富士山と太陽のベストコンビ

古来、日本を象徴する霊峰として有名な富士山。江戸時代にも多くの芸術家たちが富士山の姿を描きましたが、今回はそのなかから厳選した31枚をご紹介します。

富士山,自古以来象征着日本的灵峰。江户时代就有许多的艺术家们纷纷描绘富士山,本文就从中挑出31幅为大家介绍。

『絵手鏡』より「富士山図」酒井抱一 画(江戸時代後期)

来自《绘手镜》的“富士山图”酒井抱一 画(江户时代后期)

白い富士山、深く青い空、真っ赤な太陽、そしてたなびく金色の雲。シンプルながら洗練されたスタイリッシュな1枚で、江戸時代の作品とは思えない現代的な空気を醸し出しています。

白色的富士山,深邃青蓝的天空,红色的太阳,以及飘忽的金色的云。既简单又精炼的极富设计感的一幅,完全想不到是江户时代的作品,有一种现代的氛围。

作者は、江戸時代後期を代表する“琳派”の絵師で、洗練された都会的な作風で知られる酒井抱一。姫路藩主の弟というセレブ出身の絵師でした。

作者是江户时代后期代表“琳派”的画师,以精炼的都市风为人熟知的酒井抱一。是姬路藩主的弟弟。

本翻译为沪江日语原创,禁止转载。

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月夜の富士と名将と

『月百姿』より「きよみかた空にも関のあるならば月をとゝめて三保の松原」月岡芳年 画(1886年頃)

来自《月百姿》“きよみかた空にも関のあるならば月をとゝめて三保の松原”月冈芳年 画(1886年左右)

ぽっかりと月が浮かぶ静かな夜。世界遺産に登録された三保の松原から富士山を見つめるのは、“甲斐の虎”と恐れられた戦国武将の武田信玄公。名将の目に月夜の富士はどのように映っているのでしょうか。

漂浮着月亮的寂静夜晚。从登录在世界遗产的三保的松原看富士山,被称为“甲斐之虎”的战国武将武田信玄公。在名将的眼中月夜的富士山是怎样一副光景。

こちらの絵、作者は幕末から明治にかけて活躍した絵師・月岡芳年。月をテーマにした晩年の傑作シリーズ『月百姿』のなかの1枚です。

这幅画的作者是幕末到明治期间活跃的画师・月冈芳年。以月为题的晚年杰作系列《月百姿》其中的一幅。

鶴部隊、富士を越える

『富士越鶴図(ふじえっかくず)』長沢蘆雪 作(1794年)

《富士山越鹤图》长沢芦雪作(1794年)

富士山、鶴、朝日というおめでたいモチーフを描いた作品ですが、なんだかとっても“普通じゃない”感が漂っています。なにせ、富士山はエベレストもかくやと思われるほどにとんがっているし、鶴は一直線に編隊を組んで飛んでいるし……。

以富士山、鹤、朝日等常见的东西为中心描绘的作品,有着“不简单”的氛围。富士山竟给人一种如喜马拉雅一样高耸入云的感觉,鹤也排成一直线飞行.....。

このユニークな作品の作者は“奇想の絵師”といわれる江戸時代中期の絵師・長沢蘆雪。

这幅独特作品的作者正是被称为“奇想的画师”,江户时代中期的画师・长沢芦雪。

ぞろぞろゾロゾロ……多すぎぃ!

『富士山諸人参詣之図』二代・歌川国輝 画(1865年)

《富士山诸人参诣之图》二代・歌川国辉 画(1865年)

これも異色の富士山絵。富士山というより富士山を登り下りする登山客の多さが気になってしょうがない。

这也是极富特色的富士山画。比起富士山更令人在意的是登山的登山客人数之多。

ちなみにこの作品は幕末に描かれたもので、乱高下する物価の風刺画といわれています。よく見ると登山客の笠に「米」とか「油」とか書かれていて、登る人々は物価が上がったもの、下る人々は物価が下がったものを意味するんだとか。

另外这幅作品是幕末时所画,被认为是讽刺猛涨猛跌物价的讽刺画。仔细看的话,登山客的草帽上写着“米”或者“油”字,往上攀登的比喻物价上涨,往下走的比喻物价下跌。

荒波に飲まれそう

『富士三十六景』より「駿河薩夕之海上」歌川広重 画(1859年)

来自《富士三十六景》“骏河萨夕之海上”歌川广重 画(1859年)

