「JRってなんで緑が好きなんだろ」

“JR(Japan Railways,日本铁路公司集团)为什么喜欢绿色?”

確かに考えてみれば、新幹線はグリーン車だし、チケットを購入するのはみどりの窓口。山手線も緑色と確かに緑ばかりです。

确实,细想一番,新干线是绿色列车,购票要通过绿色窗口。山手线也是绿色,确实是一片绿啊。

これは単なる偶然ではないはずと思い調べ始めたのですが、大手鉄道会社や有名な鉄道博物館に問い合わせたところ、どこも口をそろえていうのが「歴史的に古い話になってきて、断定できないのでどこに聞いたのかは伏せて欲しい」ということでした。

这应该不是单纯的偶然,如此想着,我们开始着手调查,然后在向大型铁路公司及著名的铁路博物馆打听时,对方均异口同声表示:“这是个有历史渊源的老故事了,不过由于我们也没法确定,还请不要透露是在哪儿听说的”。

そのためここからの話は全てアルファベットで表記することにします。

所以,之后涉及到的公司及博物馆均以字母表示。

まずはグリーン車の名前の由来。そもそもグリーン車は昭和44年の運賃改定により登場したのですが、某鉄道博物館に問い合わせたところ「グリーン車が緑なのは、旧一等車の帯から来ていると思いますが、あくまで説の1つで実際のところは分からない」とのこと。

首先是绿色列车名字的由来。绿色列车最初于昭和44年票价变动后登上历史舞台,然而我们在询问某铁路博物馆时得到了这样一个答案:“绿色列车之所以是绿色,我们认为是源自旧一等车的车带颜色,不过这也是诸多说法中的一种,事实我们也不太明白。”

鉄道会社の回答はどうでしょうか。大手鉄道会社BとCは「昔の一等車の色が緑色だったから」との回答でした。

那么铁路公司是怎么回答的呢?大型铁路公司B和C是这样解释的:“因为过去一等车的颜色是绿色。”

大手鉄道会社Dも「昭和44年頃、新幹線の車両には一等車、二等車の二種類があり、その車両の側面に緑色のラインを引いていたからという説がある」との回答。

大型铁路公司D也如此回答我们:“有种说法是这样的,昭和44年左右,新干线列车分为一等车及二等车两种,列车侧面绘有绿色的线,绿色列车由此得名。”

2つ目の説として、某鉄道博物館は「昭和33年から急行列車の特別二等車で指定席と自由席を区別するため、指定席で使われていたヘッドレストの色が薄い緑色だった」との回答でした。

第二种说法来自某铁路博物馆的回答:“自昭和33年起,为了区分特别二等快车的指定席和自由席,指定席使用的头枕采用了浅绿色。”

まとめると昔の一等車の側面に緑色のラインが引いてあった説と指定席を区別するために車両のヘッドレストにかぶせたカバーが緑色だった説の2つが考えられるそうです。

总结一下,我们认为有两种说法可信:1、过去一等车的侧面绘有绿色线之说;2、为了区分指定席采用了绿色的头枕套之说。

グリーン車のクローバーマークを作った男

创作绿色列车三叶草标志的男人

続いては、グリーン車に必ず付いているクローバーのマーク。

接下来,就是绿色列车必有的标志:三叶草

四つ葉なので何となく良い運気が舞い込んできそうですが、なぜクローバーマークなのでしょうか。調べてみました。

虽说四叶的三叶草会给人带来好运,不过为什么选了三叶草当标志呢?我们进行了一番调查。

先ほどと同様、鉄道各社に伺ったのですが有力な説として答えてくれたのは、西日本にある大手鉄道会社。クローバー、しかも四つ葉にしているのは乗客がグリーン車に乗ることで幸せな気持ちになってもらいたいという説が有力ということでした。

与上文相同,我们拜访了多个铁路公司,西日本某个大型铁路公司提供给我们一个相当有力的答案:之所以选择三叶草,而且是四叶的三叶草,是希望乘坐绿色列车的乘客能有种幸福感。

ちなみにこの四つ葉のクローバーをデザインしたのは鉄道イラストレーターで写真家の黒岩保美さん。この方、鉄道絵画に没頭しその腕前は終戦直後に鉄道博物館(現・交通博物館)からGHQ用に改造した客車のスケッチを依頼されるほど。そのスケッチが細部まで立体的に描かれて素晴らしかったことから国鉄の社員になったそうです。

顺带一提,设计了这个四叶的三叶草标志的就是铁路插画家兼摄影师的黑岩保美先生。黑岩先生专注于描绘铁路,技艺精湛,二战刚结束立刻就接到了铁路博物馆(现交通博物馆)的委托,为供GHQ(驻日盟军总司令部)使用而改造的客车绘图。这张素描连客车的细节部分均表现出了立体感,相当精美,黑岩先生也因此成为国铁正式员工。

