幼いころのアクシデントで両目の視力を失った奥山茂さんは、昨年、法律系の資格試験で最難関とされる司法試験に合格した。なぜ弁護士になろうと決意し、どんな勉強法を重ねたのか。全盲の受験生が合格を勝ち取るまでの長い道のりと、これからの目標を語ってもらった。

因为小时候的事故而双目失明的奥山茂,去年通过了法律系资格考试中最难考的司法考试。为什么决定要当律师,是怎样学习的呢。在全盲考生取得资格证的漫长道路上,他向我们讲述了今后的目标。

2021年9月7日、奥山茂さんは東京都内の自宅で友人と待機していた。5月に受けた司法試験に合格したか、目が見えない自身に代わって友人に確かめてもらうためだ。発表は午後4時。その瞬間、法務省のホームページにアクセスが集中し、ページが読み込みにくい状態になった。

2021年9月7日,奥山茂在东京都内自己家里中和朋友呆在一起。是不是5月参加的司法考试合格了?因为看不见所以让朋友来确认。公布时间是下午4点。在那个时间点,法务省的主页被集中访问,页面无法显示。

スマートフォンで奥山さんの受験番号が掲載されているのを確認した友人に、「2056番で合ってる?」と尋ねられたが、すぐには合格を信じられなかった。「司法修習の打ち合わせをするため研修所に行くことになった段階で、初めて現実味が湧いてきました」

朋友用手机确认了奥山的准考证号,问他“2056号对吗?”,但还是无法马上相信自己已经合格的结果。“到了可以为了商谈司法学习而去研修所的阶段,第一次感受到了真实感。”

福岡県久留米市で生まれ育った。8歳のとき、小学校の体育館にある平均台で友達と遊んでいて、コンクリートの床に落下した。「頭を打っただけ」と最初は思っていたが、翌日にかけて視力が失われていった。

奥山出生在福冈县久留米市。8岁的时候,在小学体育馆的平衡木上和朋友玩,掉在了混凝土地板上。最初以为只是“撞到了头”,到了第二天就完全失明了。

「オレンジ色のサングラスをかけたように、視界がだんだん黄色がかった感じになっていきました」

“就像戴着橘色的墨镜一样,视野渐渐变得发黄了。”

翌日、母親に連れられ病院で診察を受け、即入院。眼球の内側にある膜がはがれる「網膜剥離(はくり)」と診断された。半年間で4回手術を受けたものの視力は戻らず、約1年後に盲学校に転入した。

第二天,被母亲带到医院接受检查,马上住院。被诊断为眼球内侧膜剥落的“视网膜剥离”。半年内接受了四次手术,但是视力仍然没有恢复,大约一年后转入了盲人学校。

障害者に限らず、さまざまな人と接する機会を広げたいという思いから、高校進学を機に東京へ。筑波大学附属視覚特別支援学校を経て、亜細亜大に進んだ。司法試験を受けると決めたのは大学2年生のときだ。

不仅是残疾人,为了扩大和各种各样的人接触的机会,以升入高中为契机去了东京。经过筑波大学附属视觉特别支援学校,进入了亚细亚大学。决定参加司法考试是在大学二年级的时候。

「そのころ視覚障害者の仕事といえば、はり・きゅう・あん摩が定石でしたが、他にも道はあっていいと考えていました。障害者の場合、家ひとつ借りるのにも難色を示されることがある。弁護士資格があれば同じ状況下で困っている障害者も助けられると思いました」

“那时候说到视觉障碍者的工作,基本上都是针灸,推拿,但我觉得还有其他的路可走。如果是残疾人的话,租一间房子也会有困难。如果有律师资格证的话,也能帮助在相同情况下遇到困难的残疾人。”

予備校に通うことは難しかったため、インターネットで教材を買い求め、卒業後もひとり勉強を続けた。実家の仕事を手伝うなどしながら10回以上、司法試験に挑んだが、壁は厚かった。

因为上补习学校很难,所以在网上买了教材,毕业后也一直一个人学习。一边帮忙老家的工作,一边挑战了10次以上的司法考试,困难重重。

障壁となっていたことが主に二つあった。一つは、受験環境の問題だ。

主要有两个障碍。一个是应试环境的问题。

司法試験の科目は短答式(憲法、民法、刑法)と論文式(公法系、民事系、刑事系、選択科目)からなる。奥山さんが大学を出たころは、視覚障害者は試験を点字で受けていた。試験時間は一般受験者の約1.5倍あるが、書き込みをすることで考えを整理できない視覚障害者は、頭の中で解答を組み立てるのに時間を要する。その結果、試験時間が足りなくなる受験者が続出していたという。奥山さんもそのひとりだった。

司法考试的科目有短答式(宪法、民法、刑法)和论文式(公法系、民事系、刑事系、选修科目)。奥山大学毕业的时候,视觉障碍者用盲文接受考试。考试时间大约是一般考生的1.5倍,但是看不见试卷无法整理思路的视觉障碍者在脑海中组装答案需要时间。结果,考试时间不足的考生不断出现。奥山也是其中之一。

03年、受験条件の改善を求める請願が参議院に出されたことなどから、現在ではパソコンでの答案作成が認められている。個室で受験し、自分が入力した答えは音声ソフトで確認できる。以前に比べれば前進だが、一般の受験者に比べ、心理面や身体面で視覚障害者の負担はなお大きい、と奥山さんは訴える。

03年,参议院提出了要求改善考试条件的申请,现在可以在电脑上进行考试。在单间考试,自己输入的答案可以用语音软件确认。奥山说,虽然和以前相比有所进步,但是与一般的考生相比,在心理和身体方面视觉障碍者的负担还是很大。