駿河湾の海は荒れ模様のようで、大波が今にも富士山を飲み込んでしまいそう。でも、富士は泰然自若としており、「動」と「静」の対比が印象的。

骏河湾的海水很汹涌,波浪至今仍在吞食富士山。但是,富士山依旧泰然自若,“动”和“静”的对比令人印象深刻。

作者は、独創的かつ大胆な構図で世界的にも有名な江戸時代後期の浮世絵師・歌川広重。

作者是凭独创且大胆的构图而世界闻名的江户后期的浮世绘画师・歌川广重。

なんだかかわいらしい富士山

『冨士三十六景』より「甲斐大月の原」(1859年)

来自《富士三十六景》“甲斐大月之原”(1859年)

先ほどの荒々しさとは打って変わって、こちらはパステルカラーのお花たちに囲まれた、なんだかかわいらしい雰囲気の富士山。色とりどりの秋の草花が咲き乱れる野原から見る富士山にほっこり癒されます。

不同于之前的富士山图有着粗暴翻滚的浪潮,这幅是被柔和的花朵簇拥着,有着说不出的可爱的富士山。从色彩丰富的秋天的花草绽放的野原上看富士山,温暖且治愈。

ちなみに、『冨士三十六景』は富士山をテーマにしたシリーズで広重の代表作のひとつです。

此外,《富士三十六景》是以富士山为主题的系列,广重的代表作之一。

次も同シリーズより by 広重。

这幅也是同系列by广重。

富士山を探せ

『冨士三十六景』より「下総小金原」(1859年)

《富士三十六景》“下総小金原”(1859年)

どこまでも広がる小金原の平野(現・千葉県松戸市)から眺める富士を描いたものですが、主役は富士山より馬!?広重の発想の自由さには脱帽です。

从一望无尽的小金原平野(现・千叶县松户市)上瞭望富士所画的景象,主角不是富士山居然是马!?对广重想象的自由度甘拜下风。

最後にもう1枚、広重。

介绍的最后一幅广重作品。

富士山にズームイン!

『江戸近郊図』(江戸時代後期)

《江户近郊图》(江户时代后期)

こちらも奇想天外な富士山。一見するとなんだかよくわかりませんが、丸い部分は望遠鏡をのぞいて見える富士近郊の風景だそう。これまたすごい発想。富士山の周りを飛ぶたくさんの鶴のシルエットもおもしろいですね。

这幅也是异想天开的富士山。一眼看去不是很明白,圆形部分是透过望远镜所见的富士近郊的风景。这又是一个了不起的想法。在富士山周围飞的大量的鹤的剪影也很有趣。

幻想的な“青富士”

『富嶽三十六景』より「相州梅澤庄(そうしゅううめざわのしょう)」(1830~32年頃)

《富岳三十六景》“相州梅泽庄”(1830~32年左右)

神奈川県を流れる押切川(中村川)のほとりから眺める富士山。夜明け前のようでたなびく雲は淡いピンクに染まっています。タンチョウヅルが飛び立つ富士は幻想的なまでに青く、見る者を惹きつけます。

在流动于神奈川县的押切川(中村川)河畔眺望富士山。黎明前,飘忽的云染上了淡粉红色。丹顶鹤飞过的富士有着幻想般的青,看到的人都会被吸引。

北斎の富士山シリーズとして忘れてならない『富嶽百景』からも。

北斋的富士山系列最难忘的可能还是《富岳百景》。

泡立つ雲から龍がこんにちは

『富嶽百景』より「登龍の不二」(1835年)

《富岳百景》“登龙之不二”(1835年)

富士山のふもとから現れ出たるは龍。その周りには泡のような雲がもわもわもわ~ん。こんな雲の表現、見たことありません。見ようによっては、龍が富士山を泡洗浄しているみたいにも見えます。

出现在富士山山脚的是龙。他的周围是像泡泡一样的云,流啊流流啊流。如此表现云的手法,还没有见到过。看起来似乎是龙在洗净富士山的泡泡。

富士山、クモに捕まる

「羅に隔るは不二」(1835年頃)

《罗隔不二》(1835年左右)

今度の富士山はクモの巣にひっかかってしまいました。富士山の絵の隅に穴を空けたクモが、画面いっぱいにクモの巣をはってしまったようにも見えます。北斎、どういう発想でこんな富士山を描こうと思ったのでしょう。

