アメリカ統治時代の沖縄。自然豊かな沖縄本島北部、通称「やんばる」で育った少女・暢子が、1972年の本土復帰を機に上京し、料理人の夢を追いかける──これは4月11日スタートのNHK連続テレビ小説(以下朝ドラ)『ちむどんどん』の大まかなストーリーですが、沖縄県出身の筆者としては放送前からとても“ちむどんどん(胸わくわく)”しています。
美国统治下的冲绳。生活在自然资源丰富的冲绳本岛北部一个叫“山原”地区的少女畅子在1972年回归日本时选择到东京打拼,追寻自己的料理人梦想。这就是4月11日开播的NHK连续剧(晨间剧)《心潮澎湃》的故事梗概。而笔者作为一个土生土长的冲绳人,在这部作品播出前就已经“心潮澎湃”了。
なぜなら、過去にも『ちゅらさん』『純と愛』など沖縄を舞台にした朝ドラはありましたが、アメリカ統治時代、沖縄で言う「アメリカ世(ゆー)」を経験した沖縄人がヒロインとして描かれるのは今回が初めてだからです。もしかしたら、あまり知られていない「アメリカ世の沖縄人」のメンタリティに全国規模でスポットが当たるかもしれない──そんな期待感から“どんどん”してしまいました。
为什么呢?过去虽然也有《水姑娘》、《纯与爱》等以冲绳为舞台的晨间剧,但《心潮澎湃》是第一部以经历过美国统治时代,也就是冲绳所谓的“美国世”的冲绳人为女主角的作品。这样一来,“美国统治时代的冲绳人”那些不为人知的内心想法或许能在全国荧幕中展现出来,出于对这件事的期待,让我很是兴奋。
「アメリカ世」の宙ぶらりんな状態が生んだもの
“美国世”时期进退维谷的状态中催生的心理
沖縄人に接したことがある方はわかると思いますが、程度の差はあれ、沖縄人には沖縄人以外の日本人を「ヤマトゥンチュ」もしくは「ナイチャー」と呼び、自分たちとは違う文化圏の人として捉える傾向があります。人生の半分以上を東京で過ごしている筆者でさえもそのきらいがあるのですが、これは決して「沖縄を特別と思ってるから」とか、逆に「本土に対して引け目を感じている」といった、何か特別な感情があってのことではありません。
和冲绳人接触过的朋友可能有这样的感觉,虽然程度不同,但冲绳人会将冲绳人以外的日本人称作“大和人”或者“外省人”,而且总是认为他们和自己是不同文化圈子的人。笔者的大半生都在东京生活,但依旧会有这样的心理。这绝不是因为我们“觉得冲绳是特别的”或者“对家乡感到自卑”,其实这些话语中并没有什么特殊的情感在里面。
この分けて考える癖は、日本とは異なる国であった琉球王国時代の名残だと思われます。そして、戦後27年続いた「アメリカ世」がこの傾向に拍車をかけたのでしょう。その当時の沖縄は、日本でもアメリカでもない“宙ぶらりん”な状態でしたから。
之所以会这么想,笔者认为是琉球王国时代留下的习惯,当时琉球和日本还不是一个国家。而二战后,长达27年的“美国世”更激化了这个习惯。当时的冲绳既不属于日本,也不属于美国,处在一种“进退维谷”的状态。
筆者は本土復帰後の生まれなので、アメリカ世の様子は資料や先人の話から学んだのですが、簡単に説明させていただくと
由于笔者是在回归日本后出生的,所以只能通过资料和上一代人的回忆了解美国世的情况,简单来说就是:
・施政権は日本ではなくアメリカにあり、「琉球政府」という独自の統治機構が置かれた。
・施政权在美国不在日本,设立了独立的统治机构“琉球政府”。
・アメリカの軍用地を確保するため強制的に住人の土地を摂取。極東最大の米軍基地が建設された。
・为确保美国军用地,强制掠夺居民土地,建立了远东最大的美军基地。
・アメリカ軍人が住人に対して起こした事故や犯罪は軽く扱われ、ときには無罪となった。
・美军无视本土居民身上发生的事故和犯罪事件,有时甚至会判无罪。
と、政治的な部分だけをみても、本土とは全く異なる状況にあったことが分かります。もちろん、悪いことばかりではなかったでしょうが、当時を経験した人の多くが「自分たちには人権がなかった」と証言しています。あの抜けるような青空、透き通った海とは対照的な暗然たる現実が当時の沖縄にはあったでしょう。
可以看出,单从政治部分来看,冲绳和日本本土的状况就完全不同。当然并不是没有一件好事,但经历了当年情况的老人大多感叹“当时的我们没有人权”。与一望无际的晴空和清澈通透的大海截然相反,当时的冲绳正处在至暗时刻。
ちなみに、筆者の両親は青春のまっただ中をアメリカ世で過ごした世代で、父からは「自分が東京の大学に進学したときは、『国費留学生』という扱いでパスポートが必要だった」、母からは「母校の野球部が特例で全国高校野球選手権に出場したけど、アメリカの植物検疫法に引っかかったので甲子園の土を没収された」といったエピソードを聞かされました。
