以下的观点。

「失礼があるといけないから、自分の子には、何歳くらいに見えるかは関係なく、女の人のことは基本的にみんな『おねえさん』と言わせるようにしてる」(30代)

“为了避免不礼貌,我们都教育自己的孩子,不管对方的年龄看起来有多大,都得叫她们为姐姐”(30多岁的女士)

「自分が“オバちゃん”って呼ばれるのイヤでしょ? だから、自分のこどもに話すとき、自分より明らかにずっと年上でも、『ほら、あのおねえさんに聞いてみなさい』とか言うようにしてる」(30代女性)

“自己也讨厌被叫做阿姨吧,所以看着明显比自己大很多的女性,我也会对自己的小孩说‘来,去问一下那位姐姐’”(30多岁的女士)

「失礼がないように」「自分が言われたくない」など、理由はそれぞれだが、「オバちゃん呼ばわり」を母親の教育によって、封印してるってこと?

“为了避免不礼貌”“自己也不想被叫做阿姨”等,理由各式各样。由于母亲的教育,“阿姨的称呼”被封印了?

「なんてよくできた子たちなんだろう」という思いとともに、だとしたら、子どもがみんな「プチ・みのもんた」状態に!? という不安も出てくるけど……。

虽然会让人觉得“小孩教育地很好呢”,但这样下去的话,小孩子不就成了“金牌主持人三野文太”了么(凡是参加三野节目的,不论是18岁的姑娘还是80岁的老太太,三野都一视同仁地称作“小姐”)。多少有点让人不安啊。

いまの母親世代の特徴なのだろうかと、ある幼児施設の先生に聞いてみると、
「いまの母親は、『ママ友』があったり、母親同士のつきあい、社会がけっこうあるから、お互いの名字でなく『○○ちゃん(くん)ママ』みたいな呼び方をすることが多いですよね? 子どもはそれをマネするからでは?」とのこと。

难道不叫女性为“阿姨”,是当今妈妈们的原因吗。我就此问了一下幼儿园的老师。她说“如今的妈妈会参加诸如“妈妈会”这种社交活动,且都不叫彼此的名字,而叫“某某君的妈妈”,这种情况不少。小孩子是在模仿吧”。

母親同士の関係が変わってきていることもあるのか。だが、ある小学校の教諭は言う。
「子どもたちは、女の人には年齢にかかわらず、『おねえさん』『○○ちゃんのママ(お母さん)』という呼び方をするのに、男の人に対しては、若い人に対してもけっこう平気で『おじさん』と言うこと、多いですね。これは、子どもの気遣いというより、女の人は化粧や服装、髪型でわからないけど、男性はスーツなど着てるとみんな『おじさん』に見えるということでは?」

妈妈之间的关系在变化么。有个小学教师说道:
“不管女人的年龄多大,都叫她为“姐姐”或“某某的妈妈(母亲)”。对男人们的称呼呢,即便是年轻男子也叫他“叔叔”。这样的小孩子很多。与其说这是小孩们的顾虑,还不如说从女人的化妆、服装、发型不能判断其年龄,而男士一般都穿着西装等比较像叔叔的缘故”。

確かに、うちのムスメも、私の女友達はみんな「おねえさん」だけど、私より明らかにずっと若い作業着の男性などを見ると「おじさん」と言う。

的确,我家的女儿也叫我的女友们为“姐姐”,叫比我小很多的穿着工作服的男子为“叔叔”。

母親による教えや、母親同士の関係性、さらに「記号」的要素もあって、二人称としての「オバちゃん」はずいぶん減ってきているのかもしれません。

由于母亲的教育、母亲间的交往,加之“穿着标志”等原因,第二人称的“阿姨”这种称呼会迅速减少吧。


注释:
1. みのもんた 三野文太 (本名御法川法男) 日本金牌主持 

1967年4月,他作为记者进入日本大报《产经新闻》。在参加了富士电视台与《产经新闻》联合举办的新人研修班后,他转而加入了AM广播局的文化频道。
上世纪60年代末70年代初,三野因为在之声主持棒球节目而声名鹊起。1979年,三野辞去公职,一边在父亲经营的自来水管厂工作,一边利用空余时间,主持各种广播电视节目。
三野在日本拥有一批铁杆“小姐”粉丝。凡是参加三野节目的,不论是18岁的姑娘还是80岁的老太太,三野都一视同仁地称作“小姐”。