江戸っ子の概念

江户子的概念

多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄坊」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている。また「江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならない」という概念もよく知られている。また江戸っ子の性格をあらわす表現としては「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」、「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」という川柳に見られるような「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という金離れの良さを著した言葉がある。現代に見られる類型的な江戸っ子像として「金離れが良く、細かい事にはこだわらず、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手で、人情家で涙にもろく正義感に溢れる」・「いきでいなせ」などと表現される短気・気が早い、などとも言われ、江戸っ子気質(えどっこかたぎ)などとも呼ばれている。

就江户子的性格,众多研究者列举出了“外表花哨的少爷”、“莽撞好强”、“性急易怒”、“生活方式轻浮而草率”、“自以为是”等特点。此外,还有一广为人知的概念是:“家中非连续三代生在江户的话不能称作江户子”。同时,在表现江户子这一形象上,还有展现其豪爽金钱观的著名语句:“江户子不留隔夜钱”,在川柳“江戸っ子は五月の鯉の吹き流し”、“江戸っ子の生まれ損ない金を貯め”等中也可见到这一面。现代可见的江户子典型形象是“出手大方、不拘细节、固执易怒、时常玩文字游戏但不善辩论、人情味足多愁善感,一身正气” 、“ 潇洒不羁”等,以及性急、没耐性,这些特性也被称为“江户子气质”。

江戸っ子の研究の先駆者である三田村鳶魚はこうした「江戸っ子」はいわゆる町の表通りに住む「町人」とは異なり、裏店の長屋に住む火消し、武家奉公人、日雇いの左官・大工などが江戸っ子の頭分にあたるとしている。三田村は東海道中膝栗毛や浮世床等で江戸っ子をからかったものが多いのは、こうした「江戸っ子」達が本を読むことがない無学な者であったからとしている。三田村は幕末に至る景気後退の中で、こうした江戸っ子達は徐々に姿を消していったとしている。

江户子研究先驱者三田村鳶魚认为“江户子”不同与居住在街区主干道的所谓“町人”,居住在深处长屋的消防员、武家侍从、短工泥瓦匠、木匠等才是江户子的领军人物。三田村之所以在《東海道中膝栗毛》、《浮世床》等作品中时常调笑江户子,是因为这些“江户子”是没读过书的无学识之人。三田村认为,随着幕府社会衰退,这些“江户子”的身影也逐渐湮没了。

1980年(昭和55年)に『江戸っ子』を著した西山松之助は、江戸時代に著された江戸っ子に関する書籍を調査し、江戸っ子を「自称江戸っ子」と「本格の江戸っ子」に分類した。それによると「徳川将軍家のお膝元である江戸に生まれ」、「宵越しの金を使わない」、「乳母日傘で過ごした高級町人」、「市川團十郎を贔屓とし、『いき』や『はり』に男を磨く生きのいい人間」が本格の江戸っ子像であるとし、「喧嘩っ早い」などの性格はこの変形や半面に過ぎないとした。

1980年(昭和55年),著有《江户子》一书的西山松之助查阅了江户时代所著的江户子相关的书籍,并将江户子分为“自称江户子”及“真正的江户子”两类。根据分类,“出身于德川将军所在的江户”、“不留隔夜钱”“娇生惯养的大少爷” 「市川团十郎的死忠粉、为“潇洒”和“意气”锤炼自身的要强奋发的人」才是真正的江户子,“急躁易怒”等性格不过是这一形象的变形或侧面罢了。

天明期の戯作者山東京伝は、こうした江戸っ子をデフォルメし「江戸っ子」を自称する人物を作品に登場させた。京伝は1787年(天明7年)発刊の『通言総籬』において、気負いだった空回りする江戸っ子を描き、多くの支持や亜流を産んだ。『通言総籬』には以下のような江戸っ子の口上が記載されている

天明时期通俗文学作者山东京伝在作品中写下了自称“江户子”的人物,并将江户子这一形象进行了夸张变形。京伝在1787年(天明7年)发刊的《通言総籬》中描写了意气风发却一事无成的江户子,由此也产生了众多支持及追随者。

しかし寛政の改革によってこうした著作は反体制的であるとして弾圧された。一方で天明期の戯作の支持者であった魚河岸の魚問屋、札差達は「江戸っ子」概念に誇りを持ち、継承していった。一方で西山は文化文政期になると、下層町民が文化活動に参加するようになり、江戸っ子を自称して空威張りをはじめるようになったとしている。

然而由于宽政改革,这些著作被认作反体制而遭到压制。但身为天明时期通俗文学支持者的鱼市批发商、粮商等仍对“江户子”这一概念深感骄傲,将其沿承下来。另一方面,西山认为还与文化文政时期,下层町民逐渐得以参加文化活动,开始摆起架子自称江户子有关。

