2月27日、米津玄師の新曲“Lemon”のMVが、公開からわずか13時間で100万回再生を突破した。MVが公開わずか5日と11.5時間で1,000万回再生を突破した。米津はこれまで24時間で100万回再生を記録したことがあったが、今作で自身の持つその記録を更新する結果となった。放送中のドラマ『アンナチュラル』の主題歌として広く世に知られることとなった“Lemon”は先行配信も好セールスを記録。シングル発売前の段階ですでに楽曲のファンが多くいること、また、映像自体が考察しがいのある内容であることが再生数伸長の大きな理由だろう。実際、ファンの間ではそれぞれの仮説に基づいたやりとりが活発に行われており、SNSで盛り上がりを見せている。MVのテーマは「レクイエム」。教会を舞台にした映像は少しレトロで、画面の左右に黒い帯が入っていることにまず目がいくが、その辺りは『BOOTLEG』以降歌謡曲が米津のマイブームになっていたこと、そして彼の中にある「古いものこそ美しい」という感覚とリンクしている部分だろう。

2月27日,米津玄师的新曲《Lemon》的MV,公开仅13个小时,播放次数就突破了100万次。MV公开5天零11.5小时,播放次数就突破了1000万次。米津之前有过24小时内播放100万次的记录,但这次的作品更新了他自己这一记录。这首歌作为正在播出的电视剧《unnatural》的主题曲为世人所熟悉,先行配信的成绩也很不错。单曲销售前已经积累了一定的粉丝数,另外影像本身值得研究的地方颇多,也是播放次数剧增的很大原因吧。事实上,粉丝之间基于各种各样的假设进行着讨论,十分活跃,SNS上也非常热闹。MV的主题为“安魂曲”,以教会为舞台的影像有些复古,首先映入眼帘的便是画面左右加入的黑条框,《BOOTLEG》之后的歌谣曲,都有米津自成一格的印记,而这部分与他认为“古典的正是美丽的”感觉相关。

MVでよく見かける小節・拍に合わせてアングルを切り替える手法(“春雷”がそうだった)もほぼ使用していなければ、楽器の旋律と同じリズムで被写体が動くような場面もない。また、約4分半の間米津自身はほぼ動かず、動的な表現をダンサーという外部要因に託している。それらは、進むどころか立ち上がることすらままならないほどの「悲しみ」を体現している。曲の構成的には最初の盛り上がりポイントであるはずの1番サビ(1:01~)の前半が、米津(と背後のダンサー)の表情を捉えるのみで終わっているのもまた象徴的だ。最初のサビでここまで動きのないMVは珍しい。

MV中几乎没有使用常见的与节拍相结合的切换角度的方法(“春雷”也是如此),也没有被拍者跟着乐器的旋律以同样的节奏舞动的镜头。另外,约4分半钟的时间里,米津自己也几乎没有动,而是把动感的表现托付给了舞者这一外部因素。这是体现了别说是前进,就连振作也无法做到的那种“悲戚”。曲子的构成上,最初的高潮部分应该是第一部分副歌(1:01-)的前半段,仅仅捕捉了米津(与身后的舞者)的表情就结束了,也是其特征之一。最初的副歌部分动作如此匮乏的MV,也是十分罕见。

映像は、教会の椅子に腰かけ歌を捧げる米津と、女性ダンサーの舞いを対比させるようにして進んでいく。中盤(2:32~)には女性が米津の目の前で踊る場面もあるものの、ふたりが交わることはなく、米津は無反応のままだ。女性が人前から突然いなくなってしまう描写(2:10)もあるため、おそらく彼女はすでにこの世にいない存在として描かれているのだろう。“Lemon”には《今でもあなたはわたしの光》というフレーズが何度か登場する。ここで言う「あなた」=「光」がこの女性の存在だとするならば、監督・山田智和氏の「現実を覆う光は複雑に重なり合って、見え難かったり、直視出来なかったりするのだけれど、今でも確かに輝く、綺麗な光が僕にも見える時があります」というコメントもかなりしっくりくる。私たちは亡くなった人のことを「心の中で生きている」というふうに言うことがあるが、それを映像という形で美しく表現したらこのようになったのだと思う。

MV里,坐在教会椅子上唱歌的米津,和女舞蹈演员成交叉状态进行着。中间阶段(2:32-)虽然也有女舞者在米津面前跳舞的镜头,但两人并没有交集,米津依旧是毫无反应的模样。女子突然消失(2:10)的镜头,恐怕是要表达她已不在人世间的意思吧。“Lemon”中有一句“至今你仍是我的光”反复出现,这里所说的“你”=“光”,如果指的是这位女子,那么导演山田智和的评价“覆盖在现实上的光芒繁复艰涩,无法直视,但的确依旧璀璨,我偶尔也能见到这熠熠生辉的光芒”非常恰如其分。我们常言,已故之人会“活在我们心中”,而这部MV正是以这种形式唯美地娓娓道来。

切り分けた果実を分け合うように、米津は、その女性と同じハイヒールを履いていた。諸説あるが、ハイヒールは中世のヨーロッパで汚物を踏まずに歩くために生み出された靴であり、そうではなくとも、現代では、毅然とした姿勢で歩いていく女性を表すモチーフとして様々な作品内で用いられている。ゆえに米津の履くあのハイヒールは、「あなた」のことを忘れられない気持ちと悲しみに塗れた道の上でも「歩いていかなければ」というまっすぐな意思、両者の間における葛藤の象徴なのではないだろうか。

就像分吃切开的果实那样,米津和那位女子穿着同样的高跟鞋。对此有很多种说法,其中之一是说高跟鞋是中世纪欧洲的人为了走路不踩到脏东西而发明的一种鞋子,即便不是因为这点,现代女性踩着高跟鞋的身姿也在各种各样的作品中被使用。由此,米津穿着高跟鞋,直言不讳地表现自己无法忘记的心情及悲伤到了“连路都走不了”的感受,正是象征着两者之间的纠葛吧。

「悲しみ」を忘れる必要なんてないし、すぐに前を向けなくてもいい。しかしいつの日か歩き始めた時には、その「光」があなたの歩みを支えてくれることだろう。そう伝えてくれる“Lemon”というレクイエムは、確かな希望を静かに歌う歌だ。

没有必要忘记“悲伤”,不马上振作往前行也没关系。然而,等到哪天想要迈步从头来过时,那一道“光”就会成为你的支柱吧。这一首“Lemon”安魂曲想要传达的,的确是一首想要静静歌唱希望的歌曲。

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