日语文学作品赏析《南洲留魂祠》
まどろむ間もなく、覺めて待つに、道別來たる。出立す。田中桃葉も加はりて、一行すべて四人也。
吾妻橋までは、電車に由る。徒歩して、曳舟通りを行く。曳舟もがなと思ひしに、果して、曳舟あり。夫は舟にありて棹をとり、妻は岸上にありて、綱にて舟を曳く。兒は、舟中に坐して菓子を食ふ。東京にはめづらしき景致也。木下川藥師の石標に導かれて川と、はなる。左は藥師、右は江戸道とある石標二つ三つ見る。東京の近郊、舊き道標は多けれども、江戸の名あるは、他にあまり見當らず。生れぬ前の江戸の世にあひたる心地して、いとゆかし。路の竝木に、藥師の昔の繁昌も思ひやられて、寺内に入る。本堂も、庫裡も、新築にかゝり、さばかり莊嚴の趣も無し。鶴の翼を張りたるが如き一株の松、富の松といふ八代將軍の命名に、空しく當年繁昌の跡を殘して、藥師の利益は、既にうすらぎけむ、參詣者、今は、まれ也。
仁王門を出でて、左折すれば、小丘の上に石龕あり。石の鳥居も立てり。これ南洲留魂祠にして、勝海舟の建てし所に係る。建てし海舟も、今は地下に眠れり。いと荒廢せるさま也。橋絶えて、行くに路無し。池一面、水草生ひて、水を見ず。海舟や、南洲と肝膽相照せり。南洲が討死してより間もなく、即ち明治十二年にこの祠をたてたるは、知己に酬ゆる一片の涙のほどばしれる也。こなたの丘上に、石碑あり。南洲自書の詩を刻す。其詩の終りに、『願留二魂魄一護二皇城一』の句あり。祠名もこれより出でたるなるべし。海舟がこの詩をえらびたるは、南洲の寃を雪がむとの心もこもるべく、謀叛人を祀る辨疏の意も、ふくまるゝなるべし。裏面に、海舟の書を刻し、南洲が江戸市民の大恩人なる由をしるす。なほ別に、一碑あり。留魂碑をこゝにたてし時は、恰も旱魃に際せしが、石碑運び出さるゝに及びて大に雨ふり、建つる時にも大にふりて、農民雀躍して相喜べり、雲中に龍の姿さへあらはれたりなど、書きしるす。作者は、神官などにや、南洲の建碑と豪雨と何か關係あるらしく言ひなせり。こゝに來りて、最も感ぜらるゝは、海舟の誠心也。留魂祠、小なりといへども、澆季の世の中に、まことの朋友の道を語るもの也。
橋畔の茅店に休息す。店前に一道の川あり。めづらしさうに、我等を見入る童子に問へば、一人の童子、新川なりといふ。水澄みたり、藻の花もさきたり。凉風青田をわたり、水をわたりて、いと心地よし。携へし握飯を食うて、なほ足らず。心太を買ひ、『なほし』を飮む。四人みな醉へり。陶然として、中川の土手を歩し、諏訪野の渡をわたる。桃葉しきりに、薫風や/\とうなりたるが、あとの句がうかばず。田のくさきに、道別は、糞風や/\とまぜかへす。醉うては、句も出來まじと云へば、桃風忽ち、
柴又の帝釋天に至る。三人とも、未だ人車鐵道を知らずといふに、導いて、發着所にいたりて、唯□一目見物し、去つて精巧をきはめたる仁王門を見上げ、堂前の清泉に渇を醫し、堂後の庭に、花菖蒲を見る。これが何よりの御功徳也。もとより堂内の本尊には、縁の無き衆生の身、村店の酒未だ醒めざれども、更に一酌をとて、此地に有名なる川甚に入る。水に望める座敷に上るより早く、道別、桃葉の二人、衣を脱して、川に躍り込む。われ山根氏を顧みて、君は如何にと云へば、水泳を知らずといふ。われは二人の眞似して、水に入つて見たるが、冷堪ふべからず、直ちに上り來て、風呂に入る。一冷一熱、衞生上、よいか、わるいか、知らぬが佛。浴より出づる山根氏、川より出づる道別、桃葉を待ちかねて團欒し、たすき掛けの女中に酌してもらひて、此料理屋獨得の川魚料理を肴に、酒のむ。松戸より來られしかとは、粗末なるわれらの服裝、どうしても、都の紳士とは見えざればなるべし。中れりと一笑して、且つ飮み、且つ眺む。三四室ある一亭、瀟洒にして、直ちに水に接す。江戸川溶々として流る。下流に、國府臺の林丘、欝蒼として横はる。この日は、白帆見えず。唯□一艘、下流にあらはれて、閑鴎の浮ぶが如く見えしが、滿帆に孕まれし風つよく、間もなく近く眼前を過ぐ。舟の水を切る音、高く江天にひゞく。やがて又、遠く上りて、また白鴎の如し。長江むなしく悠々として天を浮べて流る。江山に對すれば、天地は人間にあらざれども、嚢中を思へば、心細し。熟醉を買ふほどの阿堵物を持たず。萬事の周旋は、一行中の世才に長けたる山根氏にまかせて、そのさしづのまゝに切り上ぐ。小岩停車場より汽車にのることと定めて、徒歩す。日暮れたり。螢ぼつ/\飛び來たる。
螢とぶ里の土橋のくづれより
大螢終に逸せし川邊かな
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