子供の頃から鉄道が好きで、父親とよく品川や上野に汽車を見に出かけ、鉄道博物館に入り浸っては展示物を模写していたといいます。

据说黑岩先生在幼年时就喜欢铁路,常与父亲前往品川及上野观摩、长时间沉浸在铁路博物馆中临摹展品。

その後、車両設計部門に配属され、特急列車のヘッドマークをはじめ次々に新しいデザインを生み出し、列車の配色決定にも参加していたそうです。何気なく利用している新幹線のクローバーマークにこんな話があったとは知りませんでした。

之后,黑岩先生被分配到列车设计部,以快车前置标志牌为始,提出了大量新设计,据说也参加过列车的配色决定。真没想到,平日乘坐时从未多留意过的新干线三叶草标志居然还有这样的故事。

JR東海にみどりの窓口はない!?

JR东海竟然没有绿色窗口!?

続いて、JRにある「みどりの窓口」について。窓口の色なんて何色でもいいと思うのですが、グリーン車に合わせるかのように「みどり」。なぜみどりなのか聞いてみました。

接下来要说的是JR的“绿色窗口”。虽然我们觉得窗口这种东西什么颜色都无所谓,但到底是不是为了配合绿色列车而选择“绿色”?我们进行了询问。

某鉄道博物館によれば「お客様に親しみやすく知ってもらうのと、目につきやすくするため」という2つの理由が有力だということです。

据某个铁路博物馆的说法是这样的:“为了让客人容易产生亲近感从而记住,同时也是为了更加醒目。”这两个理由相当充分

...+~。

日本の国有鉄道とその前身の歴史を綴った歴史書「日本国有鉄道百年史」には「乗客に親しみやすい」とありました。

记述日本国有铁路及其前身历史的《日本国有铁路百年史》一书中,就有“容易让乘客产生亲近感”这句话。

JR東海に同じ質問をしたところ「うちは「みどりの窓口」ではなく「JR全線きっぷうりば」といいます」とまさかの回答。一部の駅では「みどりの窓口」という名称を使用しているものの多くは「JR全線きっぷうりば」

而当我们以同样的问题询问JR东海时,却得到了一个意想不到的回答:“我们这儿不叫‘绿色窗口’,而是称作‘JR全线售票处’”。虽然部分车站也使用“绿色窗口”这个名称,但大多数则标为“JR全线售票处”。

なぜJR東海は「みどりの窓口」という名称を使用しないのか。

为什么JR东海没有采用“绿色窗口”这个名称呢?

その理由を知るために「みどりの窓口」が生まれた歴史について触れておこうと思います。元々は国鉄時代の1965年に全国152の駅に初めて開設されたみどりの窓口。指定席の発売が出来る窓口=みどりの窓口でした。マルスシステムと呼ばれるコンピューター端末が置いてあるのが特徴の1つです。

为了寻求缘由,我们决定对“绿色窗口”诞生的历史进行一番调查。绿色窗口原本于国铁时代的1965年,在全国152个车站开设。当时,出售指定席席位的窗口=绿色窗口。其特征之一是该窗口配置了人称“MARS”( Multi Access seat Reservation System)的电脑终端。

それまでは駅員が電話で空席照会をしていたので、指定席を購入する時には何時間も待つことがよくありましたが、コンピューター端末導入により時間が大幅に短縮されました。

在这之前都需要由车站工作人员通过电话查询空席,因此在买指定席车票时经常要等个几小时,但引入电脑终端后,购票时间大幅度缩短了。

しかしJR東海は係員が販売する窓口は、当時からすべて指定席の切符の発売ができたので「みどりの窓口」として棲み分けするようなことがなかったそうです。そのため「JR全線きっぷうりば」となっているんですね。

然而在JR东海,据说那时开始工作人员售票窗口就可以购买所有指定席票,就没和“绿色窗口”分开。由此一直使用“JR全线售票处”这个名称。

「みどりの窓口」という愛称が付いている切符売り場は「マルスシステムが導入されていますよ」という目印だったというわけです。

标有“绿色窗口”这一爱称的售票处则附有“这里有MARS哦”的标记。

さらに調べていくと「みどりの窓口」の由来について新たな情報が出てきました。2016年3月7日の朝日新聞によれば、昔の切符の色は赤や青が多かったのに対して、みどりの窓口で発券した切符の色は緑色だったそうです。切符の色から「みどりの窓口」という愛称になったという説。これは最有力情報のような気がしますね。

再进一步调查下去,我们又发现了有关“绿色窗口”由来的新情报。据2016年3月27日朝日新闻所刊登的文章所述,据说从前车票的颜色多为红或蓝色,与之相对,绿色窗口出售的车票为绿色。也就有了因为车票颜色从而有了“绿色窗口”这一爱称之说。感觉这是最有力的情报呢。