「司法試験は4日に分けて行われます。一般受験者の終了時刻は18時でも、解答に時間がかかる視覚障害者は夜22時近くまで及び、その翌日の集合が朝7時半だったこともありました。ストレスは大きかったです」

“司法考试分4天进行。一般考生的结束时间是18点,但是解答上花费更多时间的视觉障碍者需要到晚上22点左右,有时候第二天集合在早上7点半。压力很大。”

もう一つのネックは論文対策。短答式は独学でも対策ができたが、論文を書くのが奥山さんは不得手だった。

另一个难关是论文对策。虽然自学也能解决短答式的问题,但奥山不擅长写论文。

「私のころは、盲学校では文章作成の授業が非常に少なかった。自分では論文のつもりでも、人から見れば何を書いているのかよくわからない状態だったと思います」

“我的情况,在盲人学校写文章的课非常少。我自己觉得是论文,但在别人看来却不知道写了什么。”

司法浪人を続けるうちに、試験を取り巻く環境は変わった。旧司法試験は11年に終了し、06年にスタートした新制度では、受験するには原則として法科大学院を修了しなければならなくなった。受験回数も「5年以内で5回」の制限が設けられた。

在继续司法复读的过程中,考试的环境发生了变化。旧司法考试11年结束,06年开始的新制度中,为了参加考试,原则上必须修完法科大学院。考试次数也有“5年内5次”的限制。

奥山さんは都内にある私大の法科大学院を修了したが、5年以内の合格はかなわず、受験資格を再び得るため、19年に明治大の法科大学院(法務研究科)に再入学する。入試時の成績から特待生扱いとなり、学費は免除された。

奥山毕业于东京都内私立大学的法科大学院,但5年内未能合格,为了再次取得考试资格,19年再次进入明治大学的法科大学院(法务研究科)。因为入学考试时的成绩优秀按特等生对待,免除了学费。

勉強にはパソコンの音声ソフトを活用した。同大の法務研究科事務室のバックアップが大きな支えになった。職員が早い段階で授業計画を把握し、講義で使われる書籍や教材を、音声ソフトが読み込める形式のテキストデータに変換。奥山さんに提供した。

学习时利用了电脑的语音软件。该大学法务研究科办公室的支援提供了很好的帮助。职员在早期掌握授课计划,将课堂上使用的书籍和教材转换成语音软件可读形式的文本数据。提供给奥山。

データをただ渡すのではなく、「同義語が多いものは平仮名になっていたり、改行が多いものは段落ごとにまとめてくださったりと、とても配慮が細やかでした」と奥山さんは感謝する。

不仅仅只是给了数据,奥山感谢道,“同义词多的改成了平假名,换行多的是按段落整理的,考虑得非常细致”。

授業中は片耳にイヤホンを当て、音声化されたデータを聞きながら、もう片方の耳で講師の話を聞いた。

上课的时候,一边用一只耳朵听耳机里朗读版的授课内容,一边用另一只耳朵听老师讲课。

奥山さんは職員から提供されたデータをもとに、一問一答形式の問題を1千問以上、自作した。答えをパソコンに打ち込み、読み上げながら正解と照らし合わせる。それをひたすら繰り返した。目が見える受験者と違い、マーカーや単語カードは使えない。その場で覚えることを心がけた。論文対策は過去問をもとに答案を作り、授業で教員の講評を受け、ブラッシュアップする作業を重ねた。

奥山根据职员提供的数据,自制了一问一答形式的问题1千问以上。把答案打入电脑,边听读边对照正确答案。周而复始。和健康的考生不同,不能使用标记和单词卡。我心里默记当时讲的东西。论文对策是以过去的问题为基础制作答案,在课堂上接受教师的评价,反复进行升级工作。

「『書く順番が違う』『何を書いているかよくわからない』など、忌憚のないご指摘を講師からいただき、自分の文章の癖に気付けました」

“从讲师那里得到了诸如‘写的顺序不同’‘不知道写的是什么’等毫不留情的指教,注意到了自己写文章的习惯。”

周囲のサポートや自身の努力が実り、明大の大学院を修了した昨年、ついにチャレンジが実を結ぶ。法務研究科事務室の中崎奈緒子さんは、奥山さんの合格をわがことのように喜んだ。

在周围人的支持和自己的努力下,在明治大学大学院毕业的去年,挑战终于取得了成果。法务研究科办公室的中崎奈绪子对奥山的合格发自内心地感到高兴。

「お渡しするデータのことから、『最近どう?』といった雑談も含め、奥山さんが事務室にいらしたときはよくお話ししていました。ハンディキャップがありながら努力を続ける姿勢には心を打たれるものがあり、合格を聞いたときは涙が出るほどうれしかったです」

“因为是要交给你的数据,所以‘最近怎么样?’等,在奥山来办公室的时候,经常会聊到这些杂谈。虽然有不利条件,但是坚持努力的姿态让人感动,听到合格的时候高兴得眼泪都要流出来了”

視覚に障害がありながら活躍する弁護士は、まだまだ少ない。奥山さんは自らの経験を生かし、将来は障害者の就労サポートに取り組みたいと考えている。

在视觉有障碍的情况下还活跃的律师还很少很少。奥山想利用自己的经验,将来致力于帮助残疾人就业。

「障害者雇用に関する講習会の開催を企業に働きかけるなど、障害者が働きやすい環境を作る手助けをしていきたいです」

“召开关于残疾人雇佣的讲习会,对企业进行推动等,希望能帮助残疾人创造出对他们来说容易工作的环境。”

現在は司法修習生として、弁護士になる夢に向かって着実に歩みを進めている。

奥山现在作为司法实习生,正在朝着成为律师的梦想稳步前进。

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