半世紀を超えて旺盛な活動を続ける写真家、荒木経惟。今年は亡き妻を写した原点ともいえる作品展から、今最もひかれる空や花を見つめた新作まで、さまざまな個展を展開している。

摄影师荒木经惟跨域了半个世纪持续开展各种丰富的活动。今年,从可以称为拍摄已故妻子原点的作品展开始,到现在最有吸引力的关注天空和花朵的新作品,他举办了各种各样的个展。

ゴザを敷いた小舟に、丸くなって横たわる荒木の妻、陽子。目を閉じた横顔は眠っているようにも、死んでいるようにも見える。静けさが伝わってくるモノクロの1枚。荒木の1970年代の代表作である。

荒木的妻子阳子蜷缩着身体横躺在铺着席子的小舟上。紧闭双眼的侧脸看起来像是进入了梦乡,又像是正在接近死亡。这张传达了寂静感的黑白照片是荒木1970年代的代表作。

「この写真、昔は三途(さんず)の川を渡っている様子に見えたけど、今は胎児に見えるね。生に向かっているところ。自分は体調が悪くて、今は常に背中に死に神がいるけど、写真を見ると、まだ生に向かっていると教えてもらえるよ」

“这张照片过去看就像在渡过三途川(生与死的边界)一样,但现在看就像个胎儿。朝着生的方向不断前进。我的身体很差,总觉得死神在向我招手,但每当看到这张照片,就又有了生的希望”

東京・恵比寿の東京都写真美術館で7月25日に始まった「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971―2017―」(9月24日まで)の会場で、荒木は心境の変化を語った。「生と死が行ったり来たり。それが写っているのが写真だね」

在东京都写真美术馆(东京.惠比寿)举办的“荒木经惟 感伤的旅行 1971-2017-”(7月25-9月24)的会场上,荒木诉说了自己心境的变化。“能反应生死变迁的才是照片”

荒木にとって妻の陽子は、1960年代の出会いから90年に42歳で他界するまで、常に重要な被写体だった。71年に1000部限定の私家版として刊行した写真集「センチメンタルな旅」は、結婚式や新婚旅行で訪れた京都、福岡県の柳川での様子を写したもので、その後ベストセラーとなった。荒木は「私小説こそもっとも写真に近いと思っている」と序文を寄せ、自ら「私写真」と呼ぶ作品で評価を得た。

对于荒木来说,从与妻子阳子在1960年邂逅到1990年她在42岁时去世,阳子一直都是他重要的拍摄对象。1971年,作为1000本限定出版的写真集《感伤的旅行》,因拍摄了举行结婚仪式与新婚旅行时造访的京都、福冈县柳川的风貌而大受欢迎。荒木在序文中写到“我认为私小说(以第一人称叙述故事的小说)最接近于照片”,他自称为“私写真”的作品获得了好评。

写真美術館の展覧会では、この「陽子」に焦点を当て、従来の有名な作品に加え、未発表の結婚前の2人を写した約100点をポジフィルムの原板で展示。陽子の死後に荒木が撮り続けた空や愛猫なども合わせて1300点以上を集めた。

写真美术馆的展览会上,以“阳子”为焦点,增加了些一直以来闻名于世的作品、还有没有发表过的2人结婚前拍摄的大约100张照片的底片。阳子死后荒木持续拍摄的天空、爱猫等作品加起来共有约1300件以上。

展覧会名の「2017」に続く棒線には、旅がまだ続くという意味を込めた。一度は句点を付けて「旅を終わらせようかと思ったが、やりたいことがいっぱい出てきた」という。

展览会名称的“2017”后面用一根直线代表了旅行还在继续。希望能画下句点的荒木说“虽然想结束旅程,但还有很多想做的事”。

これまで500冊を超える写真集を出版し、多作で知られる荒木だが、今年は国内だけで10を超える個展を開催する。がんを患い、右目の視力を失う中で「周りがそろそろ荒木も終わりだろうと色々企画してくれた結果。でも、少なくとも東京オリンピックは(現役で)超えるね」と笑う。

迄今为止出版超过500册写真集,作品被广泛熟知的荒木,今年在国内就开办了超过10场个展。患了癌症,右眼视力正在逐渐萎缩的荒木笑着说“周围人都觉得荒木的时代差不多要结束了,结果我却做了各种规划。至少也得干到东京奥运会以后吧”

「天才アラーキー」を自称し、1960年代から写真家として第一線を走り続けてきた荒木。喜寿を迎えた今年は「ファインダーに入ってくるものは全て楽園」とし、今は「写真機に撮らされている感覚」と語る。写真とは何なのか。作品を振り返りながら聞いた。

