日语文学作品赏析《深川女房》
深川八幡前の小奇麗な鳥屋の二階に、
女は二十二三でもあろうか、目鼻立ちのパラリとした、色の白い
男はキュウと
「まあ私は……それよりもお
「おっと、
「病気も何もありゃしないのさ。いつもの通り晩に一口飲んで、いい
「そうかなあ、
「そうね。金さんは元から
「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」
「当り前さ、今から死んでたまるものかね。そう言えば、お前さん今年
「九さ、たまらねえじゃねえか、来年はもう三十
「ええ、よく覚えててね」と女はニッコリする。
「そりゃ覚えてなくって!」と男もニッコリしたが、「
「私ゃまた、鳥居のところでお光さんお光さんて呼ぶから、誰かと思ってヒョイと振り返って見ると、金さんだもの、本当にびっくらしたわ。一体まあ東京を
「さあ、いろいろ
「まあ! さぞねえ。それじゃ便りのなかったのも無理はないね」
「便りがしたくたって、便りのしようがねえんだもの」
女は
「それから、間もなく露西亜の猟船というのがやって来たんだ。ところが、向うの船は積荷が一杯で、今度は
「そうだろうともねえ、察しるよ! 私も――縁起でもないけど――
男はこの時気のついたように徳利を
で、間もなくお
女も今度は素直に盃を受けて、「そうですか、じゃ一つ頂戴しましょう。チョンボリ、ほんの
「何だい卑怯なことを、お前も
「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」
「なあに、人はドッとしなくっても、俺はちょいとこう、目の縁を赤くして
「おや、御馳走様! どこかのお
「そうおい、
「私に言ってるのならお
「あんまりそうでもなかろうぜ。忘れもしねえが、何でもあれは清元の師匠の花見の時だっけ、
「そうそう、そんなことがあったっけね。あれはこうと、私が十九の春だっけ。あのころは随分私もお転婆だったが……ああ、もうあのころのような面白いことは二度とないねえ!」としみじみ言って、女はそぞろに過ぎ去った自分の春を
「ははは、何だか馬鹿に年寄り
「いいえ、もうこんな年になっちゃだめだよ。そりゃ男はね、三十が四十でも気の持ちよう一つで、いつまでも若くていられるけど、女は全く意気地がありませんよ。第一、
「いけねえいけねえ、じきどうも話が理に落ちて……」と男は手酌でグッと一つ干して、「時に、聞くのを忘れてたが、お光さんはそれで、今はどこにいるの、家は?」
「私?」女はちょっと言い渋ったが、「今いるとこはやっぱり深川なの」
「深川は分ってるが、町は?」
「町は清住町、
「そうか、永代の傍で清住町というんだね、遊びに行くよ。番地は何番地だい?」
「清住町の二十四番地。吉田って聞きゃじき分るわ」
「吉田? 何だい、その吉田てえのは?」
「私の亭主の
「え□」と男は思わず目を見張って顔を見つめたが、苦笑いをして、「
「あら、本当だよ。去年の秋
「吉田新造! 知ってるとも。じゃお光さん、本当かい?」
「はあ」と術なげに
「ふむ!」とばかり、男は
女もしばらくは言い出づる辞もなく、ただ
「そうさ、それが出来るようなら文句はねえんだが……」と
「ええ、そりゃもうね」
「せめて何か、口約束でもした中と言うならだが、元々そんなことのあったわけじゃなし、それにお前の話を聞いて見りゃ一々もっともで、どうもこれ、
「…………」
「何もお光さんで見りゃそんな気があって言ったんじゃあるめえが、俺がいよいよ
「金さん!」と女は
「まあいいやな」と男は
「どうもお前さんが、そう
「何がお光さんに済まねえことがあるものか、済まねえのは俺よ。だが、そんなことはまあどうでもいいとして、この後もやっぱりこれまで通り付き合っちゃくれるだろうね?」
「なぜ? 当り前じゃないかね?」
「だって、亭主がありゃ、もう野郎の友達なんざ
「はばかりさま! そんな私じゃありませんよ」と女はむきになって言ったが、そのまま何やらジッと考え込んでしまった。
男はわざと元気よく、「そんなら俺も安心だ、お前とこの新さんとはまんざら知らねえ中でもねえし、これを縁に一層また近しくもしてもらおう。知っての通り、俺も
差さるる盃を女は黙って受けたが、一口附けると下に置いて、口元を
「ひどく改まったね。何だい、相談てえのは?」
「ほかではないがね、お前さんに一人お上さんを取り持とうと思うんだが……」
「女房を? そうさね……何だか
「おや、とんだ
「なに、そんなことはねえ、新さんとお光さんの仲人なら俺にゃ過ぎてらあ。だが、仲人はいいが……」と言い
「仲人はいいが、どうしたのさ?」
男は目を輝かせながら、「どうだろう? お光さん」
