東京オリンピックには、母国の紛争や抑圧を逃れた難民らで構成する、国際オリンピック委員会(IOC)の難民選手団が参加している。世界の8200万人を代表する選手たちは、自由と平和への願いを体現する存在でもある。

本届东京奥运会中,有一个由国际奥委会(IOC)组建的难民代表团,它由逃离祖国纷争和压迫的难民组成。这个代表着全球8200万难民的代表选手们,在赛场上体现着自由与和平的愿望。

アフガニスタン出身の自転車選手マソマハ・アリザダにとって、東京オリンピック出場は、単に自分だけの大切な瞬間ではなかった。自転車に乗ることさえ許されない世界中の数多くの女性たちにとっての希望と反乱の象徴だった。

对来自阿富汗的自行车选手马苏玛·阿里·扎达来说,登上东京奥运会赛场的瞬间不仅对她自己尤为重要。对全球众多不被允许骑自行车的女性来说,她的出场也是希望和抗争的象征。

出身国のアフガニスタンでは、自転車で道路に出ただけで石や果物を投げつけられた。市民を狙うタリバンの襲撃が増えていて、目立つ女性はとりわけ標的となった。

在她长大的阿富汗,光是骑自行车出现在路上就会被投掷石头和水果。在阿富汗,监视着民众的塔利班组织 (伊斯兰原教旨主义运动组织)的袭击规模不断扩大,乍眼的女性尤其成为了他们的目标。

やがてあまりにも危険な状況に陥ったため、彼女は2016年に一家でアフガニスタンを離れ、フランスで難民認定を申請した。

为了逃离危险,阿里·扎达一家人于2016年离开阿富汗,申请成为了法国难民。

だが自転車はそこで終わらなかった。

但是,她的自行车之旅并没有到此结束。

「メッセージを発信できるのが誇り」

“很荣幸能够传达信息”

マソマハは難民アスリートのためのオリンピック奨学金を獲得し、奨学金に助けられてトレーニングを続けた。5月には難民選手団代表に選ばれた。

阿里·扎达争取到了国际奥委会难民运动员奖学金,在这笔奖学金的帮助下她得以继续训练。5月,她被选为难民代表团的一员。

28日にはほかの24人とともに、富士国際スピードウェイで行われた自転車の女子個人ロードタイムトライアルに出場した。

28日,她和其他24位运动员一起参加了富士国际赛车场举行的女子公路自行车个人计时赛。

「8200万人の難民と、女性は自転車に乗るべきではないと考えるアフガニスタンや他国の女性全てを代表する責任は大きい」。競技後、BBCスポーツにそう語った。

比赛后,她面对BBC体育频道的采访说道:“在这里,我代表了8200万难民,以及阿富汗等那些不允许女性骑自行车的国家的所有女性,我的责任很重。”

「難民チームを代表して、希望と平和のメッセージを発信できることを誇りに思う」

“作为难民团代表,我很荣幸能够向观众传达希望与和平的信号”。

28日はアリザダにとって、人生で初めてのタイムトライアル出場だった。

对阿里·扎达来说,28日是她人生第一次登上计时赛的赛场。

「あれは私の人生初のタイムトライアルだった。私は長距離の準備をしてきたので。けれど直前になって、タイムトライアルをやることに決めた」とアリザダは話し、「私にとって忘れられない経験になった」と振り返る。

她说:“那是我人生第一次计时赛。我一直做的是长距离比赛的准备,但在开赛前还是决定参加计时赛。对我而言也是一次难忘的经验”。

レースでは最下位でゴール。しかしあの場にいたアリザダは、もっとずっと大勢の人たちの代表だった。

最终,她以最后一名的成绩冲线。但当时的她背后代表着更多的人。

 「道具」のように扱われ

被政府像“道具”一样对待

2020年1月、キミア・アリザデヘ(23)は母国を後にした。自分は「イランで抑圧されている何百万人もの女性」の1人にすぎないと感じていたと振り返る。

2020年1月,基米娅·阿里扎德(23岁)回到祖国。回顾那段时间,她称自己“不过是在伊朗被压迫着的数百万女性”中的一人而已。

1年半後、東京オリンピックのテコンドー女子57キロ級で、2度の五輪優勝実績を持つジェイド・ジョーンズ(イギリス)を破り、難民選手団初のメダル獲得まであと一歩に迫った。

