「おかげさまで」は大人のあいさつの常套句のひとつで、子どもの頃、「どうして、この人にお世話になっていないのに、おかげさまなのだろう。」と不思議に思ったり、言葉の雰囲気の柔らかさにちょっとあこがれたりしたことを覚えています。

「おかげさまで」是大人寒暄的套话之一。记得在小时候,我会对此觉得不可思议:“明明没有得到那个人的帮助,为什么要托他的福呢?”,同时也对这句话带来的柔和语境感到憧憬。

最近この「おかげさまで」ということばを目にしたり、耳にしたりすることが多くなりました。特に新年の時、「お陰さまで、今年も無事で新年を迎えることができたこと」と言う感謝の気持ちを表します。日本人の心のあり方や規範意識、コミュニケーション力などについて語られる中で、「おかげさまで」という感謝の心の大切さが再認識されているように思います。

近来「おかげさまで」这句话可以被更多看到,听到了。特别是在新年的时候,表示“托您的福这次又能顺利迎来新年”的感谢之心。在谈论日本人内心的状态、规范意识以及交流能力的时候,这被认为是“托您的福”这种感恩之心得到了重新的认识。

しかしその同時に、悪いことで使われることが多いような気がします。「あいつのお陰で、貴方のお陰でひどい目に合った。」「渋滞のお陰で遅刻した。」とか、感謝の気持ちどころか恨み節に変わりつつあります。しかし本来ので何処は、全然違います。「おかげさまで」はもともと「御蔭参り(伊勢神宮におまいりする)」という言葉に由来しているようで、「天地神仏のおかげ。世間様のおかげ。」ということのようです。ですから、直接的なことばかりではなく、もっと大きな自分を包んでくれているものに対する感謝の心を表しているように思います。直接的であれ、間接的であれ、人とのつながりを感じる心が基本になるのでしょう。

但是与此同时我也注意到,这句话被使用在坏的方面的情况也变多了。“托那家伙的福、托您的福害我倒霉了。”、“托堵车的福害我迟到了。”像这样的使用,不要说是感谢,都渐渐变成泄愤的句子了。然而原意与此完全不同。「おかげさまで」最早应该是来自「御蔭参り」(参拜伊势神宫)一词,所以托的是“天地神佛,整个世间”的福。所以我认为这不是直接(对具体事物所表达)的用语,而是用来对更大的、将自己包含于其中的某些东西表示感谢的心情。不管是直接的还是间接的,最根本的是能感受到人与人之间的联系的心情。

身近に考えても分かることでしょう。自分自身が今そこに居るのも、親父やお袋のお陰だ。何一つとして自分のお陰では無いことに、気付かされることだろう。確かに、自分も誰かにお陰様でと、感謝をされているかもしれない。大きく言えば、お陰様で、世の中が動いているのだろう。お陰様でと口先だけでなく、心から言えるようになれば、人生の成功が近くに見えているような気がします。

切身思考一下应该就能明白。自己现在能存在于此,是托父亲、母亲的福。可以发现“托自己福”的事情一个也没有。的确,自己也正为别人做着一些什么,从而受到感谢。往大处说的话,世界能如此运行着也是托了什么的福。所以我觉得如果不仅是把「おかげさまで」挂在嘴上,要是能打心底里说出来的话,那人生的成功仿佛也就近在咫尺了。

*おかげさまの語源
【意味】 おかげさまとは、感謝の気持ちを表す言葉。挨拶の言葉としても用いる。
【おかげさまの語源・由来】おかげさまは、他人から受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に「様」をつけて、丁寧にした言葉である。古くから「陰」は神仏などの偉大なものの陰で、その庇護(ひご)を受ける意味として使われている。これは、「御影(みかげ)」が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することにも通じる。接頭語に「お」がついて、「おかげ」となったのは室町時代末頃からで、悪い影響をこうむった時にも「おかげさま」が使われるようになったのは江戸時代からである。

试试实力?点击右上角“本文相关应用”中的“贡献翻译稿”来为下面上面这段文字提供翻译稿吧!

声明:双语文章中,中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。