这次的富士山被蛛网缠绕。蜘蛛在富士山画的角落里留空,画面充满了蛛丝。北斋,是怎样的想法才将富士山画成这样的呢。

“画狂”北斎の手にかかると富士山の絵もこんなに自由。『富嶽百景』は「ワシが描きたい富士山を描く!」という北斎の強い思いが込められているような作品がたくさんありますので、ぜひ一度ご覧ください。

在“画狂”北斋的手上富士山也变得如此自由。《富岳百景》中“老夫要画想画的富士山了!”这种想法所创造出的作品有很多,值得一看。

さて、北斎つながりで今度は弟子の富士山。

紧接着北斋,这次是他弟子的富士山。

昔はここからも富士山が見えました

『東都御茶之水風景』昇亭北寿 作(江戸時代後期)

《东都御茶之水风景》升亭北寿 作(江户时代后期)

こちら、現在の御茶ノ水付近から水道橋の方を見た風景画。中央に流れるのは神田川、画像右の坂は昌平坂で途中には湯島聖堂が見えます。川に架かる橋は水道橋なのですが、江戸時代には水道橋からも富士山が眺められたのですね。

这是,从现在的御茶之水附近看水道桥的风景画。在中间流着的是神田川,画像右边的坡是昌平破,中途可以看到汤岛圣堂。架在河上的桥是水道桥,江户时代可以从水道桥看到富士山。

作者の昇亭北寿は北斎の弟子のひとりで、江戸時代後期に活躍しなかなか人気があったそう。まるで幾何学模様のようなデフォルメされた崖と曲線的な川、富士山の三角、などがバランスよく組み合わさった画面構成に北斎イズムを感じます。

作者升亭北寿是北斋的弟子之一,活跃于江户时代后期具有相当的人气。就像几何学一般变形后的崖和曲线的河,富士山的三角,非常平衡的组合所构成的画面非常有北斋主义。

富士山と虹の不思議なコラボレーション

『富士三保松原図屏風』曽我蕭白 作(江戸時代中期)

《富士三保松原图屏风》曾我萧白 作(江户时代中期)

これは6曲1隻の屏風絵で、左隻には富士山が、右隻には三保の松原から山々へ架かる巨大な虹が描かれています。

这是6曲1支的屏风画,左支是富士山,右支是从三保的松原架到群山的巨大的彩虹。

“奇想の絵師”の代表選手・曽我蕭白といえば、原色バリバリのちょっとグロテスクな作品が有名ですが、この富士山はやわらかな色合いのホンワカムード。でも、なんだか大きな三角たちが集まってきたような富士山の表現も独特すぎるし、なにより巨大な虹が異色。和製ファンタジーのような世界観です。

“奇想的画师”的代表人物・曾我萧白,原色丰满超威独特的作品极为出名,这幅富士山是柔和的色调下温和氛围。但是,大三角集合而成的富士山的表现很独特,另外巨大的彩虹是异色。日式幻想主义世界观。

実録もの

『富嶽写真』より 小泉斐(あやる) 作(1846年)

《富岳写真》 小泉斐 作(1846年)

この富士山の絵、近すぎ!これは作者である小泉斐が実際に富士登山をした経験をもとに描いた富士山の記録絵。タイトルのようにまさに「写真」。

这次富士山的画,太近了!这是作者小泉斐根据实际登富士山时的经验所画的富士山记录画。如题目一般就是“写真”。

描かれているのは1707年(宝永4年)の富士山大噴火で誕生した宝永火山で、今でもちゃんと確認できます。

所画的是1707年(宝永4年)的富士山大喷火中诞生的宝永火山,现在也可以考证。

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画像右側にポコっと飛び出している部分が宝永火山です。隣に大きく陥没している部分が火口で、噴火の大きさを物語っています。江戸時代には富士山が大噴火していたなんて、今では信じられませんね。

画像右侧稍微有些露出的是宝永火山。旁边陷没进去的部分是火口,预示着喷火的巨大。江户时代富士山曾经大喷发过,至今都令人难以置信。

さて、『富嶽写真』に収録されたこちらの絵、綿のように柔らかそうな雲海と、青空と朝日に染まるうす紅色の空のグラデーション、目の前に迫りくる富士山の武骨な岩肌……それらが相まって、現実的なような非現実的なような不思議な空間を生んでいます。

收录在《富岳写真》中的这幅画,有着棉一样柔软的云海和青空和被朝日晕染成红色的天空的层次感,眼前富士山武骨的岩肌...相互交织,既现实又不现实的不思议的空间诞生了。

