文豪といえば必ず名前が挙がる夏目漱石。漱石が生きた幕末から明治?大正は、文明開化の時代でもありました。漱石の足跡を尋ねて、東京を歩いてみました。

说到文豪必然会出现夏目漱石的名字。漱石生活于幕末到明治、大正时代,也即文明开化的时代。我追寻着漱石的足迹,漫步于东京。

お茶の水

御茶水

JRお茶の水駅から歩いて数分の場所にあるお茶の水小学校(旧?錦華小学校/東京都千代田区猿楽町)に、「吾輩は猫である 名前はまだ無い/明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」という碑が建っています。漱石が通っていた学校です。

位于JR御茶水站数分钟脚程地方的御茶水小学(原锦华小学 东京都千代田区猿乐町)里,建有“我是猫 尚无名字/明治十一年 夏目漱石 求学于锦华”的碑。这是漱石念过的学校。

お茶の水小学校は錦華通り沿いにあります。猿楽町、小川町、神保町などに続いています。この辺りの町は、漱石の小説のなかに、ひんぱんに登場します。『こころ』では、登場人物の「先生」が「猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲がりました」と、あてもなくさまよう場面が出てきます。

御茶水小学位于锦华路。紧接着猿乐町、小川町和神保町等地。附近的町(小镇)也频繁出现于夏目漱石的小说中。在《心》里面,就有主角“先生”“出了猿乐町来到神保町街上,然后拐到小川町那边去”的场面。

早稲田

早稻田

東京都新宿区の早稲田南町には、漱石終えんの地があります。「漱石山房」と呼ばれた漱石晩年の住居があった場所で、現在は入り口に漱石の胸像が建つ「漱石公園」になっています。漱石は、この場所で『こころ』を発表しました。

东京都新宿区的早稻田南町,是夏目漱石临终的地方。在夏目漱石季年的居所,叫做“漱石山房”的这个地方,现在成了“漱石公园”,公园入口处建有夏目漱石的胸像。夏目漱石正是在此处发表了《心》。

乃木神社

乃木神社

朝日新聞に連載された『こころ』は、56の章から成ります。その第56章は、「先生」から主人公「私」への語りかけになっています。第56章のなかで、「先生」は、明治天皇大葬の夜の号砲を「明治が永久に去った報知のごとく聞こえました」と書いています。併せて、「それが乃木大将が永久に去った報知にもなっていたのです」と記しています。

连载于朝日新闻的《心》由56章组成。在第56章中,是“先生”对主角“我”的对话。在56章当中,“先生”就明治天皇大葬夜里的午炮写到“感觉这就像是通报与明治时代永别似地”。同时还写道“这也是告知乃木大将永久离去的声音”。

東京都港区赤坂にある「乃木神社」には、明治天皇の大葬が執り行われた夜に自刃した乃木夫妻が、乃木希典命(のぎまれすけのみこと),乃木静子命(のぎしずこのみこと)としてまつられています。

位于东京都港区赤坂的“乃木神社”祭祀着在明治天皇大葬当夜自杀的乃木夫妻,号曰乃木希典命、乃木静子命。

時の流れとともに、街の風景も、価値観も変わっていきますが、文豪たちの足跡を探して、街を歩いてみませんか?

随着时间流逝,街上风景与价值观都改变了,尽管如此,也让我们来追寻着文豪们的足迹,来漫步街中吧。

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