バルコンの上だとか、
窓枠のなかに、
一人の女がためらつてさへゐれば好い……
目のあたりに見ながらそれを失はなければならぬ
失意の人間に私達がさせられるには。

が、その女が髮を結はうとして、その腕を
やさしい花瓶のやうに、もち上げでもしたら、
どんなにか、それを目に入れただけでも、
私達の失意は一瞬にして力づけられ、
私達の不幸はかがやくことだらう!


お前は、不思議な窓よ、私に待つてゐてくれと合圖してゐる、
既にもうお前の鼠色の窓掛けは動きかけてゐる。
おお窓よ、私はお前の招待に應じなければならないだらうか?
それとも拒絶すべきだらうか、窓よ? 私の待つてゐるのは誰だ?

私はもう無縁ではないのではないか、この耳をそば立ててゐる生命に對して?
この戀を失つた女の充溢した心に對して?
私にはなほ行くべき道があるのに、かうして私を此處に引き止めながら、
私に夢みさせてゐる、かの女の心の過剩を、窓よ、お前は私に與へることが出來るのだらうか?


お前はわれわれの幾何學ではないのか?
窓よ、われわれの大きな人生を
雜作もなく區限くぎつてゐる
いとも簡單な圖形。

お前の額縁のなかに、われわれの戀人が
姿を現はすのを見るときくらゐ、
かの女の美しく思はれることはない。おお窓よ、
お前はかの女の姿を殆ど永遠のものにする。

此處にはどんな偶然も入り込めない。
戀人は自分の戀の眞只中にゐる。
自分のものになり切つた
ささやかな空間に取り圍まれながら。


窓よ、お前は期待の計量器だ。
一つの生命が他の生命の方へ
氣短かに自分を注がうとして
何遍それを一ぱいにさせたことか!

まるで移り氣な海のやうに
引き離したり、引き寄せたりするお前、――
かと思ふと、お前はその硝子に映る私達の姿を
その向う側に見えるものと混んぐらかせたりする。

運命の存在と妥協する
或種の自由の標本。
お前に調節されて、外部の過剩も、
われわれの内部では平衡する。


窓よ、お前は、どんなものでも
何んと儀式めかしてしまふのだらう!
お前の窓枠の中では、人は直立不動になつて
何かを待つたり、物思ひにふけつたりする。

そんな風に、放心者うつけものだの、怠け者だのを、
お前はよくお小姓のやうに立たせてゐる。
彼はいつも同じやうな姿勢をしてゐる。
彼は自分の肖像畫みたいになつてゐる。

漠とした倦怠にうち沈みながら、
少年が窓にもたれて、ぼんやりしてゐることがある。
少年は夢みてゐる。さうして彼の上衣を汚してゐるのは、
少年自身ではなくて、それは過ぎゆく時間なのだ。

又、戀する少女たちが、窓に倚つてゐることもある。
身じろがずに、いかにも脆さうに、
あたかもその翅の美しいために、
貼りつけられてゐる蝶のやうに。


部屋の奧、寢臺のあたりには、そこはかとない薄明しか漂はせてゐなかつた
星形の窓は、いまや貪婪な窓と交代して、
飽くことなく日光を求めてゐる。
ああ、誰れか窓に走り寄り、それに凭れかかつて、ぢつとしてゐる。
夜の去つた跡で、こんどはその神聖なみづみづしい若さの番が來たのだ!

その戀する少女の眺めてゐる朝の空には、
青空そのもの――あの大いなる模範、
深さと高さと――それ以外にはなんにもない。
その空の一部を圓舞臺にして、
ゆるやかな曲線を描いて飛び交ひながら
愛の復歸を告げ知らせてゐる鳩たちを除いては。
(朝の空)


私達の區限くぎられた部屋に、
闇が絶えず増大させる
未知の擴がりを與へるやうにと、
屡々工夫せられた窓。

昔、その傍らにいつも坐つて、
一人の婦人が、俯向いたまま、
身じろぎもせず、物靜かな様子で、
縫ひ物をしつづけてゐた窓。

明るい壜の中に嚥みこまれたまま、
そのなかで或すがたの芽ばえてゐる窓。
われわれの廣漠たる眼界の
帶を結んでゐる環。


かの女は窓にもたれたまま、
何もかも任せ切つたやうな氣もちで、
うつとりと、心を張りつめて、
夢中で何時間も過すのだ。

獵犬たちが横はるとき
その前肢まへあしを揃へるやうに、
かの女の夢の本能が
不意と襲つて、そのしなやかな手を、

氣もちのいい具合に竝べてくれる。
その餘のものはそれにならつて落着くのだ。
さうしてしまふと、その腕も、胸も、肩も、
かの女自身も言はない、「もういた」と。


忍び泣いてゐる、ああ、忍び泣いてゐる、
あの誰も凭れてゐない窓!
慰みやうもなく、涙にむせんでゐる、
あの被覆おほひをせられたもの!

遲過ぎてからか、それとも早過ぎないと、
お前の姿ははつきりと掴めない。
いまは全くその姿を包んでゐるお前の窓掛け、
おお、空虚の衣!


最後の日の窓に身を傾けてゐた
お前の姿を目のあたりに見ながらだつた、
私がわが身の深淵を隈なく知つて、
それをはじめてわが物となしたのは。

お前はその腕を闇の方へ向けて
私にそれを振つて見せながら、
私がお前から切り離して自分と一しよに持つて來たものを
私から更に切り離して、逃げて行つてしまはせた……

お前のその別離の手振りは、
永い別離の印なのではなかつただらうか?
遂には私が風に變身せしめられ、
水となつて川に注がれてしまふ日までの……

声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。