話を伺っていく中でJR東海からさらに気になる一言が。「『みどりの窓口』というのはJR東日本の登録商標なんです。」

在我们询问的过程中,JR东海相关负责人又说了一句让我们相当在意的话:“‘绿色窗口’是JR东日本的注册商标”

えっ!?そうなの!?思わず耳を疑う話です。調べてみました。

哎!?是这样!?这句话让人不由得怀疑自己的耳朵。于是我们进行了调查。

特許情報を確認できる独立行政法人工業所有権情報研修館が提供している特許情報プラットフォームで調べたところ1996年1月31日、JR東日本によって商標登録されていました。ただ登録されていたのはこちらの図形。

我们查阅了独立行政法人工业所有权情报研修所提供的可验证专利情报的专利情报平台,发现JR东日本在1996年1月31日注册了商标。然而注册的是下面这个图形。

最近見なくなりましたが、昔はよく目にした気がしますね。このマークは「容易に確実に座れる輸送サービスを提供する国鉄」というイメージを伝えるためのシンボルマークだそうです。マークの中の人はリクライニングを思いっきり倒してとてもリラックスしています。

虽说最近没怎么看到,但感觉以前经常见到。这个符号似乎是为了向人们传达“国铁提供简单而准确的运输服务”印象的象征符号。符号中的人放倒座椅靠背很轻松的样子。

山手線の色に隠された秘密

隐藏在山手线颜色中的秘密

確かに山手線のイメージカラーは緑色。細かく言うと黄緑色ですが、なぜあの色になったのか。調べてみました。

确实,山手线的印象色就是绿色。再详细一点说是黄绿色,为什么是这个颜色呢?我们展开了调查。

某鉄道博物館によれば、昭和36〜44年にかけてカナリア・イエローと呼ばれる黄色だったそうです。それが昭和38年頃から現在の黄緑色の車両が導入されるようになったといいます。

据某铁路博物馆所说,昭和36年~44年间山手线采用这种被称作金丝雀黄的颜色。从昭和38年左右起引入了黄绿色列车后一直沿用至今。

その他の鉄道会社にも聞いてみたんですが、あまり有力な情報を得られずさらにこちらで調査を進めていくと、カナリア・イエローになる前は国鉄の車両の大半が濃い茶色であることが分かりました。

我们也询问了其他铁路公司,不过没得到什么有力的情报。我们再度对已有结果进行深入调查,发现在采用金丝雀黄之前,国铁列车大半是深茶色。

その後、昭和32年に登場した当時の新型車両101系はオレンジ色になり、その後山手線にもこの車両が導入されますが、中央線と区別するために山手線がカナリア・イエローになったそうです。昭和63年に101系の改良型である103系が山手線を始め、この頃から各路線別に特色のある色が導入されました。103系は昭和63年6月まで走り、現在はインドネシアなど海外で活躍しているといいます。

据说之后,昭和32年,当时的新型列车101系登上铁路历史舞台,颜色为橙色,随后山手线也曾引进该型号列车,为了与中央线有所区别,山手线就采用了金丝雀黄。昭和63年,101系列车的改良型103系列车在山手线开始运行,从这时候起,各个路线都引入了有特色的颜色。103系列车一直运行到昭和63年6月,现在则活跃在印尼等海外国家。

ところでこの山手線は「やまのてせん」と呼びますが、かつては「やまてせん」とも呼ばれていた時代がありました。そもそも山手線という漢字での名称が決まったのは明治42年。

话说回来,山手线读作“やまのてせん”,过去也曾有一段时间读作“やまてせん”。说起来山手线这一汉字名称在明治42年时才定下来的。

この時の山手線は、品川-新宿-赤羽間を走る品川線と池袋-田端間を走る豊島線のことを呼びました。品川線が目白や渋谷など山の手と呼ばれる地域を通っていたことから「山手線」と呼んでいたという説も。

当时的山手线分为穿行在品川-新宿-赤羽间的品川线及穿行在池袋-田端间的丰岛线。有种说法是因为品川县穿过目白、涉谷等被称为山之手的地区,所以被称为“山手线”。

これなら「やまてせん」と呼ばれることはないと思うのですが、終戦後日本にやってきたGHQが読みやすくするため路線図にローマ字表記を入れました。この時山手線は「YAMATE」と書かれました。

若是这样的话,就不会被读作“やまてせん”了,然而二战后驻扎日本的GHQ为了阅读方便在路线图上标了罗马音,那时的山手线被写成了“YAMATE”。

その後、呼称は統一されず「やまのてせん」「やまてせん」と呼び方が2通りある状態が続いていたのですが、昭和46年に呼び名を「やまのてせん」で統一すると旧国鉄が発表しました。

