質問:「上から目線」の「目線」は昔からあることばですか。
提问:「上から目線」中的「目線」一词以前就有吗?
回答:ことばとしては,わりと昔からあります。ですが,これが今と同じような意味で使われ始めたのは,また広く一般に使われるようになったのは,比較的最近のことみたいなんです。
回答:从词语角度来说,「目線」很久以前就已存在。但是,如今常见的几种用法以及被广泛使用却是最近才有的。
まず,「目線・眼線」ということば自体は,明治になる前,幕末のころの資料にもすでに出てきています。しかしこれらは今とは意味が違うもので,現代の「目線」の直接の起源は,第二次大戦のころ,映画関係の人たちが仲間内で使っていたことばだそうです。これに加えて,数学の一種·幾何学関連の専門用語や,また近代の中国語でも,「目線・眼線」という言い方が使われていて,ここらへんとの関連・影響も考えられるとか。これは,この問題にものすごく詳しい,日本語学者の橋本行洋さんによる研究の成果です(「「めせん(目線・眼線)」の成立と展開」)。
首先,「目線・眼線」这类词语本身在明治之前的幕末时代资料中便已出现。不过意思和如今有所出入。据说,第二次世界大战时,电影相关人员之间使用的词语是现代词语「目線」的直接起源。除此之外,数学的一种·几何学的相关专业术语以及近代汉语中,也出现了「目線・眼線」这样的表达,因此一般认为「目線」也受到了这些的影响。这是对此问题非常了解的日语学者桥本行洋先生的研究成果。
現代の「目線」ということばについて,国語辞典ではどのように説明しているのかを見てみましょう。
关于现代的「目線」一词,国语辞典是怎样解释的呢?一起来看看。
① 〔演劇・テレビ用語〕視線。「―が合う・―を はずす・カメラ―〔=カメラのほうを向いた目〕」
② その立場からの見方。視点。「幼児の―で見る・国民の―に立った政治」⇒:上から目線。
③ 目の高さ。「歩きタバコの火が子どもの―にある」
④ 〔報道などで〕顔写真の目をかくす太い線。「―を入れる」
(『三省堂国語辞典 第七版』三省堂)
①(戏剧、电视用语)视线。“对上视线·避开视线·镜头感(看向相机的视线)”
②看事物的立场。观点。“以幼儿的角度看·站在国民立场上的政治”⇒:居高临下。
③眼睛的高度。“走路抽烟时烟头处于孩子眼睛的高度”
④〔在新闻报道中〕给照片中人物眼睛打码的粗线。“眼睛打码。”
(出自《三省堂国语辞典 第七版》三省堂)
この辞典では,今のこの説明になるまでに,「目線」ということばをこんな感じで扱ってきました。
在这本词典中,「目線」一词经历了以下过程才有了现在的这些释义用法。
初版(1961年): 「目線」の項目の掲載なし
二版(1974年): 「目線」が,① に相当する意味で掲載される
四版(1992年): ④に相当する意味が追加される
五版(2001年): ②に相当する意味が追加される
七版(2014年): ③が追加される
初版(1961年):未收录「目線」一词
二版(1974年):「目線」收录了与释义① 差不多的解释
四版(1992年):追加了与释义④差不多的解释
五版(2001年):追加了与释义② 差不多的解释
七版(2014年):追加了释义③
つまりですね,時代的には,おおまかに①→②→③の順で意味・用法が加わる形で広がってきたんだと考えられるんです(④は少々異なるものなので,ここでは別扱いにしておきました)。③はかなり新しいもので,ここでは①と②について簡単にお話ししましょう。
也就是说,从时间上来看,它的释义用法大致是按照①→②→③的顺序依次增加和扩展(④稍微有些不同,所以暂且视作特殊情况)。由于③又是非常新的一种解释,因此这里就①和②简单地谈一谈。
まず① の意味の「目線」についてです。さきほど紹介したように,「目線」は最初は映画関係者の仲間内のことばだったのですが,その後一般の人たちにも広まり,1970年代には世間で普通に使われるようになっていたようです。たとえば,次のような歌謡曲の歌詞があります。
首先是第①种释义的「目線」。如刚才介绍的那样,它最初是电影相关人员相互间使用的词语,后来使用人群逐渐扩展到大众,到20世纪70年代开始被社会普遍使用。例如,当时出现了如下歌词,
この「目線」ということばは,当時よく使われてはいてもあまり評判がよくなかったようで,テレビの視聴者から放送局に1981年に寄せられた「最近,特に気になることばづかい(新語・流行語・誤用など)」の例の一つに,「目線」が挙げられているんです。また放送局の側では,部内への注意喚起として1983年に
当时,「目線」这个词虽然经常被人们使用,但评价似乎不太好。1981年,电视观众在给广播公司的投稿“最近,特别在意的用词(新语、流行语、误用等)”中,就列举了「目線」一词。此外,为了唤起内部的注意,1983年电视台方面发出了以下呼吁:
「最近,マスコミ用語の一般語化が目立っている。「電話を入れる」とか「本番」「目線」など,一般の人が聞いてオヤッと思うこともしばしばだが,放送番組の中で部内者がこの種のことばを不用意に使うのは好ましくない」(「放送のことば」『放送研究と調査』33-6)というものがありました。
“最近,媒体用语的通俗化现象明显。诸如「電話を入れる(打电话)」、「本番(正式演出)」、「目線」等人们听到会感觉违和的语言屡次出现,内部人员应在节目中避免不经意间使用此类语言。”(出自“广播的语言”《广播研究和调查》33 - 6)
次に,②の意味の「目線」についての話です。1980年代なかばごろの雑誌に「民衆レベルの日韓新時代とは こだわりを超え,対等な目線で対話を」(『エコノミスト』62-44,1984年10月)というタイトルの記事があるのですが,このような用法が一般的になったのも,たぶんこの時期だと思います。
其次是第②种释义的「目線」。20世纪80年代中期,杂志上有一篇题为《超越拘泥于民众层面的日韩新时代,以平等视角进行对话》(出自《エコノミスト》62- 444,1984年10月)的文章,这种用法大概也是在这个时期变得普遍的。
この②の用法,現代ではかなり定着しているようです。世論調査(2008年実施[NHK放送文化研究所],1,301人回答)で,「庶民の目線で考える」という言い方はおかしいかどうかを尋ねたところ,「おかしくない」という人が72%になりました。「おかしくない」と感じる人の割合は,年が若い人たちの間ではさらに高くなっています。
释义②如今似乎已成为一种固定用法。在民意调查([NHK放送文化研究所]2008年实施 ,1301人回答)中,关于「庶民の目線で考える(以平民的视角思考)」这一说法是否奇怪的问题,回答“不奇怪”的人占72%。认为“不奇怪”的人群中年轻人所占比重更高。
ちなみに,ご質問の「上から目線」は,辞書ではこんなふうに説明しています。他人を見下すような,自分を上位に置いた尊大な態度。(『広辞苑 第七版』岩波書店)
顺便一提,关于提问的「上から目線」,词典中是这样解释的:看不起别人,居高临下、自高自大的态度。(《广辞苑第七版》岩波书店)
こういう態度をとったらだめだぞ,と辞書に教えられている気がします。
词典在告诉我们,采取这种态度是不行的。
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