家族って一体なんだろう

到底什么才是家人

「家族」という文字を見て、あなたが最初に思い浮かべるのは何/誰だろう。血の繋がり? 食卓を囲む風景? それとも、いま隣にいる人や動物のことかもしれない。

看到“家人”这个词,最先浮现在你脑海里的是什么/谁呢。是血亲?围绕餐桌的场景?还是,现在在你身边的人或动物。

「家族なんて、居たことがない」そう思った人もいるかもしれない。数年前のわたしは、少なくともそう断言していた。利害のバランスを気にしたり、顔色を伺ったりする関係性を「家族」と呼びたくなかったから。

也许会有人觉得“我根本就没有家人”。至少几年前的我,曾经这样决绝地说道。因为我不愿意把这种在意利害平衡、看脸色行事的关系称为“家庭”。

それでも親族での集まりは定期的にあったし、衣食住に不自由もしてこなかった。養育義務は十分に果たされていて、それを家族と呼び慕わないのは、じぶんがワガママな奴だという気持ちがしたものだ。

即便如此,亲戚们还是会定期聚会,衣食住也不愁。他们很好地履行了养育孩子的义务,但我却不称呼他们为家人,觉得自己是个任性的家伙。

逆にあなたやわたしが誰か・何かを「家族」だと感じていても、その気持ちが無いことにされる場面もある。たとえば一緒に暮らしている動物が誰かから害されたとき、それは「器物損壊罪」として手続きされる。長年共に暮らしてきたかけがえのない命でも、法律上は所有物でしかない。

相反,即使你和我觉得某人、某样东西是“家人”,也会有没有那种心情的情况。例如,一起生活的动物受到他人伤害时,就会以“毁坏财物罪”来处理。即使是共同生活多年的无可替代的生命,在法律上也只是所有物。

他にも、生身の女性そっくりのドールと同居している人の話を聞いたことがあるが、その人の財産を“彼女”が引き継ぐことはできない。

其他的,像是我有听过和仿真人女性玩偶同居的人,“她”也无法继承这个人的财产。

「そりゃそうだ、だって人間じゃないんだもの」…という納得の仕方を、多くの人はしているのだろうか。少なくとも、わたし自身は法や制度に対して、そうやって解釈している節がある。法律は、人間同士の間に起きることの為に定め・運用するものだと認識しているから。

“那是当然的,因为她并不是人类啊”…相信大多数的人都接受这样的说法吧。至少我自己对法律和制度是这样解释的。因为法律是为了人与人之间发生的事情而制定和运行的。

気持ちとしては、「その人が家族として扱っている対象について、外野が”それは変だよ”って言うのはなんと失礼なことか」と思っている。だって、我が家のかわいい猫が誰かから「しょせん猫」と言われ、ぞんざいに扱われることには我慢が出来ないし。

我的看法是,“对于某人把某个动物作为家人的对象来看待这件事,外人说‘那很奇怪啊’是很不礼貌的”。因为,我无法忍受我们家可爱的猫被谁说“不过就是只猫”,这样草率地对待。

つまるところ、「家族」の問題にはそういった「本人の感情」と、生活を進めていく上で生じる「実際的なこと」が含まれているんじゃないかって思っている。

总而言之,我认为“家人”的问题中,应该是包含着像这种“本人的感情”和生活过程中“真实情况”的发生。

でも実際、そこまで細かく考えている人って、どれほど居るんだろう。「一つ屋根の下に暮らしていれば家族」という曖昧な感覚でも、あまり困らず暮らせてしまうことがほとんどじゃないか。わたしの親たちがそうであったように。

但实际上,有多少人会考虑得那么细致呢?“生活在同一个屋檐下就是一家人”这种无法具体表达的感觉,几乎都不会让人感到困扰。我的父母一样就是如此生活的。

今回取材した大学時代の知人、Kanさんは今年7月にイギリスへ移住した。彼にはイギリス在住のTomさんという同性のパートナーが居る。

这次采访的大学时期的友人Kan,他今年7月移居英国了。他有一个住在英国的同性的伴侣Tom。

5年に及ぶ交際期間のほとんどは、お互いが行き来する形の遠距離恋愛だった。コロナウイルスの流行によって各国では入国が厳しく制限され、まったく会えなくなってしまった二人は、ついに結婚へと踏み切った。

在长达5年的交往时间里,几乎都是你来我往的异地恋。由于疫情扩散导致各国严格限制入境,完全无法见面的两人终于下定决心结婚。

事情を知らないと、「コロナが二人の絆を強めたんだね」なんて、おめでたい頭でコメントをしてしまいそうになる。しかしそこにあるのは、本人たちの感情も生活も、外野から勝手に“正しさ”をジャッジされてしまう現状だった。