「え?」
「せめてお光さんの影法師ぐらいのがあるだろうか?」
「何だね、この人は! 私ゃ真面目で
「俺も真面目さ」
「まあ笑談は
「そりゃ任せようとも、お前に似てさえいりゃ俺の気に入るんだから」
「およしよ、からかうのは。私のようなこんな気の利かないお多福でなしに、
「まあその気で待っていようよ。おいお光さん、談してばかりいて一向やらねえじゃねえか。どうだい酒が迷惑なら飯をそう言おう」
「いえ、もうお
「だって、一膳ぐらいいいだろう? 俺も付き合う」
「お前さんはまだお酒じゃないか、私ゃ本当にたくさんなの。それにあんまり遅くなっても……」
「なるほど、違えねえ、新さんが案じてるだろう」
「
「そうか、そいつはいけねえな」
二
永代橋傍の清住町というちょっとした町に、
けれど、その実吉新の
で、店は繁昌するし、後立てはシッカリしているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも
今日は
若衆は盤台を一枚洗い揚げたところで、ふと小僧を見返って、「三公、お上さんはいつごろ出かけたんだい?」
「そうだね、何でも為さん(若衆の名)が得意廻りに出るとじきだったよ」
「それにしちゃ馬鹿に遅いじゃねいか。何だかこの節お上さんの様子が変だぜ、店の方も
「なあにね、今日は
「へ! 何の用足しだか知れたものじゃねえ、こう三公、いいことを手前に
「おいらはそんなことを言わなくたって、お上さんにゃしょっちゅう小使いを
「ちょ! 芝居気のねえ野郎だな」と
しばらくするとまた、「こう三公」
「何だね? 為さん」
「そら、こないだお上さんのとこへ訪ねて来た男があるだろう……」
「為さんはまたお上さんのことばっかり言ってるね」
「ふざけるない! こいつ悪く気を廻しやがって……なあ、こないだ金之助てえ男が訪ねて来たろう」
「うむ、海に
「あいつさ、あいつはあれ
「来ねえようだよ」
「
「じゃ、為さん見たのか?」
「俺は手前、毎日得意廻りに出ていねえんだもの、見やしねえけれど大抵当りはつかあ」
「そうかね」
「そうとも。きっと何だろう、店先へ買物にでも来たような風をして、親方の気のつかねえように、何かボソボソお上さんと
小僧は
「本当か?」
「ああ、本当に!」
「そんなはずはねえがな」と若衆は小首を
十分ばかりもゴシゴシやったと思うと、またもや、「三公」
「三公三公って一々呼ばなくても、三公はここにいるよ」
「お上さんのとこへ、この節郵便が来やしねえか?」
「郵便はしょっちゅう来るよ」
「なあに、しょっちゅう来るのでなしに、お上さんが親方へ見せずに独りで読むのが?」
「どうだか、
「え□」と若衆も驚いて振り返ると、お上さんのお光はいつの間にか帰って
「精が出るね」
「へへ、ちっともお帰んなすったのを知らねえで……外はお寒うがしょう?」
「何だね! この
「え、そりゃお天気ですからね」と為さんこのところ
お光は店を
「三公、手前お上さんの帰ったのを知って、黙ってたな?」
「
「俺の喋ってたことを聞いたかしら?」
「聞いたかも知れんよ」
「ちょ! どうなるものか」と言いさまザブリと盤台へ水を
後は
二階には腎臓病の
差し向って坐ったお光は、「私の留守に、どこか変りはなかったかね?」
「別にどこも……相変らずズキズキ
「どうかその、疼くだけでも早く医者の力で直らないものかねえ! あまり痛むなら、
「なに、懐炉を当ててるから……今日はそれに、一度も通じがねえから、さっき
「いけないね、じゃもう一度下剤をかけて見たらどうだね!」
「いいや、もう少し待って見て、いよいよ利きが見えなかったら
「まあ九分までは出来たようなものさ、何しろ
「お
「どうと言って、別にこうと決った考えがあるのでもないから、つまり阿母さん次第さ。もっともあの
「だってお前、気位が高いから船乗りが
「本当にね、私もそう思うのさ。第一気楽じゃないか、亭主は一年の半分上から留守で、高々三月か四月しか
「そうさ、俺にしても恐れらあ。だが、金さんの身になりゃ年寄りでも附けとかなきゃ心配だろうよ、何しろ自分は始終留守で、若い女房を独り置いとくのだから……なあお光、お前にしたって何だろう、亭主は年中家にいず、それで月々仕送りは来て、毎日遊んで食って寝るのが為事としたら、ちょいとこう、浮気の一つも稼いで見る気にならねえものでもなかろう」と腰をさすりさすり病人
お光は済ましたもので、「そうね、自分がなって見ないことにゃ何とも分りませんね」
と、言っているところへ、
「あいよ。何だね、騒々しい!」
「お上さん!」
「あいよったら!」
