ハリウッドや韓国映画に大きく水をあけられ、低迷が続く日本映画界

被好莱坞和韩国电影遥遥领先,持续低迷的日本电影界

ハリウッドや韓国映画に予算や規模で大きく水をあけられ、長らく低迷が続いている日本映画界は、長引くコロナ禍や相次ぐ性加害報道が追い打ちとなり、今まさに大きな岐路に立たされている。なぜ日本ではハリウッドや韓国映画のような世界的大ヒット作が生まれないのだろうか。「パッチギ!」などの代表作で知られる井筒和幸監督に、日本映画の可能性と限界を聞く。

由于好莱坞和韩国电影在预算和规模上遥遥领先,长期处于低迷状态的日本电影界因长期的疫情影响和接连的性伤害报道而陷入困境,现在正处于巨大的十字路口前。为什么日本拍不出像好莱坞和韩国电影这样的全球热门作品呢?我们向有着《无敌青春》等代表作的井筒和幸导演询问了日本电影的可能性和界限。

――日本映画の現状について。

—关于日本电影的现状。

「日本映画は日本経済と一緒でまったくダメ。手堅く稼ごう、とにかく採算取れたらいいとしか考えてないから。映画なんてのはもともと大バクチなのに、リスクを分散させてばかりで、バクチ的な思考が消えてしまったね。最初から製作費を回収できるものにしか手をつけない。大手の出版社から100万部出てる、漫画も売れてます、適当なアイドル系かトレンド役者を使ってあんまり予算もかかりません。3億円規模の小っちゃな映画ばっかりだよ。誰と恋して、誰が死んで、犯人が捕まったとか、ごまんとあるウソまみれの話。しみったれてるよ。

“日本电影和日本经济一样完全不行。就只想着赚钱,总之能盈利就好了。电影本来就是个豪赌,但只想着分散风险,赌博的想法消失了。从一开始就只想着回收制作费。大型出版社出版了100万部,漫画也很畅销,随便找个偶像系或人气演员也不需要太大的预算。都是3亿日元规模的小电影。谁和谁恋爱,谁谁死了,犯人被抓住了之类的,满是谎言的故事。不够大气。

韓国にもいつの間にか完全に出し抜かれた。韓国は製作費がかかろうが今までにない面白い話なら作ってみろよとリスクを取って冒険させる。日本にも昔はそういう人がいたけど、今のプロデューサーはみんなサラリーマン。ただの月給取り、自分がいかに社内でポジションを守れるか、首切られないかとそればっかりだよ」

韩国也在不知不觉中完全超越了日本。韩国不管制作费如何,如果是前所未有的有趣的故事,也会放手去做。日本以前也有这样的人,但是现在的制片人都是上班族。只是为了拿工资,想的是自己如何在公司内守住职位,不被解雇,都是这样。“

――なぜ日本映画はリスクを取らなくなったのか。

—为什么日本电影不再冒险了呢。

「狸の皮算用で失敗ばっかりしてるからだよ。日本映画はそういう投機的な、冒険主義の時勢じゃなくなったということ。今はみんな会社同士の、委員会制で金を集めてリスクを分散させる時代。3億円の映画を2000万ずつ15社で分担すれば、たかが2000万だから、コケたって痛くもかゆくもない。欠損処理だから15社の意見を聞いて、宣伝になればいいやとつまらん映画ばっかになるんだよ。

“都是因为如意算盘总是失败。日本电影已经不是那种投机取巧、冒险主义的时代了。现在都是公司之间通过委员会制筹集资金来分散风险的时代。3亿日元的电影由15家公司分担每家承担2000万的话,只不过2000万,所以即使不如意也不痛不痒。因为损失处理,所以要听15家公司的意见,只要宣传好就行了,净是无聊的电影。

まあ、80年代で終わったんじゃないかな。俺らが角川で撮ってたのが最後。角川のオーナーは冒険主義で、どこの馬の骨かも分からない新人監督たちに大枚はたいて好き勝手にいろいろとやらせてくれた。その代わり、投入したものは絶対に回収するぞ、当ててやるぞというすごみ、勢いがあった。ハイリスクハイリターンという考え方は角川時代で終わったね。その時代が戻ってくること? もうないでしょ。独立映画プロデューサーが出てこない限り。みんな会社勤めのサラリーマンばっかりだから、役所と同じ、自分の保身しか考えてない。そりゃそうでしょ、適当に小銭商売できてりゃいいんだから」