如果不了解情况的话,大家可能会带着祝贺的心情说:“是疫情加强了两人之间的感情啊。”但是,不管是他们的感情还是生活,都变成了被外人擅自判定为“正确”的现状。

日本も寒さを増してきた11月の初め、オンラインで取材をさせてもらった。9時間の時差があって海を隔てていても、対面で気軽に話せるなんて便利な世の中だなぁと思う。

日本也越来越冷的11月初,我在网上进行了采访。即使有9个小时的时差相隔大海,也能面对面地轻松交谈,真是方便的世界啊。

わたしが大学時代にイギリス留学したときはiPhoneが普及し始めた頃で、慣れない face timeで街のWiFiを拾いながら恋人と繋がっていたっけ…なんて思い出に浸っていたら、はにかんだ笑顔のKanさんが画面に映った。

我大学在英国留学的时候,iPhone刚开始普及,还不习惯用face time,一边在街上寻找WiFi一边和恋人打电话…正当我沉浸在回忆中时,画面上出现了带着羞涩笑容的Kan。

コロナ禍になって会えなくなった

疫情开始后便没法见面

「いやぁ、めっちゃ久しぶりです! 『クィア・アイ』ですっかり有名になっちゃって、びっくりしたよ!」

“呀,好久不见了!通过《酷男的异想世界》的节目成了名人,完全惊到我了!”

久しぶりの交流にテンションが高くなる。わたしは母校・ICU でセクシュアルマイノリティに課題について取り組むサークルの代表をしていたのだが、他校のKanさんとはその流れで知り合った。

久违的交流让我情绪高涨。我在母校ICU担任社团代表,负责研究性少数群体的课题,与其他学校的Kan相识。

出会った当初から「自分に対してとっても素直な人だな」と感じていて、パッと花が咲くような笑顔と、雨が降る直前の空みたいな悲しい顔の両方が記憶に残っている。繊細で素直なままで居られる環境や交友関係を、わたしはたぶん羨ましく思っていた。

从相遇之初开始,我就觉得他是一个“对自己非常坦率的人”,花朵绽放般的笑容和下雨前天空一样悲伤的脸,这两种表情都留在了我的记忆中。我大概很羡慕这样细腻而坦率自在的环境和交友关系。

Kanさんの大学での学びは、「自分が何者であるかの言語化」を目的に置いていたという。

据说Kan在大学的学习是以“自己是谁的言语表达”为目的。

「幼稚園くらいから、とにかく日常がつらくて仕方なくて。でも何がそんなにつらいのか説明は出来なかった。ただひたすら学校に行くのが嫌だとか、体育の着替えが嫌だとか、そういうのは感じてたけど…。」

“从幼儿园开始,日常生活就很辛苦。但是我无法解释到底是什么让我那么辛苦。只是一味地讨厌去学校,讨厌上体育课换衣服等,总是这样的感觉……。”

わたしがICUでセクシュアリティについて学ぼうと決めた理由に似ていて、共感した。自分が何に困っているのかって、自分が一番わかるはずだと思われがちだ。周りから説明責任を問われるし、だからこそ、自分でも説明できないものにぶち当たったときの不安感はとてつもない。

这和我决定在ICU学习性知识的理由很像,很有同感。很多人认为自己是最了解自己在烦恼什么的人。所以被周围的人问责,正因为如此,当遇到自己也无法解释的事情时,内心会感到强烈的不安。

そんなとき、大学の講義や文献が自分のつらさを説明してくれたのは、とても救われた気持ちになったものだ。

那个时候,大学的讲义和文献解释出了自己的痛苦,我感觉自己被拯救了。

学部修了後、イギリスの大学院へと進学したKanさんは、そこで現在のパートナーTomさんに出会ったらしい。修士課程を修めると、働くことに積極的な興味も期待もないまま、日本の化粧品会社に入社した。会社選びの基準は、「自分らしくいられて、傷つかない環境かどうか」

本科毕业后,Kan去英国读研究生,据说在那里遇到了现在的伴侣Tom。硕士课程结束后,在对工作既没有积极兴趣也没有什么期待的情况下,进入了日本的化妆品公司。选择公司的标准是“环境是否适合自己,不会受到伤害”

「それでも日本にある会社だし、本っ当に何の期待もせず入ったんだけど、干渉する嫌な関係性とか全然ない、みんなそれぞれだよねって感じで。つき合ってる人いるの? みたいな話題さえ無いし。すごく居心地がよかった!」

“尽管如此还是在日本的公司,真的没有怀揣任何期待就进去了,但完全不会感到讨厌的干涉影响,大家都是各做各的感觉。也不会有人问你有交往的人吗?这样的话题。感觉很舒服!”

