日语文学作品赏析《親しく見聞したアイヌの生活》
一体にアイヌと云えば、内地の人は熊の子か何かのように思っているようですが、アイヌの生活には、私共の歴史の上に残っている祖先の生活を、眼のあたりに見るような感じのする事がありまして、一度アイヌの部屋に入って行きますと、実に興味が深く一種のなつかしみを感じます。
アイヌの住居は、コバ葺きと茅葺とありまして、普通は茅ぶきのようで、茅を上から重ねて葺いたのでなく、端を少しずつ残して段々を作ってある屋根の並んでいる前に、丸く切った大きな松薪が高く積れて、その軒辺に真白の梨の花(四五月の頃)の咲いている所は、何とも云えない趣がございます。
家の内部は入口に土間がありまして、その次ぎに居間があります。この土間は畑に出来るいろいろな作物を
それでも窓は東と南に開けてありまして、何処の家でも、東の窓は神聖な場所として、此処にイナオと云う内地の御幣に当るものが立ててあります。イナオは木で作った先きの方をじゃがじゃがさせた一種の木幣で、家の守護神様、穀物の神様、水や火の神様にこのイナオを捧げるのであります。
さすがに寒い所だけあって、神様の中でも炉の神様を最も大切にいたしますが、この神様はお婆さんでフッチと名づけています。そしてフッチの
一体にアイヌは信心深く、山に行って猟をする時も畑を作る時も、地面を掘る時も、先ずイナオを立てて私共に飲水をお与え下さいとか穀物のよく実るようにとか云って、熱心に祈祷をいたします。けれども、イナオを取扱ったり祈祷をするのは、総べて男子の仕事で、婦人は決して神事に携る事は出来ませんから、祈祷の言葉や神様の事をよく知っているのは男ばかりで、婦人はこれについて何も知る事は出来ません。で、家を持つと良人はまず男の子の生れるのを喜びます。若し男の子がないと、イナオを立てて神様をまつるものが絶えるのを恐れるからでありましょう。男子でなくては、神様をまつれないという所は、内地人の昔の有様と似ています。
斯様に男の子の生れるのを喜ぶ風がありますが、また婦人から云えば、却って女の子を欲しがるのであります。それは男子は神様に仕えるのが第一で、主になって働くのは婦人ですから、親は働きの助けに女の子を欲しがるのであります。
やがて子供が相当の年頃になると、男の子は神様の祭りや祈祷の言葉を教えられたり、女の子は機織り、刺繍などを教えられます。
刺繍をした黒
アイヌ婦人は柔順で人に話しかけられても、じっと俯きながら聞かれただけの事を返事する位であります。其の風俗も今日では内地人のような髪を結い着物を着ているので一寸見分けがつきませんが、古風な着物を着て、馬に乗りながら大きな林や広い野の一筋道を悠々と行く姿は、全く別の世界を見るようでございます。アイヌ人でも美しい人は矢張り色が白く、濃い眉に深みのある瞳を持っていますから黒っぽいアイヌの平生着と、よく調和して、その背景になっている北海道の大自然と、アイヌはしっくりと合っていますから一層趣が深うございます。
今一つ云ってみたいのはアイヌの歌であります。彼等には文字がないので、昔からあった面白い歌も、口伝えに代々伝えられて来たのですから、忘れられたり、知っていた老人がなくなったりして歌の数もずっと減って了いました。その歌の節は内地の追分節によく似ていますが、元はアイヌの歌から初まったものかと思われます。
アイヌの中には実に歌の上手な人があります。興に乗じて歌っている時は、身も心もすっかり歌の中に入って了って、その顔まで平生の表情とは変っている位であります。それに歌曲なども丁度万葉時代のように、見たまま思ったままを直ぐ歌にして鳥の鳴声、雲の動きなど総べて自然によせて自分の感情をうたいますから如何にも自由で生々としています。こういう芸術味のある歌も、営利の為につまらぬ興業師などに利用されて、歌の上手な婦人で思わぬ不幸な運命に陥いる事があります。アイヌの歌を真に理解して、それに興を覚えて聞くならよいでしょうが、見世物のようにされては可哀想です。
彫刻なども、内地人が入ってからは、金の為に粗末なものを沢山に作り出すようになりましたので、真の技倆は悪くなってしまいました。それでも、家が豊で彫刻によって生きて行く必要のない人には、矢張りよい技倆を持った者があります。斯様なわけでアイヌの生活は真に趣があります、只彼等には文字のなかった事と、その生活を表現するだけの文明のない為に、だんだん亡びて行くような状態になったので、この種族を失う事はほんとうに惜しい事だと思います。
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