不过,80年代已经结束了吧。我们最后拍摄是在角川。角川的老板是冒险主义,可以倾其所有让不明来历的新人导演随心所欲地做事。与之相对,投入一定会有回报的,我一定会猜中的之类很有气势,惊人的想法。高风险高回报的想法在角川时代就结束了。那个时代还会回来吗?已经不会了吧。除非能出来独立电影制片人。大家都是在公司上班的上班族,所以和政府机关一样,只考虑保住自己的饭碗。是啊,随便做点小本生意就好了。“

――独立映画プロデューサーが出てくるためには何が必要なのか。

—独立电影制片人的出现需要什么。

「金なんか持ってなくたっていいんだよ。借りてくる能力があれば。ハリウッドのプロデューサーって、オールアナザーマネーって言って、私財を投じて映画なんか作らない。全部他人の金、日本だってそれが基本。ヘッジファンドと一緒で、他人から100億借りて企業をM&A(買収)してショーをする。借りる能力っていうより、簡単に言えばだます能力だな。

“没钱也没关系。只要有能力借就好了。好莱坞的制片人,都用公有资金,不会投资私人财产制作电影。全部都是用别人的钱,日本也是基本如此。和对冲基金一起,从别人那里借100亿收购企业表演。与其说是借的能力,简单来说,是欺骗的能力。

昔からだけど、金を出す方は出す方で、余ってるとか、何かの名目に充てた節税対策だとか、留保金を何とかしないといけないとか、税務署に持ってかれるくらいなら自社の宣伝費で遊んでやれとか。いわゆる資本家、資産家のような、あぶく銭を出してくれる人がいないとどんなプロデューサーでも成り立たない。複数の事業を展開してて、ポンと何十億も投げうってくれて、『あの映画は俺が作ったんだ!』って。これがハリウッドの世界だよ。映画自体に価値があって、これを作る権利を買うんだという考え方が日本にはない。だから何千万でも回収しなきゃと思っちゃう。対価を払って権利を買ったはずのに、それを失ったと思っちゃうんだよな。だから大衆娯楽主義をはびこらせるしかなかった。

虽然是很久以前的事了,但是出钱的人是出钱的人,可能是有富裕的,可能是用来充当什么名目的合法避税对策,或者是不得不当作保留金,如果拿去交税的话,不如就用作自己公司的宣传费花销吧。也就是如果没有像资本家、资产家那样愿意出不义之财,任何制片人都不能成立。展开多个事业,砰的一声投了几十亿,说出“那部电影是我做的!”。这就是好莱坞的世界。电影本身就有价值,日本没有购买制作这个的权利的想法。所以不管几千万都要回收成本。明明是付出对等代价买了权利,反倒觉得失去了。所以大众娱乐主义横行。

クラウドファンディング? しょんべんみたいな話だよ。人様から2万円ずつもらって、ちりも積もれば1000万円になりました、エンドロールで500人のクレジット出しましたって、そんな映画見たくもないだろ。そんなのどっかの市民ホールでかけて終わりよ。そんなみみっちい話じゃないはずなんだよ、本当は」

众筹?听起来很简单。每人出2万日元,积少成多的话也能凑出1000万日元,在最后的演职员表上写500个人的名字,你也不想看那样的电影吧。这种刚在某个市民大厅播出就结束了。不应该是那么小气的事情,真的“

「小説や漫画を元にしたウソ話ばかり」 日本で骨太な作品が生まれないワケ

“都是改编自小说和漫画的谎言”在日本没有扎实作品的理由

――国外の資本家に投資してもらうことは。

—请国外资本家投资。

「それもできないな。日本は英語圏じゃないから。英語圏は元からハイリスクハイリターンが成り立つのよ。世界中で上映できるわけだから。米軍って世界中に150か国くらいにいて、基地があるところは必ず映画もかかってる。その国が英語圏でなくても通用するわけよ。

“这也行不通。日本不是英语圈。在英语圈原本高风险高回报就是成立的。因为可以在全世界上映。美军驻扎在全世界大约150个国家中,有基地的地方一定会有电影。即使那个国家不是英语圈也能通用。

ただ、それは仕方のないこと。別にグローバルになる必要はないんだよ。日本語が分からなくても日本人が分かるものを作ればいいだけで、そっちの方が本当はずっと価値がある。日本人にしか分からない江戸時代劇でも、世界中どこに行ったって、分かる人には分かるんだよ。そこが打って出る幕なんだけど、カンヌだベネチアだと、海外の評論家の好みに合わせて作ったものばっかり。自分たちはどこにいるんだか」

只是,那也是没办法的事。没有必要面向全球。即使不懂日语,只要做一个日本人能懂的东西就好了,其实这样才更有价值。即使是只有日本人才知道的江户时代剧,全世界无论去哪里,懂的人自然能明白。这才是要弘扬的东西,但无论戛纳和威尼斯国际电影节,都是根据海外评论家的喜好制作的电影。我们自己的东西在哪里?“