1年半后,在东京奥运会女子57公斤级跆拳道比赛当中,她击败两次获得获得奥运会冠军的英国选手杰德·琼斯,距离为难民代表团夺得第一枚奖牌仅一步之遥。

オリンピックでの成功実績はある。2016年リオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得した。イラン女子初のメダルだった。しかしその後の処遇がイランから離れることを決断させた。

她曾经在奥运会上大获全胜。2016年,她曾在里约奥运会中获得铜牌。这是伊朗首枚女子比赛的奖牌。然而,之后的处境却让她毅然决然地离开伊朗。

大会後、イランに帰国したアリザデヘは、当局からまるで「道具」のように扱われたと話す。それ以上イランにとどまるくらいなら、ホームレスになるリスクを取ろうと考えた。

奥运会结束后,回到伊朗的阿里扎德称自己被政府当做“道具”一般对待。比起继续待在伊朗,她宁愿承担无家可归的风险。

「私は彼らにとって大切な存在ではなかった。私たちは誰一人として、彼らにとって大切な存在ではなかった」

“我对他们(伊朗)来说并不重要。我们任何一个人对他们来说都不重要。”

「テコンドーが助けてくれた」

“跆拳道帮助了我”

ドイツに渡ったアリザデヘは亡命を認められるが、イラン政府はすぐにその決断を非難。やがて彼女はSNSで脅迫を受けるようになる。

来到德国的阿里扎德被认定为流亡者,但伊朗政府立刻对这一决断提出抗议,之后她还在网络上受到威胁。

「本当につらかった」。アリザデヘはそう語った。「国を変え、言葉を変え、全てが変わる。それは心の大きな重圧になる。それでもテコンドーが苦しかった時の私を助けてくれた。トレーニングしている時は、何も考えないで済む」。

“真的太痛苦了。”阿里扎德说,“换了国籍、学了语言,我改变了一切。这对我来说压力很大。但是,在我最痛苦的时候,跆拳道帮助了我。只有在训练的时候,我可以什么都不想”。

アリザデヘは正式に所属を変更してドイツ代表チームに加わることを望んでいた。しかし、イラン・テコンドー協会に他国での大会出場を阻まれ、2018年以来、公式戦には出場できていなかった。

阿里扎德原本希望自己可以正式变更国籍,作为德国代表队参赛,但是伊朗跆拳道协会阻止她作为别国代表出场,因此自2018年以来,她一直未能参加正式比赛。

そこで2度目のオリンピック出場を狙い、難民選手団の予選に出場。無事通過し、代表に選ばれた。

为了能够再次登上奥运,她参加了难民代表团预选赛,并顺利通过成为其中一员。

難民選手団は、IOCの奨学金支給を受けた選手29人で構成される。

难民代表团由获得国际奥委会难民运动员奖学金的29名选手组成。

「津波」というニックネームをもつアリザデヘは、「(イランを出た後は)テコンドーをやめなければならないかと思った。でも今、自由な女性になれるし、テコンドーもできる。どちらも両立できる」と話した。

阿里扎德的小名有“海啸”之意,在采访中她说:“原以为(离开伊朗)之后再也不能打跆拳道了。但是现在我成为了一个自由的女性,还能继续打跆拳道,两全其美了”。

東京五輪では25日の準決勝でタチアナ・ミニナ(ロシア・オリンピック委員会)に敗退。3位決定戦にも敗れ、難民選手団最初のメダル獲得とはならなかった。

在25日举行的半决赛中,她不敌俄罗斯奥委会选手塔季娅娜·米妮娜。铜牌争夺战中,阿里扎德再吃一场败仗。没能给难民代表团夺得首枚奖牌。

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