选自《精彩日文晨读II-触动心底的幸福》
腕組み 腕組みの姿勢はいけない。 人の前で腕を組むのは、防御の姿勢に見える。反抗の姿勢でもあり、時には自分の邪心を隠す形にも見える。 胸の前で腕を組んでいる時は、相手の攻撃を予測している姿勢なのだ。どうしても平静な姿勢には見えない。 長い間、私はそのことが気にかかっていたのだが、最近になってやっと意味が分かった。 腕組みのポーズは心臓を守る形なのであった。確かに、心臓の前に防壁を作っているのだ。心臓の動きの変化、つまり心の動揺を相手に見せないとする本能の働きが形に表れたものだ。 お相撲さんが、控えに座っている時、殆ど例外なしに、腕組みしている。あれはお腹が突き出ているから、他にどうしようもないのだが、あの場合も防御の姿勢になっている。既に控えに入った時から、闘いが始まっているのだから。 お相撲さんの場合だけは緊張感があってとてもいいのだ。だが、あの姿勢をそのまま家庭に移してみたらどうだろう。 「さあ矢でも鉄砲でももってきやがれ」という姿勢になってしまうのだ。 屋外でたったまま腕組みしている人を見かけることがある。その時必ず両脚は突っ張っている。ヤアさんがあわや血の雨の直前、といった形。 心臓を覆うポーズは殆ど不安の形であり、内心の不安を見られることを恐れる形とも見える。 胸の前に手を組んでいるのは、これは優しさが見えていいのだが、両の腕が重なるように組まれた時が、どうもいけない。もう腕組みなど要らない世の中であるべきなのに。 さあ、組んだ腕をほどいてください。
合臂怀抱 不要轻易做出合臂怀抱(抱胳膊在胸前)的动作。 把胳膊叉在前胸,站在别人面前的时候,看起来好像在防御或反抗什么。有时也被看作是一种掩饰内心邪恶的举动。 因为把双臂叉在胸前,意味着你在防卫着对方的攻击。怎么看也不是一种心平气和的架势。 一直以来,我就很在意这个动作,直到最近才悟出了其中的含义。 双臂交叉放在胸前,原本是一种保护心脏的姿势。确实,这样一来,就在胸前设置了一道屏障。 不愿让别人看到自己内心的悸动与变化是人的一种本能。而这种姿势,就是人的这种本能的外在表现。 相扑选手在等候上场的时候,几乎无一例外,都是双臂交叉抱在胸前。当然,也可能因为他们肚子太大,不得已才做出那样的动作。换个角度看,在那样的场合下,也是一种自我防卫的姿势。因为,进入等候室,就意味着战斗已经开始了。 对于相扑选手来说,那样的姿势给人一种紧张感,当然无可厚非。但是如果把这样的姿势按部就班的拿到家里来会是什么结果呢。 “哼,是骡子是马拿出来遛遛吧。”看来也只能这么理解了吧。 曾经看见过有人双臂合怀,双脚叉开站在门外,俨然一副要迎接腥风血雨的样子。 遮住胸口,大多数是一种不安的举动,是因为害怕别人看到自己内心的不安。 双手合十放在胸前,看起来让人亲切自然,但是如果连胳膊也抱上的话,那就不好了。现在这个年代不再是需要你抱上胳膊,耀武扬威地准备战斗的时候了。 所以,还是把胳膊放下吧。