荒木经惟以“天才荒木”自居,从1960年代开始作为摄影师一直走在第一线。今年迎来喜寿的他说“进入取景器内的美景都是天堂”、现在的他有一种“被摄影机拍摄的感觉”。他一边回顾着自己的作品一边诉说着照片到底是什么。

――今年は例年以上に多くの個展を開いています。

--您今年比往年开的个展都要多。

「みんな俺がくたばると思ってるから、美術館の企画がかち合っちゃって。海外からも依頼がいっぱいきていて大変だけど断らない。裏切るわけにはいかないし、どんどん面白くなってきているから」

“大家都觉得我很辛苦,美术馆的规划都刚好撞到了一起。海外也有许多邀约,虽然很累但也没有拒绝。因为我不能辜负大家对我的期望,渐渐觉得变得很有趣”

――亡き妻の陽子さんを写した初期の写真。改めてご覧になった感想は。

--重新看初期为去世妻子拍摄的照片有什么感想。

「電通に入社して初めて会った陽子は、この天才に向かって『社内報を撮れ』と言った。それで会議室で複数の女性社員を撮った時、意識してなかったけど真ん中に陽子がいる。そこから私のセンチメンタルな旅は始まったんだな。何でもない時がいい時だね。たとえば荒川沿いの土手を惚(ほ)れた女が向こうから自転車に乗って走ってくる写真。これなんかいい写真だろう? いいときだったね、すごく。すごく幸福感があるよな」

“进入电通初次与阳子相遇时,她对着我这个天才说‘要拍摄公司内部报纸’。因此在会议室里拍摄很多女性社员时,无意识就把阳子放在了中心。然后就开始了我感伤的旅程。没什么的时候才是最美好的时候。比如爱慕的她骑着自行车沿着荒川的堤坝朝我过来的照片。是一张很美的照片吧。因为那时是最美好的时刻,非常美好。非常有幸福感”

「一番いいと思う写真はその時によって変わるんだけど、今だったらソファにもたれかかっている陽子の隣に私がいて、私の膝の上に(愛猫だった)チロがいる写真かな。2人でくだらないテレビを見てさ。幸せな時なのに、孤独感が(陽子の)顔に写っている。生と死が行ったり来たりして、結局ひとりなんだなという。それが写真だというふうに、まちがってるんだろうけど、思っている」

“我认为最好的照片会根据当时的情况而改变,对现在的我来说就是那张阳子样子躺在沙发上,旁边坐着我和我膝盖上的チロ(爱猫)的照片。2个人无聊地看着电视。虽然是幸福的时刻,却拍出了(阳子)脸上的孤独感。生和死不断变迁,最终人会孤身一人。我觉得这就是照片的含义,虽然这个说法不一定正确,但我是这么想的”

――陽子さんが亡くなった後は空や花を写すことが増えました。

--阳子去世后您多是拍摄天空和花朵。

「彼女が子宮筋腫で手術室に行ったとき、俺はひとりで空を撮った。だめだよね。惚れた女が死と戦いに行っているんだから、手術室までついていかなくちゃ。どうも空というと、そういうことが浮かんじゃう」

“她子宫肌瘤在手术室时,我一个人去拍摄天空。我想着这样可不行啊。我最爱的她正在和死神斗争,我必须在手术室外陪着她。所以每当提到天空时,这件事就会浮现在我的脑海”

「人は最後はどうしても空や花に行く。アタシも老けていっているわけ。その境地に行かされるわけだ。空と花。空なんて一年中見ていても飽きないし、花は枯れていくまでずっと撮り続けてしまう。」

“人到最后都会走向天空与花朵。我也在衰老。在走向那个天空与花朵境地。天空是一整年也看不腻的,花我会一直拍到枯萎为止。”

――これから撮っていきたいものはありますか。

--这之后有什么特别想拍的东西吗?

「アタシの場合、カメラを構えてファインダーに入ってくるものは全て楽園なんだ。身体的なつらさもつらくない。天からもらった才能を死ぬまでに使い切れるかどうか。焦っている。今年でやめちゃおうかなと思っているけど、もう少し続けるかな。今は写真はやめられない」

“我觉得进入照相机取景器内的美景都是天堂。身体上的痛苦还算吃得消。很担心是否能在死前用尽老天赐给我的才能。虽然想着今年就不拍了,但还是想再坚持一下。现在是不会停止摄影的”

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