小僧はついにその返事が聞えなかったと見えて、けたたましく階子段を駈け上って来て、上り口からさらに、
「お上さん!」
「何だよ! さっきから返事をしてるじゃないか」
「そうですか」と小僧は目をパチクリさせて、そのまま下りて行こうとする。
「あれ、なぜ黙って行くのさ。呼んだのは何の用だい?」
「へい、お客様で……こないだ馬の骨を持って来たあの人が……」
「何、馬の骨だって?」と新造。
「いいえ、きっとあの金さんのことなんですよ」
「ええ、その金さんのことなんで」
「金さんだなんて、お前なぞがそんな生意気な口を利くものじゃない!」
「へい」
お光は新造に向って、「どうしましょう、ここへ通しましょうか?」
「ここじゃあんまり取り散らかしてあるから、下の座敷がいいじゃねえか」
「じゃ、とにかく座敷へ通しましょう」とお光が立ちかかると、小僧は身を返してバタバタと先へ下りて行く。
店先へ立ち迎えて見ると、客は察しに
金之助は座に着くとまず訊ねた、「どうだね、新さんの病気は?」
「どうも相変らずでね」
「やっぱり方々が疼くんだね?」
「はあ。どうかその疼くだけでも留ったらとそう思うんだけどね……自分も苦しいだろうが、どうも見ていて
「まあしかし、直るという当てがあるからいいやな。あまり心配して、お光さんまで体を悪くするようなことがあっちゃ大変だ」
「ありがとう、私ゃなに、これで存外体は丈夫なんだからね」とまずニッコリしながら、「金さん、今日はお前さんいいとこへおいでだったよ。実はね、明日あたりお前さんの方へ出向こうかと思ってたのだが……それはそれは申し分のない、金さんのお上さんに誂え向きといういい
「そいつはありがたいね、ははは、金さんに誂え向きの
「あれ、
「いや、お光さん、写真も写真だが、今日は実は病気見舞いに来たんだから、まずちょいと新さんに会いてえものだが……」と何やら風呂敷包みを出して、「こりゃうまくはなさそうだけれど、
「まあ、何だか知らないが、来るたび頂戴して済まないねえ。じゃ、取り散らかしてあるが二階へ通っておくれか」
「そうしよう」
そこで、お光は風呂敷包みをもって先に立つと、金之助もそれについて二階へ上る。
新造と金之助と一通り
「お前さん、こんな物を頂戴しましたよ」
「そうか。いや金さん、こんなことをしておくんなすっちゃ困るね。この前はこの前であんな金目の物を貰うしまたどうもこんな結構なものを……」
「なに、そんなに言いなさるほどの物じゃねえんで……ほんのお見舞いの印でさ」
「まあせっかくだから、これはありがたく頂戴しておくが、これからはね、どうか一切こういうことはやめにして……それでないと、親類付合いに願うはずのがかえって他人行儀になるから……そう、親類付合いと言や」とお光を顧みて、「お前、お仙ちゃんの話をしたかい?」
「いえ、まだ詳しいことは……」
「じゃ、詳しく話したらどうだい?」
「はあ、じゃとにかくあの写真を……」とお光は下へ取りに行く。
後に新造は、「お光がね、金さんにぜひどうかいいのがお世話したいと言って、こないだからもう夢中になって捜してるのさ」
「どうかそんなようで……恐れ入りますね」
「今日ちょうど一人あったんだが……これは少し
「さあ、金さん」と差し出されたのを、金之助は手に取って見ると、それは手札形の半身で、何さま十人並み
「ねえ金さん、それならお気に入るでしょう?」とお光は笑いながら言ったが、亭主の前であるからか
「そうですね、
「そんなことはないけど、写真で見るよりかもう少し品があって、口数の少ないオットリした、それはいい
「そんないい娘が、私のような乱暴者を亭主に持って、辛抱が出来るかしら」
「それは私が引き受ける」と新造が横から引き取って、「一体その娘の死んだ
「それもそうだし、第一金さんのとこへ片づいて、辛抱の出来ないようなそんな苦しいことや、愁いことがあろうわけがなさそうに思われるがね。それとも金さん、何かお上さんが辛抱の出来ないようなことを、これからし
お光の辞をどう取ったのか、金之助は心持ち顔を赤めて、「馬鹿な! そんな何が、ある理屈はねえけれど……どうもこう、見たところこんなおとなし作りの娘を、船乗りの
「だって、
「ははは、あんまりそうでもあるめえて、ねえ新さん」
「ところが、先方のお母なぞと来たら、大乗り気だそうだから、どうだね金さん、一つ
「ええ、そうですね」と金之助も始めて真剣らしく、「じゃ、私もよく一つ考えて見ましょうよ」
「だが金さん、その写真は気に入ったか入らないか……まあさ、それだけお聞かせなね」
「どうもこう詰開きにされちゃ驚くね。そりゃ縹致はこれなら申し分はねえが……」
「縹致は申し分ないが、ほかに何か申し分が……」
