表舞台から姿を消して4年、中森明菜(56)を心配する声がまたぞろ業界内外から上がっている。歌番組で特集が組まれたり、1991年のライブアルバムがアナログ化されこの秋にリリースされるなど、活動休止中も根強い人気の明菜。

中森明菜已从公众舞台隐退4年,业界内外仍有许多担心她的声音。歌曲综艺制作特辑节目、1991年的现场专辑也制作成黑胶唱片,并将于今年秋季发行等等,尽管明菜暂停了演艺活动,但人气依然不减。

不倫騒動の末、ジャニーズ事務所を辞めた近藤真彦(57)が「新たな気持ちで芸能活動と向かい合い、進んでいく」「これ以上、ジャニーズ事務所に迷惑はかけられない」などとラジオで語ったところ、こんなコメントが寄せられた。

出轨事件的结局是,退出杰尼斯事务所的近藤真彦在之声上复出,并说“我会用全新的心情进行演艺活动,努力向前”“以后不会再给杰尼斯事务所添麻烦了”,之后收到了这样的评论:

「もっと迷惑かけた人がいるでしょ? 明菜を返せ」 

“你给某个人造成了更大的麻烦吧?把明菜还给我们”

映画共演を機に交際し、半同棲していた近藤のマンションでの自殺未遂事件があったのは1987年の7月。あれから30年以上の時が流れてなお、ことあるごとに報道されていることもあり、事件は風化してはいないようだ。ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。

明菜和近藤因共同出演电影结缘开始交往,并处于半同居状态。1987年7月,明菜在近藤的公寓里自杀未遂。尽管已过去30多年,但这件事仍会被反复报道,看来事件并没有被大家遗忘。资深娱乐记者青山佳裕表示: 

「紅白歌合戦のあった大みそか、金屏風の前に出ての記者会見は先頃亡くなられた藤島メリー泰子名誉会長が取り仕切ってのものでした。あの品川プリンスでの明菜さんは、今振り返ってもかわいそうで、痛々しい。実際、結婚の夢も破れ、その後の紆余曲折の大きな転機となってしまったのですから、コアなファンほど忘れられないのでしょう。」

“当天是跨年夜,有红白歌战。那场在金屏风前召开的记者会由不久前去世的名誉主席藤岛Mary泰子主持。即便是现在回想当时品川王子酒店内的中森明菜,也觉得她非常可怜,很心痛。事实上,这场记者会打破了明菜的婚姻梦,也成为后来她遭遇各种波折的一大转折点,所以我也像那些忠实粉丝一样难以释怀。”

因中森明菜自杀未遂一事,两人的爱恨纠葛浮出水面,而近藤为了消除此事对自己的影响,用金屏风把中森骗到了记者会现场(在日本金屏风意味着官宣结婚),所以单纯的中森以为近藤将要和自己求婚,满怀期待来到现场后,等待她的是近藤的栽赃,甚至否定了两人长达6年的恋爱长跑,最后在近藤的催促下,两人以“作为朋友”握手的形式结束了会见。

「また唯一、彼女の近況を知れるファンクラブ会報に最近も『皆に会いたいのに、会えない。寂しい、ごめんなさい』とあったばかり。多くのファンが心配されていたので、近藤さんの報道にも、反応してしまったのでは」

“唯一可以得知她近况的粉丝俱乐部会报上,最近也都是‘虽然很想和大家见面,但是见不了。我很寂寞,对不起大家’这样的话。因为有许多粉丝在担心明菜,或许这也是她对近藤的新闻报道所做出的反应。”

その明菜はどうしているのだろうか。週刊文春は親族の話として、こんなコメントを伝えた。

明菜如今怎么样了呢?周刊文春报道了明菜家人的谈话。

「身内もみんな明菜には会いたいですよ。ただ、彼女は携帯も持っていないし、直接連絡を取る方法もないんです」

“家里人也很想见见明菜。但是她没有手机,没有办法直接联系到她。”

現在は所属事務所の社長兼マネジャーからの支援で、都内マンションでひっそりと暮らし、外部との接触はレコード会社の関係者らとメールでやりとりする程度なのだそうだ。 

在所属事务所的社长兼经纪人的帮助下,明菜现在独居于东京都内的某座公寓中,与外部的接触仿佛也只是利用邮件和唱片公司的相关人士进行交流。

「そのマンションを最近も張り込んだものの、明菜さんの姿は見られなかった。本当に住んでいるのかすら、分かりませんでした」

“我们最近也在那座公寓附近蹲点,但是没有看到明菜的身影。我们甚至不清楚她是否真的住在那里。”

彼女は血を分けた肉親であっても、自分の意に沿わないものは遠ざけてきた。世間が作り上げた“虚像”を受け入れ、孤独の淵を歩いてきた。

她会避开与自己意愿相悖的人,即便对方是血脉相承的亲人。她接受世界创造的“假象”,步入孤独的深渊。

東京都下にある実家でひとり明菜からの連絡を待ち続けている父親の明男さんも、ことし88歳。

明菜的父亲中森明男今年已经88岁,他一直在东京的家里等待明菜的联系。

明菜はこの家で、6人兄弟姉妹の5番目、三女として育った。彼女の歌い手としての人生の始まりに、多大な影響を与えた最愛の母、千恵子は1995年6月にこの世を去り、それから26年、彼女は家族と断絶状態にある。

在这个家庭里,明菜是6个孩子中的第5个,是家里的第3个女儿。在歌手生涯的开端,她最爱的妈妈千惠子曾带给她巨大影响,千惠子于1995年6月去世。在那之后的26年里,明菜和家庭断绝了联系。

平日の昼下がり、黒い麦わら帽子を被り、臙脂色のトレーナーを着た明男が、庭先に姿をみせた。声を掛けると、「耳が遠くなって、聞こえないんです」と補聴器を取りに戻り、庭先のイスに腰かけながら、ぽつりと零した。

在一个普通的下午,戴着黑色草帽、身穿胭脂色长袖衫的明男出现在院子里。我们向他打招呼时,他说着“耳朵太背了,听不清楚”,回屋取了助听器。他坐在院子里的椅子上,流下了眼泪。

「明菜が会いたくないのなら、もう会わなくてもいい。もういいです」 

“如果明菜不想见我的话,不见也没关系。算了。”

かつて明菜との再会を切望していた明男は、力なく笑った。

曾殷切盼望和明菜再度相见的明男无力地笑了。

「たとえ肉親であっても、心を閉ざし、30年近く音信不通になっている。親族までもが生死も不明というのは、なんとも明菜さんらしい生きざまにも見えてきます。人生に翻弄され、男に振り回されて、ジェットコースターのように揺れ続けているのが垣間見えるから、ファンはずっと頑張れ明菜と願い続けるのだと思います」(青山氏) 

“即使是骨肉相连的亲人,她也会封闭自己的心,将近30年不通音信。甚至家人都不清楚她是生是死,这就是或许明菜的生活方式。因为可以窥见到明菜被人生愚弄、被男人把玩,像过山车一样摇摆不定,我想粉丝们一定会一直鼓励明菜的。”(青山)

最近ではクレイジーケンバンド(CKB)が「難破船」をカバーして話題になるなど、令和の御代も根強い明菜の復帰待望論。近藤真彦はそんな明菜のことをどう思っているのか。昔のことと一蹴し、記憶から消し去っているのだろうか。

最近,CRAZY KEN BAND翻唱《难破船》成为话题,即便是令和时代,明菜的人气也丝毫不减,出现了期盼她回归的言论。近藤真彦如何看待明菜?他是否会否认过去的事情,把它们从记忆中抹去呢?

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