近代・現代文化における「江戸っ子」

近代、现代文化中的“江户子”

明治期以降は江戸落語、講談、映画などで江戸っ子の姿が描かれてきた。この時期に広まった代表的な江戸っ子像が一心太助であり、映画やテレビ番組で広く知られた。江戸落語では、「山王権現、神田明神の信者(氏子、檀家)」「古町に生まれた者」「親子3代にわたって江戸下町に生まれ暮らした町人」などとされている。『粗忽長屋』や『大山詣り』『たらちね』など、江戸っ子を登場人物とする演目が多く見られる。「熊五郎・八五郎(熊さん・八っつぁん)」はこうした江戸落語に登場する、「長屋に住む江戸っ子」の代表的なキャラクターである。

明治时期以后,江户子的形象时常出现在江户落语、讲谈及电影等中。这个时期共识的江户子代表形象是一心太助,因电影及电视节目广为人知。在江户落语中,则有“山王权现、神田明神的信者(氏子、檀家)”、“生在旧街区的人”、“家中子孙三代生在长在江户下町的町人”等形象。如《粗忽長屋》、《大山詣り》、《たらちね》等,以江户子为登场人物的落语相当多。像“熊五郎・八五郎(熊さん・八っつぁん)」等就是江户落语中“住在大杂院中的江户子”的代表形象。

小説では夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公が、江戸っ子を自負する人物として描かれている。漫画では『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉、『もーれつア太郎』のア太郎などが江戸っ子のキャラクターとして知られている。

小说则要提到夏目漱石的《少爷》,其主人公便是自负为江户子的人物。漫画则要说到《这里是葛饰区龟有公园前派出所》中的両津勘吉,《猛烈太郎》中的猛烈太郎。这些角色均以江户子的形象广为人知。

下町の出身であるビートたけしは、江戸っ子的なキャラクターを演じる事が多い。鬼瓦権造や火薬田ドンといったキャラクターなどはその典型である。たけしはおりからの漫才ブームで上方言葉を擬した話し方が蔓延した中で、江戸言葉で通すことを意識していた。旧江戸地区以外の全国にも江戸っ子気質を広く知らしめている。

出身下町的北野武经常出演江户子类型的角色。其中鬼瓦权造及火薬田ドン便是典型中的典型。在漫才热潮期人们争相模仿关西方言说话方式的时期,他也依旧坚持使用江户语。在旧江户地区以外,甚至全国地区,其江户子气质都广为人知。

現代の住人としての江戸っ子

身为现代居民的江户子

高度経済成長期以降に東北地方を中心に全国から大量の人口が移入定着したことに加えて、バブル経済によるいわゆる「地上げ」によって地域を離れた住民も多く、実態としての「江戸っ子」は消滅の瀬戸際にあると言われており、江戸言葉を喋る昔気質の江戸っ子は少なくなっているとされる。江戸期から代を重ねた住人と、明治の東京改称以後に代を重ねた住人とを区別して「東京っ子(とうきょうっこ)」と呼称することがある。

经济高速发展期之后,以东北地区为中心,来自全国各地的大量人口迁入江户并定居,再加上泡沫经济导致的「土地收购」,离开江户地区的住民也很多,从实际情况上来说,可以说“江户子”已经到了生死存亡的关头,说江户方言,拥有从前江户气质的江户子也越来越少。为将自江户时期代代定居于此的居民,与明治时期改称东京之后代代居住于此的居民区别开,而有了“东京子”这一称呼。

関東大震災や東京空襲が江戸っ子衰退の原因であるとする向きがあるが、江戸文化は災害に対して極めて耐性があることが特徴の一つであり、現に災害毎に江戸の規模が拡大された歴史があり、戦災を受けていない京都の都市文化が衰退していることからも、戦災や震災とは関係性が薄いとされている。

有意见认为,关东大地震及东京空袭是江户子衰退的原因,然而江户文化的特征之一是对灾害有极强耐性,事实上,每逢灾害江户规模便会扩大,而未曾遭受过战争灾祸的京都都市文化则正走在衰退一途,由此可证,这一现象与战争及地震灾害的关联性很低。

近年、江戸っ子と呼称する条件の厳しさから、概ね東京旧市内の地域の住人の間で、同じ地域内で代を重ねた住人に対し「(地域名)っ子」の名称を好んで使う傾向にある(神田っ子、下谷っ子、本所っ子、深川っ子など)。

近年,由于被称作江户子的条件十分严苛,大体上东京旧城区居民之间出现了这一倾向:以“(地域名)子”这一方式称呼在同一地区代代定居的居民(例如神田子、下谷子、本所子、深川子等)。

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