「まあま、お光さん、とにかく一つ考えさせてもらわなけりゃ……何しろまだ家もねえような始末だから、女房を貰うにしても、さしあたり寝さすところから
三
「実は、この間うちからどうもそんなような徴候が見えたから、あらかじめ御注意はしておいたのだが、今日のようじゃもう疑いなく尿毒性で……どうも尿毒性となると、普通の腎臓病と違ってきわめて危険な重症だから……どうです、お
二三日来急に容体の変って来た新造の病気を診察した後で、医者は二階から下りてこうお光に言ったのである。なるほど
「まあ! じゃその尿毒性とやらになりますと、もうむずかしいんでございますか?」
「だが、
「はい、それは見せますにしましても、先生のお見立てではもう……」
「そうです。もう疑いなく尿毒性と診断したんです! しかしほかの医者は、どうまた違った意見があるかも分りません」
「それで何でございましょうか、先生のお見立て通りでございましたら……あの、尿毒性とやら申すのでございましたら……」とお光はもうオロオロしている。
「尿毒性であると、よほどこれは危険で……お上さん、私は気安めを言うのはかえって不深切と思うから、本当のことを言って上げるが、もし尿毒性に違いないとすると、まずむずかしいものと思わねばなりませんぞ!」
「…………」
「とにかく、ほかの医者にも見ておもらいなさい、私ももう二三日経過を見て見るから」
「はい」
「今日から薬が少し変るから、そのつもりで」
「はい」
医者は帰った。お光は送り出しておいて、茶の間に帰るとそのままバッタリ長火鉢の前にくずおれたが、目は一杯に涙を
で、小僧を呼んで、「店は私が見てるからね、お前少し二階へ行って、親方の傍についておいでな」
「へい、ただついてりゃいいんですか?」
「そんなこと聞かなくたって……親方がさすってくれと言ったらさすって上げるんじゃないか」
「へい。ですが、こないだ
「医者のあの口振りじゃ、九分九厘むつかしそうなんだが……全くそんなんだろうか」と情なさそうに
ところへ、「郵便!」と言う声が店に聞えて立ったが、自分の泣き顔に気がついて出るのはためらった。
「吉田さん、郵便!」
「はい」
「ここへ置きますよ」
配達夫の立ち去った後で、お光はようやく店に出て、
端書を
「全くもうむずかしいんだとしたら……」としばらくしてから口に出して言ったが、妙に目を光らせてあたりを見廻し、膝の上の端書を手早く四つに折って帯の間へ蔵うと、火鉢に
長火鉢の
「いよいよむずかしいんだとしたら、私……」とまた同じ言を
「お上さん、三公はどッかへ出ましたか?」と店から声をかけられて、お光は始めて気がつくと、若衆の為さんが用足しから帰ったので、中仕切の千本
「三吉は今二階だが、何か用かね?」
「なに、そんならいいんですが、またどっかへ遊びにでも出たかと思いまして」と中仕切をあけて、
「火種を一つ貰えませんか?」
「火鉢をお貸し」
為さんは店の
「お上さん、親方はどんなあんばいですね?」
「どうもね、
「ああどうも長引いちゃ、お上さんもお寂しいでしょう?」
「寂しいって?」お光は合点の行かぬ顔をして、「なぜね?」
「へへへ、でもお寂しそうに見えますもの……」と
お光は黙って顔を
「あの人は何でしょう、前から何も親方と知合いというわけじゃないんでしょう?」
「深い知合いというでもないが、
「そうですか。
「そう、いつごろのこと?」
「そうですね、もう四五年前のことでしょう、お上さんがまだ島田なんぞ
「へえい、じゃ私のこともそのころ知ってて?」
「ええ、お上さんのことはそんなによく知りませんが、でも
お光はサッと顔を赤くしたが、「つまらないことをお言いでないよ! 昔馴染みだとか、他人のように思えないだとか、何か私と厭らしいことでもあったようで、人聞きが悪いじゃないか」
「へへ、誰も人は聞いてやしませんから大丈夫でさ」
「あれ、まだこの人はあんなことを言って! 金さんと私とは、娘の時からの知合いというだけで――それは親同士が近しく暮らしてたものだから、お互いに行ったり来たり、随分一緒にもなって
「へへ、そうですかね」と為さんは例のニヤリとして、「私もどうか金さんのような同胞に、一度でいいから扱われて見てえもんですね」
「じゃ、金さんの弟分にでもなるさ」と言い捨てて、お光はつと火鉢を離れて二階へ行こうとすると、この時ちょうど店先へガラガラと
俥を下りたのは六十近くの品のいい
「まあ
媼さんはニコニコしながら、「とうとうお邪魔に出ましたよ。不断は
「まあこちらへお上んなさいよ、そこじゃ御挨拶も出来ませんから」
「ええ、それじゃ御免なさいましよ、御遠慮なしに」とお光の後について座敷へ通りながら、「昨日あの、ちょいと端書を上げておきましたが……」
