「将棋なら彼の右に出る者はいないよ」と言ったとき、普通は「彼は将棋がめっぽう強く、勝てる人がいない」ということを意味します。

“将棋的话,无出其右者”,这句话一般就是表示“他下将棋十分厉害,没人能赢得了他”。

裏返すと「彼がめっぽう弱かったら、みんなが右に出てきて、左側に追いやられる」ということになります。「右=上位」「左=下位」と横並びにして、序列を表現しているわけですね。では、どうして右の方が偉いのでしょうか。

反过来说,“他太弱,人人皆能出其右,都被逼到左侧了”。“右=上位”“左=下位”,这一等式表现了上下等级的排列顺序。那么,为什么右边更高人一等呢?

由来は古代中国だけど……

起源于中国,但……

「右に出る者がない」を辞書で引くと「古代中国で、右を上席にしたところから」と注釈が。古代中国に「右→左」という序列の考え方があり、それが由来になっているというわけです。そういえば、低い地位に落とすことを意味する「左遷」という言葉もありますね。

在字典上查找“右に出る者がない”,解释是“在古代中国,右为上席”。古代中国,有“从右到左”的这样一个等级排列思想,这是这句谚语的由来。如此说来,还有“左迁”这一说法表示地位下降。

これにて疑問解決。めでたし、めでたし……と片付けたいところですが、調べているうちに例外が出てきてしまいました。

到此疑问就解决了。刚沾沾自喜,一查,却发现了例外。

それは、学校で日本史を学んだ人なら聞き覚えがあるであろう「左大臣」「右大臣」。いずれも律令制度におけるかなり上位の役職なのですが、先ほどの例に反して“左”大臣の方が上なのです。

在学校学过日本史的人应该记得,“左大臣”“右大臣”。这两个都是律令制中位高权重的官职,与刚才的例子相反,“左”大臣的地位更高。

律令制度も古代中国を手本にしたものですから、左右の優劣が逆になるのは道理が通りません。一体どういうことなのでしょう……?

因为律令制也是以中国的制度为模本,所以左右地位发生反转,这实在说不通。到底是怎么回事呢?

古代中国も気まぐれだった?

古代中国对左右地位的看法也不统一?

一概に古代中国と言っても、左右の優劣は時代によってまちまちでした。

虽一概称古代中国,但左右的地位优劣,在不同的时代也是不同的。

「新漢語林」によると「中国では、ほぼ周は左を尊び、戦国時代は右を尊び、秦・漢も同じく右、六朝時代には左、唐・宋もこれと同じく左、元は右、明は左を尊び、清に及んでいる」とあります。ややこしいですが、とにかく数百年ごとに左右どちらが上位かは変わってしまっていたのです。

据“新汉语林”解释,“在中国,周以左为尊,战国时代以右为尊,秦汉也是以右为尊,六朝时期是左,唐宋也是左。元是右,明也是以左为尊,一直延续到清朝”。虽然有点复杂,但总而言之,每隔数百年,左右的其中一个就会变成上位。

日本はその時々で生まれた言葉をそのまま輸入してしまったため、「左大臣から右大臣に左遷される」みたいなややこしい事態が起きてしまったのですね。

因为日本在不同时期原封不动地引入了那些说法,所以就产生了“由左大臣左迁为右大臣”这种复杂的情况。

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