在那之后,山手线的名称一直没有统一,两种称呼同时存在的状态持续了好多年,直到昭和46年旧国铁发表通告,将名称统一为“やまのてせん”。

背景には根岸線のある山手駅が「やまて」と呼ぶことから国鉄の中で誤用を避けるためという説もあるようです。

定名背景中还有种说法,据说是因为根岸线上的山手站读作“やまて”,国铁为了避免误用才统一了称呼。

東京メトロの車両カラーとタバコの関係

东京地铁列车颜色与香烟的关系

さて色々調べる中で東京都民の足として多くの人が利用している東京メトロの車両のカラーにも様々なものがあることが分かりましたのでご紹介します。

多方调查过程中,我们发现东京市民日常利用的东京地铁列车的颜色里也有不少故事,在此向大家介绍一下。

JR山手線と同じ緑系の千代田線。こちらは千代田という言葉から日本庭園をイメージすることに由来するそうです。意外とシンプルな理由から緑色が採用されていたんですね。

千代田线与JR山手线相同,都是绿色系。似乎千代田这个词就是源自日本庭院的给人印象。选用绿色的原因还真是意外单纯明了呢。

同じ様に有楽町線も路線のイメージから車両の色を黄土色にしています。これは都心のオフィス街や豊洲などのウォーターフロントに集う若者達などからキラキラしたゴールドをイメージしたそうです。ただ車両の色がゴールドは少し派手過ぎると考えたのか、ゴールドをおさえた黄土色に落ち着いたようです。

同样,有乐町线的列车之所以为黄土色也是源自路线给人的印象。这似乎是在表现集中于市中心办公区和丰州等地港湾区的年轻人们身上闪闪发光的金属色。大概是考虑到列车采用金色未免有点花哨过度,而决定采用更为协调的黄土色。

南北線も同じで沿線の日本庭園から車両の色をエメラルドグリーンにしたとか。確かに南北線沿線には、バラが有名な旧古河庭園や小石川後楽園、東京都庭園美術館など都心にいながら豊かな緑に触れられる施設が点在しています。

南北线的情况也很相似,根据沿线的日本庭园将列车的颜色定为翡翠绿。确实,虽说南北线处在市中心,但沿线处处分布着绿意盎然的公共设施,如以蔷薇闻名的旧古河庭园、小石川后乐园、东京都庭园美术馆等。

銀座、渋谷など都心のど真ん中を走る銀座線。日本初の地下鉄として昭和2年に浅草−上野間の2.2kmに誕生しました。当時の色は明るい黄色でその後オレンジに変わりますが、この明るい黄色は鉄道先進国であったドイツ・ベルリンの地下鉄BVGをモチーフとしたといわれています。

银座线穿行在银座、涉谷等地,这里是市中心的中心。银座线是日本最初的地铁,始建于昭和2年,自浅草至上野,全长2.2km。当时列车颜色是亮黄色,之后改为橘黄色,据说亮黄色就是模仿了铁路发达国家德国柏林地铁BVG。

丸の内線の赤は、当時営団地下鉄の総裁が欧米を視察した時に目にしたタバコの包装紙とロンドン市内を走るバスにピンときて赤になったそう。

丸之内线的红色,则是当时营团地铁总裁视察欧美时,看到香烟的包装纸和穿行在伦敦市内的公交车,灵光一闪决定的。

タバコの色にまつわる車両はもう1つあります。東西線の鮮やかな水色はタバコのハイライトのパッケージから来ているという説が有力です。また水色という疾走感のある色から、旧営団地下鉄時代に唯一快速運転を行っていた東西線のスピード感を表現したという話もあります。

和香烟颜色有关的车辆还有一列。东西线鲜艳的浅蓝色源自香烟hi-lite的包装纸,这一说法相当有力。此外还有一种说法表示,由于浅蓝色会给人种飞驰的感觉,用来表现旧营团地铁时代唯一可高速运行的东西线的快速。

ちなみにその他の路線は、他の路線とかぶらないようにという理由がほとんどで目立つ色という理由以外に大きな理由はなさそうです。

顺带一提,其他的路线则是为了不和别的路线撞色而采取醒目颜色,除此之外,似乎没有其他原因了。

このように車両の色1つとっても長い歴史と深い理由があることが分かりました。今回は関東の車両を中心にご紹介しましたが、みなさんも電車に乗る際は車両の色にもぜひご注目ください!

通过上述调查我们明白了,哪怕是列车一种颜色都有其漫长的历史背景及深层原因。本次我们主要向您介绍关东地区的列车,希望大家在乘坐电车的时候,务必留心一下列车的颜色!

本内容为沪江日语原创翻译,严禁转载。

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