スタイリッシュ富士

『富士図屏風』鈴木守一 作(幕末)

《富士图屏风》 铃木守一 作(幕末)

超モダンなマウントFUJI。まるでポスターのようなスタイリッシュで、現代アートのようです。これが江戸時代の作品だなんて驚きです。

超现代的山富士。如同海报般时尚,像一幅现代画。震惊于这居然是江户时代的作品。

作者の鈴木守一(しゅいつ)は幕末から明治にかけて活躍した“琳派”の画家で、同じく“琳派”の画家で前衛的な作風で知られる父の鈴木其一(きいつ)に絵を学びました。

作者铃木守一是幕末到明治时期活跃的“琳派”画家,是从同属于“琳派”的画家且因前卫的作风为人熟知的父亲铃木其一处学会画画的。

わび、さび、富士

『富嶽列松図』与謝蕪村 作(江戸時代中期)

《富岳列松图》与谢芜村 作(江户时代中期)

こちらの富士山は超シブイ。どんよりと暗い空に浮かび上がるのは、雪化粧した真っ白な富士。冬景色の寒々しさは不思議となく、横長に連なる松林の朴訥なタッチもあり温かみを感じさせます。

这幅画中的富士山很是阴沉。浑浊且黑暗的天空浮在被雪包裹的纯白的富士上,没有感觉到冬天景色萧瑟的不思议,一片相连的松树的木讷的触碰都感觉到了温度。

作者は江戸時代中期の俳人として有名な与謝蕪村。「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」など有名な句はたくさん。俳人としての顔が有名ですが、絵もすばらしいんです。

作者是江户时代中期有名的诗人与谢芜村。“春之海,终日轻轻荡漾”等有名的诗句有很多。作为诗人,长相非常好看,而且画画也很棒。

デカい(確信)

『名勝八景 富士暮雪』二代目歌川豊国 作(1833~34年頃)

《名胜八景 富士暮雪》二代目歌川丰国 作(1833~34年左右)

麓の浅間神社に覆いかぶさるようにそびえる富士山はまさに“威容”。圧倒的存在感がびしびしと伝わってきます。

好像要覆盖山脚的浅间神社的高耸入云的富士山正可谓“威严”。感受到接二连三的压倒般的存在感。

なんか男前な富士山

『富士真景図』谷文晁 作(1802年)

《富士真景图》 谷文晁 作(1802年)

モノクロトーンもあって、なんだかとっても男前な富士山です。ダンディです。

是黑白色调,感觉到男性气概的富士山。非常华丽。

作者は江戸時代後期を代表する文人画家・谷文晁。ものすごく広い人脈の持ち主としても有名。葛飾北斎も曲亭馬琴もみんなトモダチ。ちなみに、「寛政の改革」を行った老中・松平定信に仕えたこともありました。

作者是江户时代后期的代表文人画家・谷文晁。人源非常广而有名。和葛饰北斋,曲亭马琴等都是朋友。另外,在“宽政的改革”中曾侍奉过老中・松平定信。

光と影で描く新時代の富士

『江戸橋夕暮冨士』小林清親 作(1879年)

《江户桥夕暮富士》小林清亲 作(1879年)

ガス灯の光と、光が生み出す影が印象的な1枚。遠くに臨む富士山は淡いシルエット。ガス灯があることでもわかるように、この絵が描かれたのは明治時代。

燃气灯的光和从光中生出的影子而留下印象的一幅。从远处看的富士山有淡淡的剪影。就像知道有燃气灯一样,这幅画所描绘的是明治时代。

作者は「最後の浮世絵師」とも「明治の広重」とも称される小林清親です。明治の富士山はモダンです。

作者是被称为“最后的富士画师”也是“明治的广重”的小林清亲。明治的富士山也很现代。

ここは天国か?