此外,笔者父母的青春年华也正好是在美国世时期,所以我也知道了一些故事,比如父亲“在去东京读大学时被当做‘公费留学生’,需要护照才能去东京”,和母亲“母校的棒球部是个特例,拿到了全国高校棒球选手赛出场权,但受阻于美国的植物检疫法,所以学校甲子园的土地被没收了”。
自分たちと本土人と分ける真意を、ドラマを通じて伝えてほしい
希望通过作品传达冲绳人和本土人的区别
このような背景を踏まえれば、沖縄人が自分たちと本土人を分けて考える理由がお分かりいただけるのではないでしょうか。筆者は沖縄人の一人として、こうした沖縄人の真意が、『ちむどんどん』を通して全国の皆さんにも伝わればいいなと勝手に期待しています。やはり、ドラマという第三者目線で語ってもらうのが一番説得力がありますからね。
了解了这些历史背景之后,不知道大家能否理解冲绳人会将自己和本土人区别开来的理由。笔者作为一个冲绳人,希望能够通过《心潮澎湃》这部作品让全国的观众了解到冲绳人这样的心理。毕竟,电视作品这样用第三视角讲述故事的方法是最有说服力的。
もし、上京後のヒロインが異邦人感たっぷりに描かれていたとしても、温かい目で見守ってほしいと思います。それは少なくとも沖縄人にはリアルな姿に映るでしょう。日本の言葉を話し、日本のニュースや芸能に触れながらも日本人ではなかった、という特殊な経験は、本土に出ていったヒロインには壁になることが容易に想像できてしまいます。
如果剧中用大篇幅来描述到了东京的女主角心中外邦人的感受,也请大家用理解的心态来看。毕竟这也是冲绳人最真实的样子。大家说着同样的日语,了解着同样的日本新闻和娱乐圈,但还是觉得自己不是日本人,不难想象,如此特殊的经验一定会让刚刚来到东京的女主角感受到无形的壁垒。
果たしてヒロインは、自分は日本人なのか違うのかというアイデンティティーの壁、地方出身者としての壁、そして、誰もが経験するさまざまな人生の壁をどうやって乗り越えていくのか──。脚本の羽原大介氏は映画『パッチギ!』では在日コリアン、朝ドラ『マッサン』では日本人に嫁いだスコットランド人と、日本社会のアウトサイダーを描いてきた方なので、『ちむどんどん』にはドンピシャの人選だと思っています。
那么,面对自己究竟是不是日本人的认知壁垒、乡下人壁垒、以及很多人都会经历的人生壁垒,女主角究竟将如何跨越呢?这部作品的编剧羽原大介曾在《爱与和平》中讲述了一对在日朝鲜人的故事,在晨间剧《阿政》中讲述了一个嫁给日本人的英国人的故事,他十分擅长描绘日本社会中的外邦人,所以他可以说是《心潮澎湃》这部作品编剧的不二人选。
沖縄と本土との壁をどうやって乗り越えるのか?
如何跨越冲绳与本土之间的壁垒?
ちなみに筆者が子どもだった1970年代後半の沖縄にもアメリカ世の面影は色濃く残っていて、たとえば車道はアメリカと同じ右側通行で、そこを左ハンドルの日本車が普通に走っていました。また、夕方になると焼きいもと並んで、アメリカンフードの代表ともいえるハンバーガーの販売ワゴン車が住宅地を回っていました。上京した1990年代前半にはかなり日本化が進んでいましたが、それでも現在と比べると本土との隔たりを強く感じていた記憶があります。
值得一提的是,在笔者的童年时代,也就是二十世纪七十年代后半段,冲绳还遗留着许多美国世时代的风貌。比如当时马路和美国一样都是右侧通行,而马路上行驶的也是左舵日本汽车。此外,一到傍晚,烤红薯摊和美国代表性食物汉堡贩卖车开始走街串巷。笔者在二十世纪九十年代来到东京时,冲绳的日本化已经很充分了,但与现在相比,当时的冲绳和日本本土还是有很大隔阂的。
当時は安室奈美恵やMAX、SPEEDといった沖縄アクターズスクール勢がブレイクする前で、沖縄への注目度は今よりもだいぶ低いものでした。沖縄の方言もあまり知られていなかったので、ちょっとでも訛ると好奇の目で見られたり、明るい色の服を着ると「南国の人って原色が好きだよね~」とからかわれたりと恥ずかしい思いもしました。
当时,在安室奈美惠、MAX、SPEED等冲绳演员学校毕业艺人大火之前,世人对冲绳的关注度比现在低了许多。大家也不知道冲绳方言,所以说话稍微有些口音就会引起大家的好奇,只要衣服穿得鲜亮一些,就会被人戏谑“南国人果然很喜欢原色啊~”,真的让人很不好意思。
そうやって筆者は引け目を感じながらもなんとなく東京になじんでいったわけですが、アメリカ世を経験し、筆者とは比較にならないくらい本土との隔たりの意識が強いであろう『ちむどんどん』のヒロインはどうやって東京に溶け込んでいくのか。
就这样,笔者虽然自卑,但还是适应了东京的生活,与笔者相比,经历了美国世时代的《心潮澎湃》女主角应该比笔者更能感受到冲绳与本土的隔阂感,她又将如何融入东京生活呢?
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