「あれがね、阿母さん、遅れてつい今し方着いたんですよ」
「まあ、そうですかよ。やっぱり字の書きようが
「いいえ、そんなことはありませんよ。私にはよく分りましたけど、全くそういうわけで御返事を上げなかったんですから……さあどうぞお敷き下さい」
お光は
「実はね、お光さん、今日わざわざお邪魔に上りましたのもね、やっぱりその、こないだおいで下さいましたあの話でございますがね。どうでしょう、私はもとよりのこと、お仙もぜひお世話が願いたいとそう申しているのですが……向う様のお口振りはどんなでしょう?」
「向うですか……」と言って、お光は黙って考えている。
媼さんは心もとなげに眺めていたが、一段声を低めて、「これはね、ここだけの話ですが――もっとも、お光さんは何もかも知っておいでなさることだから、お談しせずともだけれど、あれも来年はもう
「ほほほ、阿母さんもあまりそれは、安く自分で落し過ぎますよ。可哀そうにお仙ちゃんは、
「いいえ、そんなことを思っていると大間違いです。こないだもね、お光さんがおいで下すった時に、何だかあれが煮えきらない様子でしたから、後で私がそう言って聞かしたことですよ。お前なんぞ年が若いから、もしね、人並みの顔や姿でとんだ
「だって、何ぼ今の代世界だって、阿母さんのようにそう一概に言ったものでもありませんよ。随分また縹致や気立てに惚れた縁組も、世間にないとは限りませんもの。阿母さんのように言ってしまった日には、まるで
「ええ、それはそうですね。私なぞも新聞を見るたび、どうしてこんなことがと不思議に思うようなことがよくありますからね。それは広い世間ですから、いろいろなこともございますよね」と媼さんはいい加減にあしらって、例の洋銀の
「ええ、それは見せました、こないだ私がお宅から帰ると、都合よくちょうど先の人が来合わせたものですから」
「それで、御覧なさいましてどんなお口振りでした?」
「別にその時は……何しろ急いでいたものですからね、とにかく借してくれってそのまま持って行きましたが……それは、お仙ちゃんのあの縹致ですから、あれを見て気に入らないってことはありますまいよ」とお光は気の乗らぬ笑顔をする。
「ですがね、あの写真は変に目が
「そんなことはありゃしませんよ。けれど、ただね、ちとどうも若過ぎやしないかって……」
「ええ、私もそれを言わないことじゃなかったのですよ、あまりあれじゃはで作りで、どう見ても七か八に見えますもの。正真なところ、二月生まれの十九ですから……お光さんからもそうちょっと断っておもらい申すでしたにねえ」
「そりゃ言いましたとも。お世話をしようてのに、年を言わないってことがあるものですか、ほほほほ、何ですよ! 阿母さん」
「大きにね、御免なさいよ。そこらに如才のあるようなお光さんでもないのに、私もどうかしていますね、ほほほほ」と媼さんも笑って、「では、写真を持っておいでなさいましてから、その後まだ何とも?」
「はあ、いろいろ何だか用の多い人ですから……」
「いえね、それならば何ですけど、実はね、こないだお光さんのお話の様子では大分お急ぎのようでしたから、それが今日までお沙汰のないとこを見ると、てッきりこれはいけないのだろうとそう思いましてね。じゃ、まだそう気を落したものでもないのでございますね」と言って、媼さんは
お光も苦笑いをして、「でも、全くあの時は
言われて媼さんは始めて気がついたらしく、「まあ、私としたことが、自分の勝手なことばかり
「え、よろしいどころなものですか、今日もお医者から……」と言い
「質がね? それじゃ御病人も何でしょうが、お光さんが大抵じゃございませんね。そんな中へどうも、こんな御面倒な話を持ち込みましちゃ……」と媼さんは何か思案に
「え、それは霊岸島の宿屋ですが……こうと、明日は
四
金之助の泊っているのは霊岸島の下田屋という船宿で。しかしこの船宿は、かの待合同様な遊船宿のそれではない、
「馬鹿に今日は美しいんだね」と金之助はジロジロ女の
「はあ、少しほかへも……」と言って、お光は何か心とがめらるるように顔を赤める。
「じゃ、ちっとは新さんも
「いえね、あの病気は始終そう附き
「それじゃ、病人の方は格別快いてえわけでもねえんだね?」
「ええ、どうもね」
「その代り、大して悪くもならねえんだろう」
「ええ」と
「そういうのはどうしても直りが遅いわけさね。新さんもじれッたかろうが、お光さんも大抵じゃあるめえ」
「そりゃ随分ね何も病人の言うことを一々気にかけるじゃないけど、こっちがそれだけにしてもやっぱり不足たらだらで、私もつくづく厭になっちまうことがありますよ。誰でも言うことだけど、人間はもう体の
