大手商社を定年退職し、2500万円で購入した軽井沢の別荘に移り住んだ寺田吾郎さん(仮名・72歳)。妻と二人で夢のようなセカンドライフを送りつつ、「将来的には子どもたちが相続してくれればいい」と考えていたしかし寺田さんの老後の設計は、何から何まで「崩壊」していくことになる……。

从知名公司退休后,寺田五郎(假名 72岁)花2500万日元在轻井泽购买了一幢别墅住了进去。原本想要和妻子二人开启梦幻般的第二人生,还计划“将来可以把房子赠送给孩子”,可所有的一切却逐渐“崩坏”。

理想の暮らしに、暗い影が…

理想生活上的阴云密布

そんな暮らしも長くは続かなかった。妻にがんが見つかったのだ。

理想的生活并未持续多久。妻子便查出了癌症。

「胃がんでした。宣告されたときにはステージ4、いわゆる末期がんです。転移が進んでいて、病状は日に日に悪くなっていきました。宣告から旅立つまで2年、あっという間でした……」

“妻子查出是胃癌,确诊的时候已经是四期也就是晚期了。随着癌细胞转移,她的病情也逐渐恶化。从确诊到离世仅仅两年,真的是弹指一瞬间......。”

懸命に看病した寺田さんだったが、住まいが別荘地であるゆえの苦労もあったという。

奔波求诊的寺田有了住在别墅地区才有的烦恼。

「病院は少なくはないのですが、高度ながん治療を受けられる施設が近くになくて。通院や、在宅での緩和ケアに移行してから往診を手配するのも苦労しました。子ども2人も時々見舞いに来てくれましたが、仕事があるのでマメには来られません。

“虽然周边的医院不少,但却没有专门治疗癌症的地方。无论是定期就诊还是保守治疗的复诊都很劳累。虽然两个孩子时不时回来探病,但工作原因也不能常来。”

看病はほとんど私がやりましたし、家事も最低限のことはなんとか済ませて……。妻も辛かったでしょうが、私にとっても苦しい2年間でした」

“所以那时候几乎都是我在看护,家务也是做到最低保障......。患癌的妻子身体一定很辛苦,但那两年对我来说也是很痛苦的”。

あまりにも早く妻が旅立ってしまい、寺田さんは次第に寂しさを募らせていく。家庭菜園や料理への興味も薄れ、東京で家庭を持った子どもたちが孫を連れて時々遊びに来てくれることだけが唯一の楽しみ。充実した老後を送るための別荘だったが、一人暮らしではやはり不自由なことの方が多いのだ。

由于妻子早早离去,寺田也开始了自己寂寞的独居生活。因为他对家庭菜园和料理都没有太大兴趣,已在东京成家的孩子时不时带着孙子来家里玩耍成了他唯一的乐趣。原本为了过上丰富的老年生活才住进的别墅,却为独居生活带来了诸多不便。

妻の三回忌の法要が済んだ頃、寺田さんは別荘を売って都内にマンションを購入して移り住もうと決意した。

妻子去世二周年后,寺田决定卖掉别墅重新在市内买套房子住。

予想外…こんなに売れないなんて

意料之外......没想到这么不好卖

「価値のある別荘だから、どうとでもなると思っていたんです。きちんと手入れしていたから見た目もきれい。内装もこだわっているし、リフォームしたから水回りもピカピカです。今となっては甘かったとしか言いようがありませんが」

“原来想着别墅本身价值就很高,怎么样都能出手。而且我也一直在精心打理,看起来也很整洁,装潢也很讲究,重新翻修过,水管也都是新的。如今看来只能说还是我太单纯了”。

子どもに譲ってもいいし、売りに出したとしてもすぐに買い手がつくだろうと思っていた寺田さん。しかし地元の不動産屋の回答は渋いものだった。

寺田原本认为,这幢别墅可以送给孩子,就算要卖也可以很快找到买家。而当地房地产商的回答却不容乐观。

「不便な場所なので買い手もつきにくいだろうと言われてしまいました。本当は少しでも早く売却したほうがいいが、売れる保証もない、と。予想していなかったので驚きましたね。そこで、元々子どもに相続させるつもりだったので、少し予定を早めて譲渡したいと子どもたちに相談したんです」

“对方告诉我,因为地理位置不便,所以很难找到买家。他们也希望能早点卖掉,但也不敢保证。这件事我是没想到的所以很震惊。然后,我原本想让孩子继承的,这时候想提前办理赠与手续,就和孩子们商量了一下”。

ところが娘も息子も難色を示した。

然而女儿儿子都对此面露难色。

「これから教育費がますますかかってくるから別荘の維持費なんて払えない。それに仕事と子育てで忙しく、別荘があっても使う時間がない」

“今后孩子的教育支出会越来越多,根本没钱付别墅的维修费。而且工作育儿都很忙,就算有别墅也没时间来住”。

「譲り受けるにしてもいずれ相続するにしても、税負担が重すぎる。お父さんの方で処分してくれ」

“无论是赠予还是继承,税金负担都太重了。这幢别墅还是交给父亲自己处理吧”。

子どもたちは2人とも30代。共働きの子育て家庭には、別荘なんてお荷物だ――そう言われているように寺田さんは感じた。

寺田的两个孩子都三十来岁。他们的话让寺田觉得,这幢别墅对这两个有孩子的双职工家庭而言就是一个累赘。

「思い出がたくさん詰まった大切な別荘です。子どもからいずれは孫にも受け継いでほしくて何度も話し合いをするうち、だんだんとケンカのようになってしまって……もう電話にも出てくれません。今では年賀状が届くだけです」

“这幢别墅对我弥足珍贵,里面有我非常多的回忆。我非常希望它能传给孩子传给孙子,所以和孩子们商量了很多次,最后慢慢就吵起来了......现在连电话都不接了。如今也就是过年发个贺卡而已了”。

娘と息子、どちらの家族とも疎遠になり、孫たちも成長して全く遊びに来てくれなくなってしまった、と寂しそうに話す。売りに出しても買い手がつかず、子供にも譲渡できない別荘で、寺田さんは今も孤独と不安を抱えながら一人で暮らしている。

他有些寂寞地说,现在和儿子女儿两个家庭都渐渐疏远,孙子慢慢长大也完全不来家里玩了。想卖也找不到买家,孩子们也不愿继承,如今,寺田依旧怀抱着孤独与不安一个人生活在这幢别墅中。