『武蔵野図屏風』(江戸時代前期)

《武藏野图屏风》(江户时代前期)

めちゃくちゃゴージャス。でも決して下品ではなく、洗練されていて、とにかく美しい。右隻には画面を覆いつくす秋草に沈む月が、左隻には金色の雲から顔をのぞかせる富士山が描かれています。

相当华丽。但绝不是庸俗,而是被精炼的,总之很美。右支是覆盖画面的秋草中下沉的月,左支是在金色的云中露出一角的富士山。

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クリムトの代表作『接吻』(1908年)

克里姆特的代表作《接吻》(1908年)
 

富士山より気になる枠のデザイン

『江戸日本橋ヨリ富士ヲ見ル図』渓斎英泉 作(1818~1848年頃)

《从江户日本桥看富士图》溪斋英泉 作(1818~1848年左右)

個性的な美人画で有名な幕末の絵師・渓斎英泉が描く富士山。ブルー系で統一された風景画はとてもさわやかで、すがすがしい気持ちになります。

因极富个性的美人画而有名的幕末的画师・溪斋英泉所画的富士山。统一为蓝色系的风景画非常的清爽,让人感觉非常的清爽。

が、それよりなにより気になるのが枠のデザイン。なんかアルファベットみたいなのが並んでます。さすが、幕末。西洋の影響がこんなところにも。にしても、斬新なデザインです。

但是,最让人感兴趣的是框架的设计。感觉像字母一般排列着。不愧是幕末。西洋的影响已涉及到这里。不管怎么说,是崭新的设计。

富士には美人がよく似合う

『見立東下り』鈴木春信 画(18世紀後半)

《见立东下》铃木春信 画(18世纪后半)

馬上の美人がチラリと視線をよこすのは堂々たる富士山。富士山と美人、やはりゴールデンコンビです。

马上的美人视线偏转看向威风凛凛的富士山。富士山和美人,果然是黄金组合。

作者・鈴木春信のロマンティックな作風もあって、見ているとほのぼのしてきます。外国人ウケもよさそうです。

作者・铃木春信的浪漫画风,看着看着就越发感觉温暖。也很适合外国人的审美。

富士のチラリズム

『東都富士見三十六景 新大はし橋下の眺望』歌川国芳 画(江戸時代後期)

《东都富士见三十六景 新大桥下的眺望》 歌川国芳 画(江户时代后期)

橋の下からのぞくように富士山を見た斬新な構図が印象的。

从桥下望去的富士山,由于崭新的构图而令人印象深刻。

作者は現代でも大人気の“奇想の絵師”歌川国芳。無類の猫好きとしても有名。

作者是现代也很有人气的“奇想的画师”歌川国芳。因相当喜欢猫而有名。

シンプルイズベスト

『富嶽図』古礀(こかん) 画

《富岳图》古礀 画

四面の襖(ふすま)に描かれているのは富士山のみというシンプルさ。しかし、やわらかくにじむ墨の色味は温かさと静謐さを感じさせ、なんとも心が落ち着くようです。

四面的拉门上只画了富士山。但是,仔细看的话,墨的颜色和味道静静地传过来。不知怎么,能让人沉下心来。

作者は江戸時代前期から中期の浄土宗の僧。絵がとっても上手。

作者是江户时代前期到中期的净土宗的僧人。特别擅长画画。

荒々しく、ちょっと不気味

『富士山杉樹図屏風』伝狩野永徳 作(江戸時代前期)

《富士山杉树图屏风》传狩野永德 作(江户时代前期)

目の前を遮るように林立するのは杉林。荒々しいタッチで描かれた杉は、まるで絵本に出てくる魔女の森のような不気味さも感じさせます。その杉林を抜けると、黄金色の雲から顔をのぞかせる雪の富士山が。杉林と白い富士山のギャップがおもしろい作品です。

眼前的大片林立的树是杉树。粗野的笔法画的杉树好像故事画本中魔女之森一样让人不寒而栗。透过这片衫林,是黄金色的云覆盖下的雪中的富士山。衫林和白色的富士山的间隙组成了有趣的作品。

富士山と……これはなんだ!?

『相州江之島ノ風景腰越ノ方ヨリ見図』勝川春章 作(1785年頃)

《相州江之岛的风景腰越之方所见图》胜川春章 作(1785年左右)

画像右に見えるのはおなじみの富士山。それはいいんですが、その手前にデーンとあるコレは一体!? よく見るとこのナゾ物体に向かってたくさん人が歩いてきています(画像右下)。

画像右边是熟悉的富士山。这还好,在它前面耸立的这个究竟是!?仔细看的话,有很多人朝着这个迷之物体前行(画像右下)。

答えは江ノ島です。

答案是江之岛。

かなりデフォルメされているので、あの江ノ島とは思えませんね。

由于变形程度较大,联想不到那个江之岛。

青一色

『真乳山望冨岳』旦霞(たんか) 作(江戸時代後期)

《真乳山望富岳》旦霞 作(江户时代后期)