「だが、俺のように体ばかり健で、ほかに取得のねえのも困ったものさ。俺はちっとは
「まあ、とんだ物好きね。内のがどう果報なんだろう?」
「果報じゃねえか、第一金はあるしよ……」
「御笑談もんですよ! 金なんか一文もあるものかね。
「そりゃどうだか知らねえが、何しろ新さんはお光さんてえいいお上さんを持って……ねえ、こいつは金で買われねえ果報ださ」
「おや、どうもありがとう。だが、もうそんなことを言ってもらって嬉しがるような年でもないから大丈夫自惚れやしないからたんとお言い」とお光はちっとも動ぜず、洗い髪のハラハラ
「来たのは?」
「ほかでもないが、こないだの、そら、写真のはどうなの?」と鋭い目をしてじっと男の顔を見つめる。
「うむ、あれか、可愛らしいね」
「可愛らしいからどうなの?」
「どうてえこともねえさ」
「何だね! この人は。お前さん考えとくと言って持って帰ったんじゃないかね?」
「そうさ」
「じゃ、考えたの?」
「別に考えて見もしねえが、くれるなら
「貰ってもいいんだなんて、何だか一向
「なに、弾まねえてえわけでもねえんだが……何しろこうして宿屋の二階に
「そりゃ、まあね」とお光は意を得たもののように頷いて見せる。
「だが、向うは返事を急いででもいるのかい?」
「向うはなに、別に急いでもいやしないけどね」
「急がなくたって、何もこれ、早くくれてしまわなきゃ腐るてえものでもねえんだからな」
「当り前さ、夏のお
「じゃ、とにかくもう少し待ってもらおうじゃねえか。第一お前、肝心の仲人があの通りの始末なんだもの」
「仲人があの通りってどう?」
「新さんの今のとこさ」
「ああ、だけど、それを言ってちゃいつのことだか分らないかも知れないよ」と伏目になって言った。
金之助は深くも気に留めぬ様子で、「こっちだっていつのことだかまだ分らねえんだから……だが、わけのねえことだから、見合いだけちょっとやらかして見ようか?」
「え、見合いを□」お光はぎょッとしたように面を振り挙げたが、「さあ……ね、だけど、見合いをすりゃ、すぐ何とか後の話をしなけりゃならないからね。見合いをしっ放しにして、いつまでもまた引っ張っとくというわけにも行かないから……まあ何てことなしに延ばしといたらいいじゃないかね」
「そうかい、それじゃまあ、どうなりとお光さんの考え通りに任せるから、よろしく頼むよ」
金之助は急須に湯を
間もなく、「何か御用ですの?」と不作法に縁側の外から用を聞いて、女中はジロジロお光の姿を見るのであった。
「御用だから呼んだのよ。この急須を空けっちまっての、新しく茶を入れて来な」
「はい」と女中はようよう膝を折って、遠くから片手を伸ばして茶盆ぐるみ引き寄せながら、
「ついでにお
「
「便所ですか? 御案内しましょう」
「はばかりさま」
女中は茶盆を持ってお光を案内する。
しばらくすると、奇麗に茶道具を洗い揚げて持って来たが、ニヤニヤと変に笑いながら、「ちょいと、あなたのレコなの?」と女中は小指を出して見せる。
「何が? 馬鹿言え」
「隠したって
「芸者だ? 馬鹿言え! よその立派な上さんだ」
「とか何とかおっしゃいますね。
「ちょ! 芸者じゃねえってのに、しつこい奴だな」
「まだ隠してるよ! あなたが言わなきゃ俥屋に聞いてやる」
「俥屋が何とか言ってますか?」と
「あら!」と女中は真赤になって、「まあ、御免なさいまし。いえね、お
「何のことなの? 女中の言ったのは」
「なあに、馬鹿馬鹿しいのさ。お光さんのことをどこの芸者だって……」
「まあ、厭よ……」
「芸者なものか、よその
「およしよ! 聞きたくもない」とお光は
「それがまたおかしいのさ。馬鹿は馬鹿だけの手前勘で、お光さんのことを俺のレコだろうって、そう
お光はただ笑って聞いたが、「そうそう、私ゃその話で思い出したが、今家にいる若い者ね」
「むむ、あの店にいる三十近くの?」
「あれさ、
「へええ、どうしてお光さんの片づかねえ前のことなんか――お互いに何も後暗いことはねえから、何と言おうがかまわねえけれど、どうしてまたそんなころのことを知ってるんだろう?」
「それがさ、お前さんをその時分よく知ってて、それから私のことも知ってるんだって」
「はてね、俺が佃にいる時分、為ってえそんな奴があったかしら」
「それは金さんの方じゃ知らないだろうって、自分でも言ってるんだが、何でもね、あの近辺で小僧か何かしていて、それでお前さんを知ってるんだそうだが、
「そりゃしかし、お光さんも迷惑だろうな。くだらねえこと言やがって、もしか新さんの耳にでも入ったら痛くねえ腹も探られなきゃならねえ」
