被誉为“日本的《诗经》”的《万叶集》是日本现存最早的和歌集,其中收录的和歌横跨近一个半世纪,因此万叶歌风是日本文学的重难点。今天,让我们一起学习万叶集和歌的时代背景万叶歌风

万葉集に収録されている和歌は、130年以上にわたる長い時間を経ているので、その歌風も変化している。一般的にその特徴は時代に合わせて4期に分けられている。

万叶集中收录的和歌横跨了130多年的漫长时间,其歌风也随时间而发生变化。一般来说,学界将万叶集结合时代分为4期

第一期 舒明天皇即位(629)〜壬申之乱(672)

原文:

大化の改新や壬申の乱も起こった古代日本史のなかでも激動の時代であり、中央集権国家の礎が固められた日本の成立にかかわる重要な時期であった。

第1期は「初期万葉」と呼ばれ、官廷儀礼や民間習俗と深くかかわった和歌が多いのが特徴である。また呪術的な性格も強い和歌が多く、自然信仰や宗教観なども垣間見られる和歌が目立つ。

译文:

这一时期发生了大化改新和壬申之乱,是古代日本史中动荡的时代,中央集权国家的基础逐渐巩固,是关系到日本成立的重要时期。

第1期被称为“初期万叶”,其特征是多数和歌与官廷礼仪和民间习俗密切相关。此外,具有强烈的咒术性质色彩的和歌较多,这些反映时代的自然信仰和宗教观念的和歌值得注目。

★ 代表的な歌人:舒明天皇、額田王(ぬかたのおおきみ)

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は ――舒明天皇(じょめいてんのう)

大和地方多山丘, 天香具山最丰秀。 登高一望大平原: 地上升烟一缕缕, 海上飞起百合鸥; 好地方呵,好地方;大和国是秋津洲!

これは神聖な天の香具山から舒明天皇が国見(山などから国土の様子を見る春の農耕儀礼のこと)をした際の歌。「大和には沢山の山があるけれど、その中でもとりわけ整った頑固な天の香具山に登り立って国見をすると、国原にはかまどの煙があちこちから立ちのぼっている。海原には、かもめが飛び立っている。なんと素晴らしい国であることよ。大和の国は。」

第二期 壬申之乱〜平城京遷都(710)

原文:

律令政治も整備され、天皇を中心にした国家が形成され始め、国の安定と繁栄がもたらされた時代である。 この時期の万葉集の和歌は、個人の心情を詠んだものが多く、万葉歌風が確立した時期だと言われている。官廷儀礼や民間習俗などの集団性の強い和歌よりも、個人の心の内面を力強く表した和歌が多いのが特徴である。

译文:

这一时期律令政治逐渐完善,以天皇为中心的国家体制开始形成,国家走向安定与繁荣。

此时期的万叶集和歌大多以吟诵个人心情为主题,是万叶歌风确立的时期。相较于上一时期反映官廷礼仪和民间习俗等的集体性强的和歌,这一时期的和歌以强有力地表达个人内心为特征。

★ 代表的な歌人:持統天皇、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の

衣干すてふ 天の香具山

――持統天皇(じとうてんのう) 春方姗姗去, 夏又到人间。

白衣无数点, 晾满香具山。

女帝の持統天皇の歌。百人一首にも選ばれている。「春が過ぎ、夏が来たらしい。夏になると白い衣を干すという天の香具山に真っ白な衣が干されている。」

第三期 平城京遷都〜天平五年(733)

原文:

新しい都・平城京が唐の長安を模して造営されたことからも分かるように、中国文化がいっきに日本に流れ込んできた時代。 中国文化の影響により新たな発想や表現技法が使用されるようになり、雅やかな和歌が詠まれることが多くなったのも特徴である。

译文:

这一时期是大量中国文化传入日本的时代。受中国文化的影响,和歌中出现了许多新的构思和表达手法,优雅的和歌数量增加。

★ 代表的な歌人:山部赤人、山上憶良

春の野にすみれ摘みにと来し我そ

野をなつかしみ一夜寝にける

――山部赤人(やまべのあかひと)

到春日的野外摘紫云英的我,流连这山野,一夜席地而眠

女帝の持統天皇の歌。百人一首にも選ばれている。「春が過ぎ、夏が来たらしい。夏になると白い衣を干すという天の香具山に真っ白な衣が干されている。」

第四期 天平六年〜天平宝字三年(759)

编辑切换为居中

添加图片注释,不超过 140 字(可选)

原文:

この時期は、天平文化の最盛期と言われている時代であり、雅やかで素朴な力強さを放った和歌は少なくなり、観念的な和歌が増えたと言われている。また、女性歌人の和歌が多く誕生した時期でもある。ここから平安時代の王朝和歌へと繋がっていくこととなった。

译文:

这一时期是天平文化的鼎盛时期,优雅且质朴有力的和歌数量减少,反映主观意识的观念性和歌数量增加。此外,这一时期也是女性歌人所作的和歌数量变多的时期,这一现象与后面平安时代的王朝和歌相关连。

★ 代表的な歌人:大伴家持、大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)

春の苑 紅にほふ 桃の花

下照る道に 出で立つ娘子

――大伴家持(おおとものやかもち)

芳春苑、桃花灼灼红交映、少女亭亭立道间。

万葉の最後を飾る大伴家持の春苑桃李(しゅんえんとうり)の歌。「春の園が紅色に輝いている。桃の花が下を照らす道にたたずむ乙女よ。」

考点归纳

1.『万葉集』の歌風を紹介してください。 『万葉集』の歌は、真実の感情が単純で素朴に力強く表現され、のびやかで大らかな趣がある。ただ、長い万葉時代の中では、概して初期は古朴で雄勁、後期は優美で繊細に傾き、また作歌の個性によっても違いはある。

第1期は、「初期万葉」と呼ばれ、舒明天皇の時代(629-641年)から壬申の乱(672年)までの時代である。万葉歌風の萌芽期といえ、古代歌語の特色である集団性や口誦性が受け継がれ、やがて個の自覚を見るようになる。第2期は、平城京遷都(710年)までの、天武と持統天皇の時代である。歌は口誦から記載文学へ変化した。万葉歌風の確立と完成期ともいえ、集団から個人の心情を詠うようになり、おおらかで力強い歌が多いのが特徴である。第3期は、山部赤人と山上憶良の時代で、憶良が亡くなる733年までの時代である。宮廷貴族の間に雅やかな風が強まり、中でも山部赤人は自然を客観的にとらえ、優美に表現した。多彩で個性的な歌人が活躍した時代でもある。第4期は、大伴家持の時代で、最後の歌が詠まれた759年までである。万葉歌風の爛熟期といえ、歌風は知的で観念的になり、生命感や迫力、素朴さは薄れてきた。平安和歌への過渡期の様相を示しているといってよかろう。 2.『万葉集』の代表歌人を時系列で列挙してください。 舒明天皇、額田王、持統天皇、柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、大伴家持など。 3.大伴家持が『万葉集』の編纂と成立に果たした役割の大きさが認められている。また、万葉集の17〜20巻は大伴家持による歌日記であるとも言われる通り、家持の歌は万葉集に479首も収めらていて、万葉集全体の1割を占める程である。大伴家持の歌を一首紹介してください。 「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子」 大伴家持の春苑桃李の歌であり、桃の花の下の道に立っている少女が描かれ、幻想的で、絵画的な美が歌われている。

关注新澍日语考研公众号(xinshuryky),获取更多日语考研相关咨询、备考干货、真题解析、名师直播等精华内容↓

扫描下方二维码,获取日语专业考研备考精华资料包