今回は、和食 の定番「納豆」の起源に関する話をいくつか紹介しています。ジャワ から伝来した説、中国から渡来した高僧が伝えた説など、ほかにもいくつか興味深いエピソードがあるようですよ。

这次介绍几个关于日本料理必备“纳豆”起源的故事。从爪哇传入的说法、由中国高僧传入的说法等等,除此之外还有好几个颇有意思的逸闻轶事。

納豆の起源|纳豆的起源

納豆については、日本では文献など、室町時代に糸引納豆が現われるので、もしかしたらその頃鉄砲やカボチャなど南蛮物の一つとして、ジャワから伝来した可能性もあるという。

关于纳豆,在日本的文献中,室町时代有出现过拉丝纳豆,说不定是那个时候和枪支、南瓜等南蛮物一样,从爪哇传入。

日本の糸引納豆に似たものが、ジャワ、ヒマラヤの中腹である東ネパール、シッキムブータン辺りにあるというのである。

在爪哇、喜马拉雅半山腰的东尼泊尔、锡金国布丹一带有和日本的拉丝纳豆相似的东西。

ジャワのものはテンペ、ヒマラヤのものはキネマと呼ばれる。この辺が、納豆がジャワから伝来したのではないかともいわれる所以 である。

爪哇称其为tennpe、喜马拉雅一带称其为kinema。这就是为什么说纳豆是从爪哇传入的原因。

「納豆のルーツ」と言われる逸話は、こんなにたくさんあった!

被认为是“纳豆来源”的轶事,还有很多!

まず、鑑眞和尚説。鑑眞は数度の難破 に遭いながら、754年(天平勝宝6年)日本に渡来した中国の高僧。その鑑眞が納豆の製法を伝えたというもの。

首先,是鉴真和尚一说。鉴真是遭遇数次难关,在754年(天平胜宝6年)来到日本的中国高僧。就是这个鉴真把纳豆的制作方法传(到日本)。

また一方、平安時代後期、源義家(八幡太郎)が納豆誕生に関わったという説があるとか。納豆菌の発見は、義家が1083年~1087年に起きた後三年の役を平定した頃のこと。陣中で兵糧として集めた大豆を煮ている最中 に敵に襲われた。

还有另一个说法,平安时代后期,源义家(八幡太郎)和纳豆诞生有关。纳豆菌的发现是在义家平定了1083~1087年之后三年的战役时。营地在煮作为兵粮而囤积的大豆时,遭到敌人的袭击。

そのため、義家は、煮た豆をワラに詰め馬の鞍に付け応戦、数日後、戦いが終わり、ワラをあけて見ると、納豆菌が大繁殖、煮豆が糸引納豆に変化していた。

因此,义家把煮了的豆子扎入稻草中装上马鞍前去应战,几天后,战争结束,掀开稻草一看,纳豆菌大量繁殖,煮了的豆变成了拉丝纳豆。

兵士の多くは「腐った豆」として捨てていたのだが、義家をそれを口に運んでみて、食べられるものと気づく。それ以来、納豆が兵糧にされるようになったというのだが…。

士兵中的大多数将这些“腐烂的豆子”扔掉,但义家却放入嘴中尝了尝,意识到是可以吃的。从这以后,纳豆成为了兵粮……。

そのほか、千利休が (うまや)のワラに落ちていた味噌豆のカビ から、納豆を発明したという説もあるとか。以上の説に、確たる証拠があるわけではない。

除此之外,还有千利休从掉落在马厩稻草上的味增豆的霉菌里发明了纳豆这么一说。上述的说法都没有确凿的证据。

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