「なにもね内の耳へ入れるようなことはさせないから、そりゃ大丈夫だけど……金さん、もう何時だろう?」と思い出したように聞く。
金之助は床の間に置いてあった銀側時計を取って見て、「三時半少し過ぎだ。まあいいじゃねえか」
「いえ、そうしちゃいられないの、まだほかへ廻らなきゃならないから……」とお光は身支度しかけたが、「あの、こないだの写真は
「持ってくかい?」
「え、あれはほかでちょいと借りたんだから」
五
お光の俥は霊岸島からさらに
「今まで来ないところを見ると、今日も来ないんだろう、どうも一昨日行った時のお光さんの様子が――そりゃ病人を抱えていちゃ、人のことなんぞ身にも人らなかろうけれど――この前家へ来た時の気込みとはまるで違ってしまって、何だか話のあんばいがよそよそしかったもの」と娘を対手に媼さんが愚痴っているところへ、俥の音がして、ちょうどお光が来たのであった。
親子は裁縫の師匠をしているので、つい
「一昨日はどうも……御病人のおあんなさるとこへ長々と
「どうも思わしくなくって困ります」とお光は
「まあねえ、お忙しいとこを本当に済みませんね、御病人のお世話だけでも大抵なとこへ、とんだまたお世話をかけまして……」
「あれ、私の方から持ち込んだ話ですもの、お世話も何もありゃしませんけど……」と
例の写真ではとても十九とは思われぬが、本人を見れば年相応に大人びている、色は少し黒いが、ほかには点の打ちどころもない縹致で、オットリと上品な、どこまでも
「お仙ちゃん、どうぞもうかまわずにね、お客様じゃないんだから」
「え、何にもかまやしないことよ」
「かまいたくも、おかまい申されないのでございますからね」と媼さんは寂しげに笑う。
「でも、この間伺った時にゃ大層御馳走になってしまって……」と今さらに娘の縹致を眺めて、「本当に、お仙ちゃんはいつ見ても美しいわね」
「あら、厭な姉さん!」
「だって、本当なんだもの。束髪も気が変っていいのね」
「結いつけないから変よ」
媼さんが傍から、「お光さんこそいつ見ても奇麗でおいでなさるよね。一つは
「変らないことがあるものですか、商売が商売ですし、それに手は足りないし、
「まあ、それで爺穢いのなら、お仙なぞもなるべく爺穢くさせたいものでございますね……あの、お仙やお前さっきの小袖を一走り届けておいでな、ついでに男物の方の寸法を聞いて来るように」
「は、じゃ行って来ましょう……姉さん、ゆっくり談していらっしゃいな、私じき行って来ますから」とお仙は立って行く。
格子戸の
「少しね、話が変って来ましてね」
「え、変って来ましたとは?」と気遣わしそうに対手を見つめる。
「始めの話じゃ恐ろしく急ぎのようでしたけど、今日の口振りで見ると、まず家でも持って、ちゃんと体も落ち着いてしまって、それからのことにしたいって……何だかどうも気の永い話なんですよ」
「ですが、家をお持ちなさるぐらいのことに、別に手間も日間も要らないじゃございませんか」
「それがなかなかそうは行かないんですって。何しろこれまで船に乗り通しで、
「ですがねえ。私なぞの考えで見ると、何も家をお持ちなさるからって、暮に
「それに
「じゃ、話だけでも決めておいていただいたら……」
「え、それは私も言ったんですがね、向うの言うのじゃ、決めておくのはいいが、お互いにまたどういう思いも寄らない故障が起らないとも限らないから、まあもう少しとにかく待ってくれって、そう言うものですからね」
「お光さん」と媼さんは改まって言った、「どうかね、遠慮なしに本当のことを言っておくんなましよね。ほかのこととは違って、御縁のないものならしかたがないのでございますから、向う様がお断りなさいましたからって、私はそれをどうこう決して思やしませんから」
「あれ、阿母さん、私ゃ
「つまりそれじゃ、
「そんなことがあるもんですか」と言ったが、媼さんの顔を見るといかにも気の毒そうで、しばらく考えてから、「断ったのなら、写真も返しそうなものですけど、あれはもう少し借りときたいと言ってるんですから」
「もう少し借りときたいって?」媼さんも幾らか思い返したようで、「そうすると、お断りなすったわけでもありませんかね」
「そうですとも」と言って、お光はそっと帯の上を
「けれど、いつまで待ってくれとおっしゃるのだか、それも分らないのでしょうねえ。あれも来年は二十でございますからね、もう一だの二だのという声がかかった日にゃ、それこそ縁遠いのがなお縁遠くなりますからねえ」
「阿母さんもまあ! 何ぼ何だって、そんなに一年も二年も待たされてたまるもんですか。ですからね、向うの話は向うの話にしておいて、ほかにまた話がありゃそれも聞いて見て、ちっとでもいい方へ片づけてお上げなさりゃいいじゃありませんか」
