日本の交通ルールでは、道路交通法第17条4項に「クルマは中央から左側を通行しなければならない」と定められており、基本的に車両などは左側を通行するよう決められています。

在日本的交通规则中,道路交通法第17条第4项规定“车辆必须在道路中央的左侧部分行驶”,这也决定了车辆基本都是靠左行驶。

しかし、世界では右側通行を採用する国が多いなか、なぜ日本は左側通行と決められているのでしょうか。

但是,世界上许多国家都采用靠右行驶的规则,为什么日本要靠左行驶呢?

日本が左側通行を採用している理由についての詳細の回答は得られませんでしたが、歴史をたどっていくといくつかの明らかな理由が見えてきました。

关于日本采用靠左行驶的原因,虽然我们无法得到详细的解答,但如果追溯历史,我们也可以发现几个显而易见的理由。

今から120年以上前の、1900年に道路取締規則が制定され、「松井茂」という人物が左側通行するように決めたといわれています。

距今120多年前,也就是1900年,国家制定了道路取缔规则,“松井茂”(日本政治家)这个人规定了靠左行驶。

日本政治家 松井茂

松井茂氏は左側通行とした理由について警察協会雑誌に、「特別な理由や研究に基づいたものではなく、武士が左側を通っていたという説や、馬車が行き交うときに左側に避けていたことなどを踏まえ、なんとなく左側通行が良いと考えた」と述べています。

关于规定靠左行驶的原因,松井茂在警察协会杂志上说:“我并不是基于特殊的理由和研究做出这个决定,而是考虑到武士靠左通行*这个说法,还有马车在往来时会向左侧避开等等,总觉得靠左行驶比较好”。

武士靠左通行一说由来:

幕府时期,武士出行会佩戴武士刀,别于左腰侧,而这时如果实行靠右行走的规则的话,交会时武士刀就容易发生碰撞,而这在武士的世界里,含有挑衅的意味,为了避免产生这样不必要的误会,便遵循了靠左行走的规则。

↑ 这货是例外 ↑

当時の明治、大正、昭和初期の交通手段が、バスやタクシー、路面電車といった交通手段のほか、個人の移動手段として馬や馬車から自転車、バイク、自動車へ大きく転換が進んだことが大きな理由と考えられています。そして、馬車、人力車、自転車の各規則が制定され、1900年に人も馬なども原則左側通行するよう警視庁が制定するに至ったと記載されています。

在明治、大正、昭和初期,当时的交通方式除了公交、出租车、路面电车以外,个人的出行方式也发生了巨大转变,由马和马车发展为自行车、摩托车、汽车,而这也是(靠左行驶规则产生的)一大原因。而且,当时针对马车、人力车、自行车制定了各项规则,据记载可知,警视厅也于1900年规定人和马原则上要靠左通行。

現代のように人は右側通行、クルマは左側通行と決まったことについては、道路交通政策について記述された、「道路交通政策史概観」に記載されています。

关于现代的行人靠右、车辆靠左的规定,记述道路交通政策的“道路交通政策史概观”上也有相关记载。

それによれば、戦後の1947年にGHQ(占領軍最高司令部)のもと、旧省令が廃止され新憲法が制定されたとあります。

据“道路交通政策史概观”记载,二战后的1947年,在GHQ(占领军最高司令部)的领导下,日本废止了旧省令,制定了新宪法。

そして、新憲法が制定されると道路交通取締法が1949年に改正され、人は右、クルマは左と対面通行が導入されたようです。

制定新宪法后,又于1949年修改了道路交通管理法。据说也就在此时日本引入了行人靠右、车辆靠左的对面通行政策。

ただ、当時GHQは、馬の右側通行を強く主張していましたが、日本側としては、道路や乗り物の整備に天文学的な費用と、長期的な時間がかかることを上げて反論し、GHQの要請を退けたようです。

不过,虽然当时GHQ强烈主张马要靠右通行,但日本提出了反对意见,认为整顿道路和交通工具需要耗费巨大的财力和时间,将GHQ的要求置于一旁。

このように、ここで定められた法令が、自動車時代を迎えつつあった1960年に現在の道路交通法に続く道路交通法に受け継がれます。そして現在もクルマは左側通行、人は右側通行という、対面通行の交通法規が続いています。

于是法令就此定型。1960年,我们逐渐迎来了汽车时代,现在的道路交通法便延续了该法令。车辆靠左行驶、行人靠右通行这一对面通行的交通法规也持续至今。

海外で右側通行の理由はキリストの教えが関係?