青いです。青一色。そのなかにあって浮かび上がるような富士山の白さが際立ちます。夏の居間に飾りたくなるような作品です。

蓝色的。只有蓝色。在其中浮上的是富士山的白色。夏天想要装饰在房间的作品。

ちなみに作者の旦霞は生没年も画業の不明のナゾ多き人物です。

另外作者旦霞是生卒年龄和画龄也不明的疑点多多的人物。

あの『解体新書』の挿絵画家が描く富士山

『富岳図』小田野直武 作(江戸時代後期)

《富岳图》小田野直武 作(江户时代后期)

これまでの富士山絵とずいぶん雰囲気が違います。遠近法や陰影法が使われていて西洋画風です。手前のものは濃く、はっきりと描き、遠くのものを淡く描くことで奥行きを感じさせます。画像左、歩いている2人の男性の足元にも影が落ちています。日本画にはない表現ですね~。でも、西洋画ともちと違う和洋折衷な雰囲気が独特です。なんだかこの風景も日本のようで日本じゃないように見えてくるから不思議。

这和之前的富士山的画氛围有很大的不同。是使用了远近法和阴影法的西洋画风。眼前的部分很浓郁,画的很明确,远方的又画的很淡,让人感受到远方。画像左,正在走路的2个男性的脚步拖出了影子。日本画中没有的表现手法。但是,算不上西洋画有一种和洋结合的独特的感觉。不知怎么这个风景像日本又不像日本,有种不思议的感觉。

さて、作者の小田野直武は、「秋田蘭画」と呼ばれる西洋画の画法を取り入れた和洋折衷スタイルを確立した人物なのですが、直武に西洋画法を教えたのが“エレキテルの人”でおなじみ平賀源内です。

作者小田野直武是采取了“秋田兰画”的西洋画画法的和洋折中的方式的人物,教给直武西洋画画法的是“摩擦起电器之人”平贺源内

ここからの眺めが最高なんです

『駿河湾富士遠望図』司馬江漢 作(1799年)

《骏河湾富士远望图》司马江汉 作(1799年)

穏やかな駿河湾とそれを囲むような山々、そして美しく清らかな富士の山。これは駿州矢部の補陀落山(現在の静岡県静岡市清水・鉄舟寺)から見た風景だそう。見ているだけで気持ちのいい風が感じられそうです。

平稳的骏河湾与把它包围的群山,以及美丽纯净的富士山。据说这是从骏州矢部的补陀落山(现在的静冈县静冈市清水・铁舟寺)看到的风景。光看就能感受到让人舒适的风。

作者の司馬江漢は日本における洋風画のパイオニアのひとりで、多才な変わり者としても有名。富士山を愛し、油絵の富士をいくつも描いています。

作者司马江汉是日本洋风画的先驱之一,作为多才善变者而闻名。热爱富士山,有很多幅油绘的富士图。

写実的だけど本当じゃない風景のなかの富士山

『甲州猿橋之眺望』亜欧堂田善 作(江戸時代後期)

《甲州猿桥之眺望》亚欧堂田善 作(江户时代后期)

富士山は画像右奥、木立に隠れるようにチラリと見えています。これは江戸時代後期に描かれたものなのですが、こんなシャレた橋がどこにあったのかというと、どこにもありません。正確には、タイトルにもある甲州(現・山梨県)の「猿橋」という橋で、実在したのですが、絵のような石橋ではなく木製の橋。つまり、かなり作者の創作が入っているわけです。

富士山在画像右侧深处,被隐藏在树木的后面一眼瞥见。这是江户时代后期所画,这设计感极强的桥在哪里呢,哪儿都没有。正确地说,题目中提到的甲州(现・山梨县)的“猿桥”,真实存在,但不是画上的石桥而是木桥。也就是说,加入了相当多作者的创造。

外国人から見たMount Fuji

『富嶽図』ヤン・フレデリク・フェイルケ 作(1820年?)

《富岳图》Jan Frederick Feirke 作(1820年?)

こちらの富士山を描いたのは、長崎のオランダ商館で働くオランダ人医師フェルケ。長崎から江戸へ参府する際に見た富士山の景色に感動したのでしょう。

画这幅富士山的是在长崎的荷兰商馆里工作的荷兰人医师felke。从长崎到江户参府的时候,被所见的富士山的景色感动。

作者が違えば、同じ富士山でもこんなに違う。お好みの富士山は見つかりましたか?

不同的作者,就算是一样的富士山画出来的画也不同。你找到喜欢的富士山了吗?