――井筒監督の考える映画とは。

—井筒导演认为的电影是什么。

「映画の歴史は戦争の歴史と重なってる。もともとは戦地の記録フィルムを、自分とこのおとっつあんや息子が写ってないか、安否を確認しに見に行ったんだよ。初期の映画は物語を見せて楽しませるより、せいぜいアトラクションか、戦争の実相を確かめる記録でしかなかった。それがあるときから、小説みたいに物語を作ったらどうだとなって、ストーリーテラーが始まった。そこから今日まで120年、いろんなおとぎ話、空想物語が作られてきた。

“电影的历史和战争的历史重叠在一起。我本来是去看战地的录像带,确认自己和老爹以及儿子有没有拍到,是否平安。初期的电影与其说让人看故事,不如说是助兴节目,或者是真实记录战争的真相。突然某个时候,如果像小说一样编故事会怎么样,就这样小说家诞生了。从那时到今天过去了120年,创作了各种各样的童话、空想故事。

日本はいまだに小説や漫画を元にした絵空事のウソ話ばっかり撮ってる。今日び、欧米では『ディス イズ トゥルーストーリー』って頭に書かないと客が入らないくらいだからね。日本ではほぼ無しでしょ? 『これは実話です』って映画。俺らは実際の事件や出来事を取材しまくって、それを元にして映画を作るけど、そういう作り方をしてる人ってなかなか少ない。イージーマネーを稼ぎたい3000万しか出さない製作委員会の会社はそれが真実かどうかなんてどうだってよくて、適当な出版社の漫画原作でいいわけよ。そこが違うんだよね、物語の作り方が。取って付けたような物語か、実際にあった出来事なのか。

日本现在还老是拍改编自小说和漫画的虚构故事。到了今天,在欧美,如果不在头上写“真实故事改编”的话,观众都不会进去。在日本几乎没有吧?“这是真实的故事”这样的电影。大量采访真实的事件和情况,以此为基础制作电影,在日本这样的人很少。只想赚3000万快钱的制作委员会的公司不会管这是否是真实的,随便找个出版社的原作漫画就可以了。完全不一样吧,故事的制作方法。是假的的故事,还是实际发生的事情。

日本人は漫画が好きだから、ウルトラマンでもゴジラでもドラえもんでも、虚構からしか出発してない。でも、江戸期の戯曲はけっこう本当の話が多かった。忠臣蔵も四谷怪談も心中物も実際にあった話で、いわゆる報道特集だよ。だから、ヒットして、芝居になって回ってたんだけどね。ドキュメンタリーを作りゃいいというわけじゃないけど、いつの頃からか日本映画はまったくの戯言になった。骨太な歴史モノ、事件モノが見事に消えたね」

因为日本人喜欢漫画,所以无论是奥特曼、哥斯拉还是哆啦A梦,都是虚构的人物。但是,江户时期的戏曲有很多改编自真实的故事。忠臣藏、四谷怪谈、心中物都是实际发生过的,也就是所谓的报道特集。所以,很受欢迎,改编成了戏剧流传。虽然并不是说制作纪录片就好,但不知从什么时候开始,日本电影完全成了胡说八道。扎实的历史故事和真实事件都消失的一干二净了。“

■井筒和幸(いづつ・かずゆき)1952年、奈良県生まれ。奈良県立奈良高等学校在学中に8mmと16mm映画の製作を始め、1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。同年、ピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて、監督デビュー。1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞、1996年「岸和田少年愚連隊」で第39回ブルーリボン賞 作品賞を受賞、2004年「パッチギ!」では、2005年度、第48回ブルーリボン賞 作品賞他、多数の映画賞を受賞する。その他、代表作に「二代目はクリスチャン」「犬死にせしもの」「のど自慢」「ゲロッパ!」「黄金を抱いて翔べ」「無頼」など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。

■井筒和幸1952年出生于奈良县。就读于奈良县立奈良高等学校时开始制作8mm和16mm的电影,1975年,与高中的伙伴设立了电影制作小组“新映俱乐部”。同年,以粉片《行く行くマイトガイ・性春の悶々》(井筒和生  名义/后,1977年改为《ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々》,百万公开),导演处女作。1981年凭借《少年帝国》获得日本电影导演协会新人奖励奖,1996年凭借《岸和田少年愚连队》获得第39届蓝丝带奖作品奖,2004年凭借《无敌青春》在2005年度,除了获得第48届蓝丝带奖作品奖之外,还获得了多个电影奖。除此之外,代表作还有《小修女大流氓》、《使犬之死》、《一展歌喉》、《动起来》、《拥抱黄金飞翔》、《无赖》等,创作了各种社会派娱乐作品。

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