「そんなにどこから話があるものですか」
「阿母さんはじきそんなことをお言いだけど、お仙ちゃんのようなあんないい
ところへ、娘は帰って来た。あたりはいつか薄暗くなって、もう晩の支度にも取りかかる時刻であるから、お光はお仙の帰ったのを
「婆やさん、私が出てから親方はどんなだったね?」
「別に変った御様子も見えませんでございますよ。ウトウト
「お上さんが出なさるとね、じき佃の親方が見えましたよ」と若衆の為さんが言った。
「おや、そう。それでいつ阿父さんは帰ったね?」
「つい今し方帰っておいででした。何ですか、昨日の話の病人を佃の方へ移すことは、まあ少し見合わせるように……今動かしちゃ病人のためにもよくなかろうし、それから佃の方は手広いことには手広いが、人の出入りが
お光は
「お上さん」と為さんは声をかける。
「何だね?」と襖の向うでお光の返事。
「お上さんはどこへ行ったんだって、佃の親方が聞いてましたぜ」
「…………」
「
「…………」
「ね、お上さん」
「…………」
答えがないので、為さんはそっと
「為さん、お前さん
「ええ」と笑っている。
「言ったってかまわないけど……どんな用事があるか分りもしないのに、遊びに行ったなんて、なぜそんなよけいなことをお言いだね?」
「じゃ、やっぱり金さんのとこへ? へへへへそうだろうと思ってちょっと
「まあ、人が悪いね?」
「へへへへ。何しろお楽しみで……」と為さんはジリジリいざり寄って来る。
「あれ、そっちへ行っておいでよ! 人が着物着更えてるのに、
六
医者が今日日の暮までがどうもと小首をひねった危篤の新造は、注射の薬力に辛くも
やがてかすかに病人の
「水を上げましょうか?」とお光が耳元で訊ねると、病人はわずかに頷く。
で、水を含ますと、半死の新造は
「はい」と答えて、お光はまず涙を拭いてから、ランプを片手に自分の顔を差し寄せて、「私はここにいますよ、ね、分りましたか?」
「お前には世話をかけた……」
「またそんなことを……」とお光はハラハラ涙を
「阿父さん……」
「阿父さんも皆お前の傍にいるよ。新造、寂しいか?」と新五郎は老眼を
「どうかお光の力になってやって……阿父さん、お光を頼みますよ……」
「いいとも! お光のことは心配しねえでも、俺が引き受けてやるから安心しな」
「お光……」
「はい……」
「お前も阿父さんを便りにして……阿父さん、お光はまだ若いから、あなたが世話してやって……」
「よし! それも承知してる、心配しねえでもいい」
「お光……」
「はい……」
「このあいだから阿父さんにも頼んどいたが、お前はまだ若いから……若い今のうちに片づくがいいよ……」
「新さん!」とお光は身を
乾ききった新造の目には涙が見えた。
* * *
越えて二日目、葬式は盛んに営まれて、喪主に立った若後家のお光の姿はいかに人々の哀れを引いたろう。会葬者の中には無論金之助もいたし、お仙親子も手伝いに来ていたのである。
で、葬式の済むまでは、ただワイワイと
新所帯の仏壇とてもないので、仏の位牌は座敷の床の間へ飾って、白布をかけた小机の上に、
「お上さん、お寂しゅうがしょうね。
お光は黙って席を譲った。
為さんは小机の前にいざり寄って、線香を立て、
お光は
「へへ、そうですかしら。私ゃまたどうかと思いまして」
お光は横を向いて対手にならぬ。
為さんはその顔を覗くようにして、「お上さん、親方は何だそうですね、お上さんに二度目の亭主を持つように遺言しなすったんだってね?」
「それがどうしたのさ?」
「どうもしやしませんが、親方もなかなか
「寝覚めがいいの悪いのと、一体何のことだね? 私にゃさっぱり分らないよ」
「へへへ、そんなに
「何を阿父さんが承知しないのさ?」
「何をって、金さんとお上さんと一緒になることでなくって、ほかにお前さん……」
「まあ!
「言わないたって、まあその見当でしょう?」
「馬鹿なことをお言い!」
為さんはわざと恍けた顔をして、「へええ、じゃ私の推量は違いましたかね」とさらに膝の相触れるまで近づいて、「そう聞きゃ一つ物は相談だが、どうです? お上さん、親方の遺言に私じゃ間に合いますめえか……」
「畜生! 何言やがる□」
お光はいきなり小机の上の香炉を取って、為さんの横ッ面へ叩きつけると、ヒラリ身を返して、そのまま表へ飛び出したのである。
* * *
飛び出して、その足ですぐ霊岸島の下田屋へ駈けつけたお光は、その晩否応なしに金之助を納得させて、お仙と仮盃だけでも急に揚げさせることにした。
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