民法が改正されて、妻の人格がみとめられるようになった。
 ふるい民法では、婦人が結婚して妻となると、無能力者になり、経済上の権利、親権その他で無能力とされていた。新しい民法は、婦人の権利の抹殺をとりけしたものであり、財産にたいして妻は夫と似た発言権をもつことになった。
 権利があるということは、義務があるということである。夫が不当財産を蓄積して、一家の経済が向上した場合、妻はそれをわけてもらう権利をもつようになったが、同時にこのことは、不当財産をたくわえたという夫婦の共同責任が存在することをも意味する。
 わたしは何も知らないで――といういいわけは、ふるい民法時代にこそ事実であったが、今日では適用しない。夫がどんな不正な富を蓄積しようとわけてもらう権利が妻にあると、それで問題を終りとするなら、その人は妻というより妾的な存在であり、売笑婦的な存在である。
 なぜなら、妻は結婚生活において、夫の道義的生活にたいしても密接な関係をもち、責任の一半を負っているのであるから。
 道義の頽廃は、家庭婦人のきよらかさを濁らしている。いわゆる良家の主婦たちがむすめやむすこと一しょに、それをエロ・グロ雑誌だとも感じないで、いかがわしい雑誌を平気で見ているような無感覚。どんなすじからであろうと、物と金がながれこめば、そのみなもとをせんさくしないのが利口というような社会的責任感の堕落、家庭婦人のモラルの問題は彼女たちが母であるという意味においてまじめに見直されなければならない。
〔一九四八年十一月〕

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