所属していたチームの雰囲気の良さを、Kanさんは嬉しそうに語る。「へぇえ、のびのび働ける環境が日本の企業にもあるなんて!」と相槌を打ちながら、「あぁ、でもこの人はそんなに気に入った職場を手放さざるを得なかったんだよな…」と、胸の奥がチクリとした。

Kan开心地说起自己所属的团队的良好氛围。“咦,日本的企业竟然也有宽松的工作环境!”“啊,不过,这个人不得不放弃那么中意的工作啊……”胸口深处一阵刺痛。

イギリスの婚姻事情

英国的婚事

素晴らしい職場を諦めてでもイギリスへ渡ることにしたのは、コロナ禍による「旅行者」の入国制限が主な理由だったという。

据说,他之所以放弃出色的工作也要远赴英国,主要是因为疫情对“游客”的入境限制。

そもそも平時であっても、海外で一定期間を過ごすには目的に応じたビザ申請が必要となる。たとえばその国に家族がいるというのは、大きな入国理由になることがほとんどで、ビザも下りやすい。

即使是平时,要想在海外度过一段时间,也需要根据具体目的申请签证。比如在那个国家有家人,这是强有力的入境理由,签证也容易办下来。

定住するなら尚更、「家族」と扱われることが重要なのは言うまでもない。では、Kanさんに会いに来るTomさんはというと、日本は同性間の法的なパートナー関係を認めていないので、いつまでも「家族」とは認識されず「旅行者」の枠から脱せないことになる。そういった事情で、彼らはこの一年半ほど会えないまま過ごしてきた。

比起定居,更重要的是被视为“家人”。那么,前来见Kan的Tom,因为日本法律不承认同性间的伴侣关系,所以他永远不会被认定为“家人”,摆脱不了“游客”标签的束缚。因为这些原因,这一年半以来,他们一直没有见面。

「そういえば、実際のところどうやって婚姻が完了するんですか?」

“这么说来,实际婚姻是怎么完成的呢?”

日本のように、役所に何か提出するイメージも浮かばないけれど。聞くと、ちょっと面白いエピソードが出てきた。

虽然不像日本那样,想象的是要向政府提交什么资料。一问后才知道出现了一个有趣的小插曲。

「結婚のセレモニー自体が、証人の前で書類にサインすることとセットになってて。ビザの関係でなんとしても9月に結婚しなきゃいけなかったけど、その頃はまだ日本から誰も呼べない状況だから、僕としては可能ならセレモニーを後回しにしたいって言ったの。

でも、書類と式を分けられる文化じゃないらしく、Tomには意味が伝わらなかったみたい。もう一回結婚式をするってこと? って言ってた(笑)」

“结婚的仪式本身,包含要再证人面前进行文件签署。因为签证的关系竟然必须得赶在9月份结婚,但那时还邀请日本的亲戚朋友来,我想可以的话想要推迟仪式。

コロナ禍に国をまたいで結ばれた二人ならではの出来事だ。KanさんのInstagram で当日の様子を見ていたが、イギリスの風景と二人らしさが合わさった本当に美しい式だった。日本ではまだ奇異の目を向けられる同性間の関係だが、どんな偏見やトゲも消してしまえそうな、純粋無垢な幸せがそこには詰まっていた。

这是在疫情中跨越国家连结在一起的两人完成的事情。在Kan的Instagram上看到了当天的情况,英国的风景和符合两人个性的仪式,真的很美。在日本,同性之间的关系还是会引来很多奇怪的目光,但那里充满着简单纯粹的幸福,像是不存在任何的偏见伤害一搬。

Tomさんとのことを話すKanさんは、他の話題のときにも増して素敵な顔で笑う。相手が大切でたまらないという、一番シンプルな気持ちが現れた表情だ。

说起Tom的事,Kan笑起来比谈论其他话题时更有魅力。这是表示重视对方的这种最自然的感情流露。

こちらも聞いていて自然に笑顔が出てしまう、裏の無い話し方。そんな受け答えを見ながら、「ここ最近は特に、誰かの裏側にある気持ちを読み取ろうとしてしまっていたなぁ」と、心の中で自分を見つめてしまう。

我听着也自然地露出了笑容,没有特别的表达方式。看着这样的回答,我不禁在心里审视自己:“最近我有特别想去解读谁的内心啊。”

石が投げ込まれれば波紋が広がり、風が吹いたらさざ波が立って、覗き込めば自分が映る。Kanさんってまるで湖みたいだ。前回と違って知り合いへのインタビューだからか、こんな風にときどき思考が勝手に旅出ってしまう。

投入石头,湖面就会有波纹扩散,风一吹,就会有波浪泛起,往里一看,映出的是自己。Kan简直就像湖一样。和上次不同,因为这次是对熟人的采访,所以我的思绪有时会像这样不由自主地表达出来。

モニター越しで再会した橘さんとKanさんの話は、このあと「自分にスポットライトを当てる生き方」や「ネットの誹謗中傷に思うこと」などにつながっていきます。その詳細は後編の「同性婚したKanさんに「家族ってなんですか?」と聞いたら、意外な答えがかえってきた」でお伝えします。

通过屏幕再次见到橘先生和Kan先生的故事,之后就会延伸到“聚焦自己的生活方式”和“面对网络诽谤中伤的想法”等。详细内容将在后续“向同性结婚的Kan询问‘家人是什么?’,得到了意外的回答”的文章中告诉大家。

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