在海外要靠右行驶与基督教的教义有关?

国内ではクルマは左側通行ですが、一方で海外の多くは右側通行をとっています。実はこの右側通行にいたる理由は、古代ローマの馬車競走までさかのぼるといわれています。

在国内,车辆要靠左行驶,但是在海外,大多都要靠右行驶。事实上,靠右行驶的缘由可以追溯至古罗马的马车竞赛。

世界的に右利きの人が多くいますが、古代ローマでも右利きが一般的でした。

世界上有许多习惯用右手的人,古罗马人也通常习惯用右手。

そのため、古代ローマでは右手でムチをふるい、左手で手綱を引いて馬車競争をしていたことが、イタリアのフォリーニョ博物館に展示してある彫刻にも刻まれており、また競技している様子も反時計回りで競走がおこなわれていたことが彫刻に刻まれています。

因此,古罗马人进行马车比赛时会右手挥鞭、左手拉缰绳,这一幕也被刻为雕像,展示于意大利福利尼奥的博物馆中。他们按照逆时针方向进行比赛的样子也被刻为雕像。

この反時計回りが、現在の交通にも受け継がれていると考えられています。

这个逆时针方向被延续到现在的交通中。

そして、この反時計回りと時計回りは宗教と深い関係があり、反時計回りはカトリック教徒がおもな宗教で、われわれ日本人の仏教は時計回りといわれています。

逆时针和顺时针都与宗教有很深的关系。逆时针主要是天主教徒 ,我们日本人的佛教则讲究顺时针。

反時計回りの例を上げると、巡礼する場所では、反時計回りのカトリックでは右から入り、左から出てくる順路をとります。

要举一个逆时针例子的话,在朝圣地,讲究逆时针的天主教要右进左出。

これが現在にいたる右側通行の始まりといわれており、これはラウンドアバウト(環状交差点)の走行を考えればわかります。

这就是现在靠右行驶的开端,把它想成环岛的行驶方向便容易理解了。

反時計回りなら、道路の右側から入り、時計回りなら左側から入ります。

如果是逆时针方向,就从道路的右侧进入,顺时针方向则从左侧进入。

自働車時代がやってくると、アメリカで生産される左ハンドルの右側通行用の自働車が各国に多く輸出されたことから、かつて左側通行だった地域でも右側通行が導入されるようになったことが、右側通行の地域が多い理由のひとつとされています。

汽车时代到来以后,美国制造的方向盘在左侧、用于靠右行驶的汽车出口到世界各国。因此,曾经需要靠左行驶的地区也开始采用靠右行驶的政策,这也是靠右行驶地区较多的原因之一。

日本车的驾驶座在右边

子供の頃から歩行者は右側、クルマは左側と多くの人が学校の交通安全教室で教育されている日本ですが、その歴史は一人の政治家のなんとなくという理由だったことに驚きます。

在日本,大多数人在小时候上交通安全课堂时都被教导行人靠右、车辆靠左,令人震惊的是,这一规定的历史竟源于一个政治家总觉得(靠左行驶比较好)。

しかし、日本人の歴史を振り返ると、盆踊りや神社仏閣へのお参りも時計回りで左側通行になっています。

但是,我们回顾日本人的历史可以发现,在盆踊和参拜神社和寺院时,日本人都是按顺时针方向靠左行走。

実は、道路交通法で定める左側通行は、日本人が昔から持っている時計回りの生活が生かされているといえるかもしれません。

实际上,道路交通法规定靠左行驶或许也可以说是因为日本人自古以来就习惯按照顺时针方向生活。

本内容为沪江日语原创翻译,严禁转载。

相关阅读推荐: 全国靠左站,关西靠右站,关西的自动扶梯文化为何不同?